こじらせてる小学生男子と、なんだか不思議な少年のお話

呉羽冬也

夕刻、残酷、宣言、唖然

 そのきらめきを、なんにたとえればいいだろう。

 時原和弘ときはらかずひろが転校してきてからというもの、ぼくの歯車は狂いっぱなしだ。

 生徒会長、帰国子女、バイリンガル、五教科満点、跳び箱12段、ロッカーのラブレター、そういった些細なトロフィーが、かすんで消えていってしまう。

「時原の悪いとこ? そうだな、あいつなんにもできないのに、いつも笑ってんだ」

 学年では6番目くらいのヒエラルキーに位置する堺雲晴さかいくもはるに尋ねると、彼はこともなげに答えた。放課後の水飲み場は、運動部が練習を始めるまでの間は中立地帯として開放されている。ほんの少し前まで青かった空にうす雲が広がっていく。ぼくはオカルトを信じる性質ではない。だが、彼は、噂通りの雲男として、ぼくの前に立ちふさがった。しまった、こんな奴に聞くんじゃなかった。

「どうしてそんなことを聞くの? 会長、もしかしてあいつのこと嫌い?」

 湿気をはらんだ前髪を指でひっぱると、髪はくるんと巻いて元に戻る。堺雲晴は屈託のない顔でぼくの暗部を突いてくるが、その悪意なき攻撃意欲が彼をして学年で6番目の位置に押しとどめていると言っても過言ではない。人間的魅力を凌駕する猟奇的恐怖。だがそれゆえにぼくは彼を頼りにしてしまう。

「君には正直になるべきだろうね、確かにぼくは彼が苦手だ、だが生徒会長たるもの」

「わかったわかった、誰にでも平等で優しい生徒会長さん、彼の悪いところはね、一緒にいると、俺もなんにもできなくていいんじゃないか、なんて気がしちゃうところだよ」

 なるほど、合点がいく。完璧主義で超努力家のぼくからしてみれば、現状肯定のかたまりである時原くんは、真向反対に位置する人間というわけだ。そう言うと、雲晴は呆れた顔と言葉だけを残して去っていった。

「四字熟語が多いんだよ、もっと年相応にしたら?」

 ぼくは苦虫をかみつぶしたような顔で水飲み場に立ち尽くす、運動部の連中がやってくる前にこの場を離れなければいけない。ぼく自身も弓道場に行き、今日の部活をしっかりと勤めあげなければ。


「完璧である」という目標は曖昧だ。すべてを支配するという意味ならば、ぼくはその目標を完遂していると言っても過言ではない。だがそこに「誰からも愛される」だの「みなから頼りにされる」だのといった要素が含まれるとなると、とたんにその輝きはくすんで消えていってしまう。

 そうだ、ぼくには人望がない。もちろん学園内の有象無象、票田と呼ぶしかないような、反射で生きている昆虫のような連中はいくらでもコントロールできる。彼らには意思がない、ランキング上位をあさり、ニュースサイトのトピックを話題にし、バラエティ番組の共通語で笑う。

 ぼくが問題にしているのは、たとえば堺雲晴のようなつかみどろころのない人間であり、時原和弘のようなくったくのない存在である。彼らはいつでもぼくの監視をかいくぐり、隠し持っているやわらかい部分に手を触れてくるのである。


 自分を一番みじめな気持ちにさせるのは、自分自身だった。

 どんなに幸せな状態が待っているとわかっていても、自分自身が評定を下す、君のようなクズにはふさわしくない、幸せなど手に入れてはいけない、きみのようなクズに暖かく接してくれる人間などいるわけがない、もしいるとしたらそいつの中身は冷徹なトカゲ人間であり、きみが信頼を寄せたとたんに手ひどく裏切ってくるに違いないのだと、小さいころからずっと思い込んでいた。

 その闇を払うには、トロフィーを手に入れるしかなかった。親が、周囲が、誰もがその価値に目をくらませ、したがうに足る名誉が欲しかった。

 体を鍛え、知識を増やし、さえた会話と巧妙な受け答えで話し相手を喜ばせた。心を守るためのレンガを積み重ねれば積み重ねるほど、大事な心の方が陽の当たらぬ冷めた暗渠の真ん中でしぼんでいくのを感じていた。


 そのきらめきを、なんにたとえたら、いいだろう。


「……くん、高群くん……会長!」

 背後から声をかけられて、我に返る。夕焼けが空を紅く染めている。声を聞けば誰だかはわかる。振り向くこともせずに無視して歩き続けることもできたはずだ。でもぼくは、振り向いた。その鼻先に、時原和弘の小さな顔が迫っていた。

「よかったあ、名前を呼んでも振り向かないから、やっぱり会長は会長って呼んだ方がいいのかな、って思ったんだけど。ぼくたち話したことなかったよね、挨拶はしたけどさ」

「用件だけ、手短に」

 ぼくは夕陽がまぶしくて目をそらした。夕暮れの校舎にぼくたちの影が二つ、長くのびてかかっていた。

「部活に入れって言われたんだけど、先生にね、なにがやりたいか、って聞かれてもなにもできないし、得意なこともないし、ていうかやりたいことないし、それで」

「ぼくに相談を?」

「うん、なにをすればいいと思う?」

「そうだな、運動するのが苦手なら、美術部や文芸部、囲碁、茶道、室内で行える文科系部活がある」

「なんだっけ」

「美術部」

「絵は描けないかなあ」

「文芸部」

「本を読むと寝ちゃうんだ」

「……好きなものはないのか」

「……んー……」

「たとえばテレビを見るのが好きなら、ダンス部に入るといい、あれらは芸能人に憧れている者が多いから、話が合うだろう」

「テレビは見ないんだ」

「ではネットか」

「スマホは持ってない」

「映画、音楽、料理、園芸」

「んー?」

「なら体育会系に!」

「運動は苦手だってば!」

「……君は……自分が情けなくないのか? なにひとつ好きなこともなく、打ち込むこともできず、ただ青春を……青春を……いったいなんに使ってるんだ!? テレビも見ない、趣味もない、本も読まなければどうせマンガも読まないんだろう?」

「うん」

「ではその有り余る時間を! いったい! なんに使っているんだ!? 学校のない日曜日にいったいなにをして過ごしているんだ!?」

「……なんにも、空を見て、雲が流れるのを眺めてると、一日が終わる」

「……呆れたよ、申し訳ないけど君にできるアドバイスはない、どうかお幸せに、日々の生活を楽しんでくれたまえ」

「待ってよ!」

 ぼくは踵をかえして、早足でその場を去ろうとする。背中にまとわりつく視線を振り切って、こんなことに時間を費やす暇はないのだ。そうだ、ぼくには時間が――

「会長は? 部活は入ってないでしょ、普段はなにをしてるの?」

 立ち止まり、悠然と振り向きながら、ぼくは応える。

「勉強と、生徒会の残務整理だ」

「ふーん……じゃあぼくも生徒会に入る!」

 秋空に、烏が鳴いている。帰路につく生徒たちの談笑する声、野球部が校庭でがなる声、遠くを走るトラックのエンジン音、それらがすべてマイナスデシベルになっていく。目の前でくったくなく笑っている男が、これからのぼくをめちゃくちゃに壊していくことなんて、いったい誰が想像できただろうか。

 ぼくの完璧な歯車が、そのとき一個、ズレたのだ。

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こじらせてる小学生男子と、なんだか不思議な少年のお話 呉羽冬也 @clever_1983

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