5-3.切り拓く剣の詩

 細く長い溜息が漂っていく。

 魔物の襲撃による破壊をまぬかれたものの、住人が手続きもせず引き払ったために打ち捨て去られたとある住宅の中には、沈痛な空気が漂っていた。


 《不滅》を自称する開拓者テオドリクスは、テーブルの上で組んだ手に額を当てて黙り込んでいる。懊悩おうのうという言葉をそのまま所作しょさに現したかのような姿だ。普段はテオに対してぞんざいな態度を取っているシャルは窓際から外を警戒しながらも、気の毒そうな表情を隠せていない。

 対面に座っているアリアは、テオが心底参っているところを見るのは初めてだが、これが滅多にないことであるのは察せられていた。


「悪かったって。わざとじゃあないんだ」


 言い訳がましく早口に呟いたのは、車椅子に乗った男だ。《糸繰いとくりのディーン》と呼ばれる彼もまた、開拓者の一人だった。スバルに風糸の魔法を授けた仲間であり、彼自身も凶悪な力を持つ戦士だ。今回の魔物の襲撃にも最前線に立って対応していた。


「なぜ貴殿がカレヴァンにいるのかと思えば……よもや、そのようなことになっているとはな」


 ゆっくりと面を上げたテオは、テーブルに広げたカレヴァン周辺の地図に視線を這わせた。おもむろに自分の人差し指を口に運び、柔らかい肉を食い破る。その傷口が塞がる前に、流れ出た血を地図に塗りたくった。


 世界の大半は未だ魔領域の影響下にある。カレヴァンも例外ではなく、《空の森》を除いても複数の魔領域が近い位置に存在していた。

 そのうちの一つ。ただ広く、ただ渇いているというだけだが、棲息せいそくする魔物の強靭さは他に類を見ないという魔境《荒野》。そこが今、テオによって赤く潰されたのだ。


「いつでも心臓を殺せるよう備えよと伝えたつもりだが、一体全体、なぜそうなったのだ?」

「目覚めかけたのさ」


 ディーンは波打つ長髪をかき上げようとして、失敗する。力なく落ちた腕が、車椅子の手すりにぶつかって鈍い音を立てた。


「場所の目星はつけてたから、一度《悪魔の心臓》とやらを確認しておきたかった。いや、不用意だったことは認めるが、まさかちょっと近づいただけで動き出すなんて思わないだろ? 殺すしかなかったんだよ」

(一人で殺したというのか?)


 クローディアスは驚愕を、アリアと畏敬の念を抱いた。カレヴァンで目覚めた魔族とは、スバルと組み、死力を尽くしてようやく互角だったのだ。あれほど強大な相手と単独で渡り合うとは信じがたかった。

 古木の魔族との戦いから現在までの数日間で、ディーンは何度か魔剣との会話を経験している。頭に直接響くような声に戸惑うことはなく、ただ苦笑いを返した。


やっこさん、寝起きだったからな。本調子を出される前に殺し切っただけさ。それなのに、このざまだ。情けない話だよ」


 ディーンは四肢が不自由な身体と、万物を糸と見なして自在に操る異能を持って生まれた。テオと出会った頃には自らの神経を異能で操作し、手足を使って動けるようになっていたのだが、魔族との死闘による後遺症でほころびが現れ、今は車椅子に頼っているのだった。


「責めはしない。だが面倒なことになった。スピカが殺した《熱砂の谷》、今回の戦いでは《空の森》と地下の秘匿された魔領域、そして《荒野》……近い位置にある四つの魔領域が同時期に死んだとなると、どれほどの影響が出るか見当もつかん」

「なんだか難しそうな話してんね」


 気配は、突然現れた。

 皆が一様に声の方を向くと、視線の先には小さな人影がある。一瞬前には存在しなかったはずの人物だ。


「げっ、ロン」

「ひどいなぁ。久しぶりの再会だってのに、傷ついちゃうよ、僕」


 シャルロッテの吐き捨てるような反応に、ロンと呼ばれた子供はへらへらと笑いながら手を振った。

 アリアは彼のことを知らないが、《切り拓く剣》を持つ者達の話をテオから少しばかり聞いている。その中に一人、空間転移の異能を極め、《奇術師》の異名をいただく男がいた。

 テオの外見年齢と変わらない年の頃だが、身にまとう死臭は濃い。なにより、締め切られた室内に前触れもなく転移してきた。この街ではおそれられていたジャスティンの異能すら、彼の前には児戯じぎに過ぎないのだ。

 予期せぬ来訪者にテオは一時目を輝かせたが、すぐに渋い表情に戻ると、またもや大きな溜息をつく。


「まさか……貴殿もか」

「いやぁ、僕だけじゃなくて安心したよね。ついうっかりなんだ、許してよ」


 ロンは悪びれもなく言ってのけると、懐から太い針――熟練の暗殺者が用いるという暗器に酷似したものを取り出し、投擲とうてきする。鋭い尖端が突き立ったのは、机上の地図に《氷壁の古城》と記された場所だ。


「正直、肩透かしだった。神話の怪物っていうからどんなもんかと思ったけどさ」

「そのわりに、傷一つないわけじゃないみたいだけど」


 どこか不機嫌そうなシャルの追及に、ロンは奇妙な顔で押し黙った。

 アリアもまた、気がついている。薄く漂う臭いは血のもので、得物を投げ放つ瞬間に彼の表情はわずかに強張っていた。服の下に隠しているが軽い負傷ではないようだ。


「そんなことはいいでしょ? あと《収集家コレクター》の兄ちゃんから伝言で、《錆沼》の心臓を見つけたって。いつでも殺せるみたい」

「朗報だな。《孤狼ロンリィ・ウルフ》と《狂戦士バーサーカー》も、《斬竜の道》の突破口を開いたと報告してくれた。早まったというよりは……機が熟した、と見るべきであろう」


 うつむいていたテオは、すっとおもてを上げた。

 軽薄な調子で話をしていたロンやディーンも、緩んだ顔を引き締める。あのシャルでさえもたたずまいを直した。

 テオは自らの過去を語らず、語ったところであまりに昔のことなので意味もないと言うが、おそらくは高貴な身分だったのだと誰もが思っている。それだけのすごみが、美しき異能者には備わっていた。

 やがて、開拓者テオドリクスは告げる。

 未来に長く語り継がれる、新たな神話の始まりを。


「今、このときより、開拓者は魔族を殺す戦いにおもむく。過酷な戦いだ。無数の障害が厚い壁となって立ちはだかろう。誰も望まぬ戦いだ。人々は嘆き、怒り、我らに憎悪の石を投げるだろう。それでも我らは前に進まねばならん。数多の悪意が、強大な魔が、深き闇が、その道を遮るというならば」


 りぃん、と濁った金属の音が鳴る。

 テオは赤いネックレスを――――敵を斬る剣と、道を拓く鉈の装飾を掲げて見せ、言った。


「この剣で、切り拓く」


 皆、小さく頷いた。

 使命感があるわけではない。ただ力を発散する場所を欲して開拓者に行き着いたという者も多い。しかしテオドリクスには、そういったはみ出し者を自然と惹きつけるなにかがあった。あるいは、彼自身がそうであるために。


「さて、そうと決まれば、一刻も早くカレヴァンをたねばな」

「おいおい、もう行くってのかい? アリアちゃんは目が覚めたばかりなんだろう」


 アリアは悔しげに拳を握り締めた。それは不甲斐ない自らへの憤りだ。

 魔族との戦いで疲れ果てた彼女は眠りにつき、身体を起こせるようになったのはつい先日のことだった。だが途中で何度か意識を取り戻したこともあり、現状のことはスバルやテオから聞いている。


「スバルが、《悪魔の心臓》を殺しに向かってるの。おそらくは、今頃……」


 口をつぐんだその先は、あえてアリアが言わずとも知れていた。《空の森》から奪い取られた心臓のは謎とされていたが、カレヴァンの騒動の全貌を把握している者ならば、それがギルの手元にあることは容易に推測できる。そしてギルが、心臓を簡単には手放さないだろうということも。


 決して楽な戦いにはならない。アリアは、スバルに加勢したかったのだ。たとえ彼が望まなかったとしても、肩を並べて戦いたかった。古木の魔族を共に打倒したように。

 言葉にせずとも発せられる憂慮の気配は、集まった開拓者の面々を呆れさせた。


「なに、あんた、心配してんの? あの戦闘馬鹿を?」

「頭はイマイチ回らないが、腕っぷしは本物だ。きっと無事だよ、お嬢さん」


 苦笑いをするディーンとシャルとは別に、大袈裟な溜息をつくのは《奇術師》ロンだ。


「ねぇ、こいつ大丈夫? 新しい仲間って話だけど、こんな普通の女が役に立つとは思えないんだけどさ」


 普通、という魔剣クローディアスを得てから現在まで言われたことのない文句に、アリアは怒りや恥ずかしさを感じる前に感動を覚えていた。

 強力な魔剣を手にしてはいるが、彼女の心は常人とそれほど変わらなかった。生を受けた瞬間からどこかが壊れている開拓者から見れば、あまりに普通だったのだ。

 開拓者を開拓者たらしめるのは、精神だ。太古の冒険者、欠片ほどの戦闘能力もなかった探索者の始祖《白鴉はくあのレイヴン》でさえ、力なき異常者だった。

 当然ともいえるロンの疑問に答えたのは、シャルロッテだ。


「その子、強いよ。私よりもね」


 何気なく放られた言葉は、全員を驚愕させた。

 彼女は開拓者屈指の強烈な異能を持ち、その気になれば一国すら攻め落とすことができる。なによりひねくれた性格の彼女が、手放しにアリアを褒めたのが意外だったのだ。

 もちろん、シャルがアリアを認めているのは力のこともある。

 だがそれ以上に、常人の精神を持ちながら開拓者の領域に足を踏み入れ、それでも共に戦い続けることを選んだ少女の覚悟に、心の奥底で尊敬の念を抱いていた。


 暢気のんきに話す面々に、そういうことだ、と言い放つのはテオだ。椅子の背もたれに身体を預け、天を仰いで嘆息していた。ギルの死は、この街を辛うじて支えている柱の消失を意味する。


「スバルがギルを倒せば、カレヴァンは滅びへ加速するぞ。あまり悠長にはしていられん。準備はさせている最中だが……」


 テオが呟いた直後、部屋の外に物音が立った。扉が開く気配と、足音だ。

 皆警戒をあらわにするが、シャルが味方だと告げ、緊張は霧散する。やがて現れた人影は、アリアとテオもよく知る人物だ。


「……取り込み中だったかい?」


 騎士リュークは、集まった面々を見渡して気まずげに言う。

 彼のもたらした出立準備が完了したというしらせは、この日では初めての朗報だった。



 ◇ ◆ ◇ 



 崩れた商店の、そこだけ残された壁の残骸に背を預け、スバルは息を整えていた。

 ギルとの戦いで負った傷は、ほとんど塞がっている。だが肉体へのダメージと体力の消耗は軽くはなかった。


「お疲れって様子だな。さすがのお前も、ギルが相手じゃ骨が折れたか」


 突然の声にスバルは、はっと顔を上げる。警戒は怠っていなかったはずだが、気配の主が近づいてくるまで気づけなかったのだ。

 混沌としたカレヴァンに似つかわしくない、正装をした男が視界に映った。初老に差し掛かっている年齢だろうが、油断ならない眼光をしている。


 敵意がないことを示すように両手を上げながら歩み寄ってくる男を、スバルは眉をしかめて睨みつけていた。警戒心からではなく、記憶を底からひっくり返しているからだ。男の姿には見覚えがあった。

 スバルはしばらく黙り込んでいたが、ようやく思い出して手を打つ。


「あんた……宿で見かけたな。《寝惚けた黒獅子亭》で」

「これでも支配人だ、目立っていたはずだがな。人の顔をおぼえられないのもリゲル譲りか?」


 割れた石畳に腰を下ろし、男は言った。上等な服が汚れるのもお構いなしだ。彼の出自が決して高貴なものでないことが、その仕草から推し量れた。

 スバルもまた、座り込んで彼と対面する。向けられた視線には既視感があった。ギルやウォードと同じ、スバル自身を通して別の誰かを見ている眼差しだ。


「親父を、知ってるんだな」

「知ってるもなにも、《寝惚けた黒獅子》は俺が奴に付けてやった最初の異名だぜ。そして俺自身の通り名は《バグ》……獅子に取り入った卑怯者の虫けらってわけだ」


 バグは楽しげに言いながら、懐かしむように遠い目をしていた。そこにある穏やかさは少なからずスバルを驚かせる。リゲルがカレヴァンに残したのは大きすぎる功績と、力への畏怖だけだと思っていたからだ。


「あの頃、俺はモグリの情報屋でな。とにかくひどい生活だった。日銭を稼ぐのも難しく、一緒に飯を食った相手と次の日には端金はしたがねを巡って殺し合うなんてザラさ。ロクでもない犯罪組織があちこちで覇権争いをして、路地に入れば死体がいくつも転がり、俺達はそいつらから身ぐるみを剥いで生きてた……そこに現れたのが、リゲルだ。馬鹿で、疑うことも知らないくせに、化物みたいに強い。この街を訪れたリゲルと最初に接触できたのが、俺の人生で最高の偶然だった」


 情報屋、という言葉でスバルは内心で納得をした。同じ情報を扱う者でも、探索者は事実とデータに基づいた分析を得手とする。対して情報屋は人の目や耳から得た生々しい思いを大事としていた。

 正確性は落ちるが、情報屋は時としてなによりも早く真実へ辿り着くものだ。スバルがギルの居場所へ向かった姿をバグの配下が見かけ、彼に報告をしたに違いなかった。

 バグは懐から小型の水筒を取り出し、勢いよくあおる。満足げに一息をつくと、スバルに投げて寄越す。お前の親父が好きだった酒だ、と一言を添えた。


「凄腕の情報屋なんて嘘をついて、奴に取り入った。騙されて、さげすまれて、失敗して……俺のせいで普通なら何百回も死ぬような目に遭っても、リゲルは俺を疑わず、見限らなかった。親鳥の後を追いかける雛みたいだったぜ。あんなに馬鹿正直な信頼を俺は知らなかった」

「正真正銘の馬鹿だと思うよ。息子の目から見てもな」

「その馬鹿のおかげで、俺の商売も軌道に乗った。リゲルは《斬り裂く刃ツェアライセン》なんて大層な連中に引き抜かれて会う機会もなくなったが、いつか恩を百倍にして返してやろうと思ったもんさ」


 スバルは水筒の中身を飲み干し、バグへ投げ返した。複雑な心境を映した表情は酒の好みが合わなかったのではなく、バグの語り口に忸怩じくじたる思いを感じ取ったからだ。


「恩返し、できなかったのか」

「気づいたときには、リゲルは街を出ていた。戦いを求めて旅立ったなんて言われてたが、そんな話を信じるほど俺は馬鹿じゃない」


 バグは忌々しげに吐き捨てた。リゲルは考えなしの言動で無意識に騒動を招き、そして暴力以外の方法で問題を解決するすべを知らなかったが、少なくとも自ら騒乱を望むことはなかった。

 彼が謀略によって街を追われたことは明白で、それを事前に察知できなかったことをバグは今に至るまで悔いていたのだ。


「納得いかなかったが、なにもかも捨てて奴を追いかけるには俺も背負うものが大きすぎた。だから、俺は宿場を牛耳ったのさ。いつか奴がカレヴァンに戻ってきたとき、どうせ無一文で放浪してるところに最高級の宿を見せつけて、馬鹿にしながら歓待してやるためにな。そのためなら、なんでもやった。気がつけば裏社会の首領の一人に数えられるまでに成り上がったさ。だがリゲルは遂に戻ってこなかった」

「で、俺を見つけたってわけか。親父の代わりかよ」

「気に食わんだろうが、助かっただろ? 教えておいてやるが、お前が最初に泊まった部屋の支払い、適正価格の十分の一だったんだぜ。俺が便宜を図ったおかげでな」


 スバルは知らぬ間に施しを受けていた事実に、顔を不機嫌そうに歪めた。

 そして実のところ、スバルらが得ていた恩恵はそれだけに留まらない。開拓者の行方をくらませるための情報操作、隠れ家の提供、治安維持部隊の足止めなど、リゲルの知己であり同じくスバルを援護する立場であったテオドリクスの依頼で、バグはカレヴァンを裏から支配する者の一人としての力を遺憾なく発揮していた。


 スバルの表情を見て、バグは楽しげに身体を揺らす。

 数十年、バートランド・ギルの率いる冒険者ギルドと拮抗しながらカレヴァンを生き抜いてきた。決して楽な日々ではない。幾度となく死にかけ、首領の座を脅かされ、しかしすべての敵を退けてきた。

 すべては、このためだった。

 共に激動の中を過ごした同士の面影を持つ男の、ねてむくれた顔が、バグが人生をかけて求めてきたすべてだったのだ。


「開拓者を名乗る連中の依頼で手筈てはずは整えた。今なら自警団の連中を全員ぶちのめさなくても、無事に街を脱出できるだろう。……これがお前にしてやれる最後だ」


 おもむろに立ち上がり、バグは軽く肩を竦めた。

 スバルは、ギルの持つ心臓を殺し次第、街を出ることをテオと話をつけている。どうやら、それはバグの領分らしかった。


「あんたは、どうするんだ」


 流れ者のスバルと違い、バグはカレヴァンに根差した大組織のトップだ。そういった人物が自分だけ逃走する例はあるが、バグがそのような臆病者だとはスバルには思えない。


「ここで生まれ、ここで成り上がった。ここで死ぬさ」


 バグはスバルに背を向け、ひらひらと手を振った。変わらず飄々ひょうひょうとしているが、表情はうかがい知れない。


「リゲルに会ったら伝えてくれよ。あんたに付きまとった虫けらは、あんたの息子の役に立ったってな」

「いやだね」


 にべもない返答は、内容に反して柔らかい声音だった。スバルもバグに続いて立ち上がり、向かう先へと歩を進める。


「いつか親父も連れて戻ってくる。そういうことは直接、自分で言うんだな」


 カレヴァンは衰退を免れない。だがバグのように、街を離れることができない人間も一定数が存在した。そして魔領域の死は天変地異にも匹敵する影響をもたらすが、それが人類にとって必ずしも悪い方にだけ働くものではないはずだった。

 滅亡があるならば、再生もあるはず――楽観的な見方ではある。それでも、襲いくる滅びの未来に対して掲げるものが、白旗か、武器か、それを選ぶ権利はカレヴァンの人々にも残されていた。

 バグは、答えない。しかしスバルにはわかっていた。

 《凶刃ブルーティッシュ・エッジ》と手を組むほどの男が、たかが目前に破滅が迫ったというだけで怖気づくはずがないのだと。


「スバルさん! やっと見つけた」


 バグの背が見えなくなる頃、弾む声がスバルを呼んだ。

 息を切らして現れたのは、開拓者エレオノーラ。魔族を殺したあの日から、これまで以上にせわしなく動いて情報を集めていた功労者だ。


「よう。どうしたんだ、そんなに急いで」

「どうしたんだ、じゃないですよ! 遅いから迎えにきたんじゃないですか……《悪魔の心臓》は、殺したんですね?」


 気遣きづかわしげにノーラは言う。《空の森》の心臓が残っていることは彼女も把握していた。それがおそらく、ギルの管理下にあるだろうということも。心臓を破壊するには、ギルとの戦闘は必至だ。

 スバルは首肯しゅこうした。言葉は、ない。重要なのは事実だけで、ギルの死に様はスバルの心の中だけに留め置かれた。


「今頃、リュークさんが準備と手続きを終えているはずです。これからバートランド・ギル不在による混乱が起きるでしょうし、早く検問に行かないと私達だけ取り残されちゃいますよ」

「なんであいつが使いっ走りみたいなことしてるんだ?」


 仮にも騎士団長に上り詰めた豪傑である。あまり偉ぶらない男だが、嬉々として雑用をするほど殊勝でもないはずだった。

 ノーラは、なんとも言えない、苛立ちと哀れみと戸惑いを混ぜたような表情で、珍しく荒い語調で吐き捨てる。


「スバルさんだけだと思ってたんですけど、開拓者って皆、あんな感じなんですね。なまじ強くて、適当にしてても困難を切り抜けられるから、旅の前準備とかまともにしてくれないんです。私とリュークさんとアリアさんくらいですよ、ちゃんとしてるのって。私は情報収集でそれどころじゃないし、アリアさんは寝込んでいるとなると、自由に動けるのはリュークさんしかいなかったんです。おわかりになりましたか」

「お……おう。わかった。悪かった」

「ならば、ついてきてください。いいですね?」


 有無をも言わせない迫力に、スバルはこくこくと頷く。

 最もおそれられる人種である探索者、その片鱗を目の当たりにしたのだ。おそらくは、考えうる限り最もくだらない理由で。



 ◇ ◆ ◇ 



 街を訪れたときの慌ただしさと打って変わって、旅立ちはひどく順調で、あっさりしたものだった。

 スバルはアリア達と何事もなく合流すると、再会の喜びもそこそこに大きめの馬車へ詰め込まれた。門から堂々と出立すれば、遠い前方にはスバルらの前に検問を抜けた旅人達の姿が見える。きっと後ろにも同じように人が続くのだろう。


 どこまでも広がる荒れ果てた大地は、ロマンチストには新たなる旅立ちの感動を与えるかもしれない。だが残念ながら、それほど感受性の強い人物は、この馬車にはいなかった。

 がたがたと揺れる車内で、暇を持て余し気味のスバルが欠伸あくびをする。正面に座っているシャルが、ぐっと歯を食いしばった。どうやらつられて欠伸しそうになったのを噛み殺したらしい。

 退屈に耐えかねたスバルは、御者台の方を拳で叩いて声を張り上げた。


「なぁ、よく何事もなく検問を通れたな。お前、指名手配犯だろ?」

他人事ひとごとみたいに言うけど、君も大概だからな」


 返ってきたのは、苦笑を帯びた文句だった。

 御者台にいるのは、リュークとノーラだ。二頭繋がれた馬を操っている――と見せかけて、実のところ馬はシャルの異能で作られたものなので、彼らは前方の偵察と周囲に対するカモフラージュでしかない。


「権力者に頼ったんです。なぜかリュークさんと懇意こんいになっていた《雌豹めひょう》の配下に紛れ込んでもらって、素通りさせてもらったんですよ」


 ノーラの説明は普段通りの柔らかな口調だったが、どうにも棘がある。勇猛果敢な騎士が言葉を詰まらせる気配を察して、あいつも大変だな、とスバルは肩を竦めた。


「そういえば……鍛冶屋のおじさんに、挨拶できなかったね」


 スバルの隣に座っているアリアが呟く。脇に立てかけた魔剣も、きらりと物言いたげな光を放った。

 うらぶれた路地の、擦り切れた看板を下げた小さな店。華やかさの欠片もない、しかし確かな質を備えた武具の数々。ずんぐりとした店主は寡黙で不愛想だが、あてもなく彷徨さまよう少女を支えてくれた。


 スバルは一瞬、逡巡しゅんじゅんする。

 彼の正体を、アリアは知らない。これから知る機会もないだろう。

 黙っていれば誰も傷つかない。いつかまた会えるさ、と優しい言葉を作れば、良い思い出として記憶の片隅に転がるはずだった。


「死んだよ」


 だが、スバルは真実を告げた。

 見開かれたアリアの瞳を見つめて、はっきりと。


「俺が殺した」


 沈黙は長かった。なにかを察したシャルがちらりと目線を送り、テオが面白そうに口唇で弧を描く。スバルとアリアだけが、静謐せいひつな空間に取り残される。


(敵、だったのか)


 やがて、クローディアスが絞り出すように呟いた。彼はスバルが意味もなく恩人を殺すような者ではないと知っている。


「あのおっさんは《斬り裂く刃》のウォードだった。ギルの命令で俺を狙い、返り討ちに遭った。それだけだ」


 アリアは小さな拳を強く握りしめていた。彼女は、直接はウォードと会っていない。微睡まどろみの中からクローディアスの行動を通してうっすらと認識していた程度だが、それでもウォードの不器用な優しさはおぼえていた。彼がいなければ、おそらくクローディアスはスバルと出会うより早く人の世に見切りをつけていただろう。

 あのやり取りの、すべてが偽りだったのだろうか。

 厳しさの中に慈しむような光が、彼の双眸そうぼうに見えたのは錯覚だったのだろうか。

 まだ信じたいと思ってしまうのは弱さなのだろうか。もはや真実は闇の向こうで、答える者もなく、永遠に明らかとされることはない。


「これが我々の宿命だよ。これから貴殿が背負う宿命でもある」


 テオが《切り拓く剣》を揺らし、耳障りな音を鳴らす。濁った響きは不吉の先触れであり、戦いにのぞむ剣士の雄叫びのようでもあった。


「優しさとは裏切りの布石。施しの影には毒を塗られたナイフ。我らは世界の敵となり、世界は我らの敵となる。……怖気づいたかね?」

「――いいえ」


 アリアは切なげな瞳を閉じる。

 そして次に開いたときには、苛烈な光が湛えられていた。

 その輝きとは、信ずるもののため、どこまでも意志を通し、なにかを傷つけることをもいとわない決意。開拓者と呼ばれる人間に最も必要とされるものだ。


「教えてくれて、ありがとう。スバル」


 アリアは、悲しみを受け止めた胸の内に、小さな喜びを抱いていた。

 きっと以前のスバルなら、アリアのために優しい嘘をついただろう。それをしなかったのは、アリアを自身の隣に並び立つ戦士だと認めているからだ。


 スバルもまた、自分の心の動きを確かに自覚していた。

 不思議なものだ――と、思わずにはいられない。

 家族と別れて旅立ち、人と相容あいいれないことを悟って、カレヴァンに独りで訪れたはずだった。落ち着いてみれば、現状はとても奇妙なものに思える。


「あの……どうかした?」


 黙って見つめていると、アリアは恥ずかしげに俯く。

 彼女との出会いも普通ではなかった。街に辿り着いた直後、クローディアスが主導権を持っていたアリアが、馬車の前に飛び出してきたのだ。

 悲劇と裏切りに疲れて安息の死を求めていた彼女を、スバルは都合のいい案内役として勧誘した。それが今では、肩を並べて戦おうとしている。あの頃には想像もつかなかった未来だ。


(不思議なえにしだと、戸惑っているのだろう。なにを言えばいいのか、言葉が見つからないのではないか?)

「おい、お前、実は人の心を読めるとか言わないよな?」

(心を読んだわけではない。……私達も、同じ気持ちだというだけだ)


 魔剣クローディアスの声は空気を通さない思念そのものだが、どこか震えているように感じられた。

 事態は改善したわけではない。アリアは強すぎる力をうとまれ、狙われ、更には《切り拓く剣》を得たことでおそれられている。それはクローディアスが望み続けた平穏とは程遠い現実だ。

 だが今、アリアの周りには仲間がいた。

 アリアを上回るほどの異常性と脅威を孕んだ、ろくでもない連中だ。だからこそアリアと対等でいられる。魔剣と一心同体である《白竜ホワイト・スケイル》をすら、普通の女と呼んでくれる。

 クローディアスが望んだものではないが、なによりも得がたい未来が、そこにあったのだ。


「まったく……なに感傷に浸ってんだか」


 兄貴分の変化に、むずがゆそうな顔でシャルロッテが鼻を鳴らす。

 竹を割ったような性格の彼女らしく、嘲りや揶揄やゆではない。ただ長い間を家族として過ごしたスバルが成長した姿を素直に祝福できるほど、彼女も大人になり切れてはいなかったのだった。


「なんだよ。文句あるのか」

「別に文句なんかない。残念なお知らせがあるだけ」


 前触れもなく放たれた不穏な言葉に、一同が同時に眉をひそめた。

 問い詰める暇はない。御者台の方から、がんがんと壁を叩く音がすると、リュークの張り上げた声が届く。


「どうかしたかね?」

「前を進んでた一団から一人、馬に乗った男がこっちにくる。なにかあったみたいだ」


 自然と、皆の視線はシャルへ向いた。使い魔を通して周囲を探索できる彼女の力は、こうした開けた場所でこそ真価を発揮するのだ。

 そして彼女は、心底嫌そうに溜息をつき、告げる。


「二時の方向。まだ距離は遠いけど、魔物の大群が移動してる。まっすぐ行ったら直撃コースね」

「妙ですね。カレヴァンの周りにはそんな生態の魔物は棲息していないはずなんですが」

「残念、この辺にいない連中。巨像ゴーレム地虫ワームがうじゃうじゃいる」

(それではまるで、《腐肉迷宮アビス》のような……)


 シャルと言葉を交わしたノーラとクローディアスは、そのことに気づいて同時に絶句した。

 そもそも一行の次なる目的地は都市アルバート跡地だ。探索拠点が滅亡したために冒険者が消えてしまった《腐肉迷宮アビス》を偵察するために、こうして旅立っている。


 だが、シャルが見つけたという魔物の大群は、そのアビスで見られる種類が大半を占めているという。

 通常、魔領域の魔物が外界へ出ることは少ない。

 例外は、増えすぎた魔物があふれたか――――魔領域自体が死んだか。


「まったく、今度は誰の仕業だ? アビスの攻略を頼んだ開拓者など、心当たりがないぞ」


 テオは天井を仰ぎ、自棄やけ気味に言った。立てた計画のなにもかもが狂わされている現状は、不滅の少年にすら心理的なダメージを与えているらしい。


「とにかく、このまま行っては呑み込まれてしまいます! 一旦はカレヴァンに引き返して……」

「駄目!」


 アリアは鋭く言い放つと、立ち上がって馬車の扉を開いた。

 視線を遠くへ飛ばし、じっと耳を澄ませる。彼女の人間離れした五感は、あるいは魔物達を視認しているだろう前方の旅人達よりも正確に状況を把握していた。


「私達の前を進んでる人達、今から逃げても間に合わない! 食い止めないと!」

「おいおい、正気か!?」


 さすがのリュークも、呆れと驚愕が入り混じったような調子で叫んだ。彼は戦闘狂に類する人間ではあるが、無益な上に過酷な戦いを好む性質たちではない。


 一方、勢いのまま行動したアリアは、内心で冷や汗をかいていた。

 自分は開拓者の道行きに飛び込んだ異物だ。このような場面で、皆の今後を決定する権限などない。

 不安を隠せずに視線をさまよわせ、そしてスバルを見た。

 アリアがおそれていた失望の感情は、そこにはない。

 あるのはただ、あの不敵な表情だけだ。


「そういうことだ。シャル、馬を魔物に向けて走らせてくれ。全力でな」


 ウォードの置き土産である剣に手をかけ、そう言ってのけた。ギルとの戦闘での疲労など、影も形も見当たらない。


 シャルは、珍しく声を上げて笑った。

 アリアは決してシャルに責められると考えていたわけではないが、笑われるのも想定外で面食らっている。


「面白そうだから援護する。いいよ、行こう」

「……どうやら、余はおそろしい娘を味方に引き入れてしまったようだな」


 シャルは二人の困惑など素知らぬ顔で目尻を拭い、どこかすっきりとした調子で言った。

 その横でテオが諸手もろてを上げる。好きにしろ、のポーズだ。


 開拓者達のやり取りを聞いて愕然とするのは御者台に座るエレオノーラだ。

 彼女の本領は頭脳労働と諜報活動なのであって、戦闘は未然に防ぐか避けるものなのだ。嬉々として飛び込んでいくものでは決してない。

 説得の助力を頼むつもりで傍らのリュークに目をやり、いよいよ頭を抱えた。


「彼らがそのつもりなら、仕方ないな。加勢するしかなさそうだ」

「俺達を口実にするなよ。お前も楽しんでるくせに」

「なにを言うんだ。今回も不可抗力さ」


 スバルと軽口を叩き合いながら、リュークは既に腰の聖剣に手を置き、眼は戦いの予感にあおく燃え上がっていた。普段は常識人の振りをしているが、彼もまた心の中に魔性を飼っている男なのだ。

 ノーラは、腹をくくる。

 懐から取り出した遠眼鏡で、シャルが示した方角を見据みすえる。魔物達は目的があって進行しているわけではなく、突如として住処すみかを失って恐慌に駆られているだけだ。ならば、一気呵成いっきかせいに畳みかければ勝ち目はある。


「もう……だったら、切り込む場所は私が指示します! 言っておきますけど、馬車が壊れたり、戦いに気を取られて道を見失ったりしても知りませんからね!」


 半ば悲鳴じみた声に、アリアも申し訳なさそうな顔をする。だが自らの信念にかけて、この判断を後悔することはなかった。


(スバル。もしノーラの危惧する事態になったら、どうするべきだろうな)


 クローディアスは、どこか高揚こうようしていた。呼びかける思念にも、からかうような響きがある。

 そしてスバルは、にやりと口を吊り上げた。

 カレヴァンでの戦いの最中、幾度となく襲いかかってきた脅威に向けたように、獰猛に。


「そのときは、そのときだろ」


 次の瞬間、馬車を引く二頭の黒い馬が、シャルに従って全力疾走を開始する。

 スバルらに魔物の襲来を報せにきただろう、前方の一団からやってきた使いの男の唖然とした顔を尻目に駆け抜けた。


 彼らは茫漠ぼうばくとした荒野を行く。人にあだなす魔の者へと一直線に向かう。

 道なき道を鉈で切り拓き、立ち塞がる敵を剣で斬り払っていく。

 それが、開拓者なのだ。



 ◇ ◆ ◇ 



 このような鬼気迫る光景は、珍しいものではなくなった。

 立て続けに複数の魔領域を殺し切った開拓者だが、やがて魔族は目覚め、戦いは熾烈を極めていく。


 時は、魔族達の進出を人類が打破してから数百年。

 爆発的に拡大し、傷跡のように残された《魔領域》を、冒険者――――特に赤い剣と鉈の装飾を身に着けた開拓者と呼ばれる者達が攻略し始めた頃。

 眠りについてなお世界に大きな影響を与えて縛り続けていた魔族から、人類が解き放たれつつある、後に《解放期》と名づけられる時代だ。


 ここまでの物語は、解放期を歌う叙事詩じょじしの中で最も名高いものの一つ。

 《切り拓く剣の詩》、その序章である。



ブルーティッシュ・エッジ -切り拓く剣の詩- <了>

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ブルーティッシュ・エッジ -切り拓く剣の詩- テイル @TailOfSleipnir

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