あなたのステムでちゃんと言え
黙ってその様子を見詰めていた律樹が二人に寄れば、ひょいと綾瀬を自分側へ引き寄せた。当の本人は抵抗することも無く、ぽすんと律樹の腕の中に収まる。
それら一連の動作を見届けてから、菊は蜜姫の肩を叩いた。
「俺らが言いたいこと、そのじゃじゃ馬が殆ど言ってくれたわ。とりあえず、バカ蜜姫。心配したやろ」
流れるようにして菊は、柔らかそうに揺れる蜜姫の髪をくしゃりと撫でた。
続くように律樹は、「おんまえ、せめて連絡くらい取らせろよ。俺らがこの暴れ馬鎮めるのどんだけ大変だったか知ってんのか?とにかく、よかった、会えて」自分の胸に蹲る綾瀬の頭をぽんぽんと撫でながら、にっと口角を上げて笑った。
目を開いて固まっていた蜜姫は、何度かゆっくりと瞬きをしてから、目を細めて微笑む。
私の部下は、相も変わらず心根の優しい馬鹿たちばかりみたいだな。
熱くなる目頭のことを気にしないふりをして、小さく、早口で「ありがとう」呟いた。
聞こえるはずのない大きさだったにもかかわらず、3人同時に「ばーか」声を揃えて言うもんだから堪えきれなくなった蜜姫は吹き出した。
「長官。そろそろお時間宜しいでしょうか」
和気藹々とした雰囲気を切り取ったのは蜜姫の後ろから現れた男だった。こちらも上等なスーツを着込んでいる。髪もきっちりセットされている。その男の目付きはどんなによく言っても律樹たち3人を歓迎しているようには見えなかった。
声に振り返った蜜姫は眉を顰めながらも「ああ、すまない。すぐに移動しよう」こくんと頷き後ろの3人に手招きして着いてこいと合図を送る。現れでた感じの悪い男に気分を害されながらも律樹と菊は蜜姫のあとを追う。律樹に手を引かれながら綾瀬も俯きつつ歩き出した。
通された先は、モノクロで統一された高級感のある部屋だった。扉を入って真正面に見えるのは大きな窓。その前に黒く大きめのデスクがあり、壁には1面ぎっしりと本やらファイルやらが詰め込まれていた。壁一面の棚の真ん中辺りにはかなり大きいテレビが1台。部屋の中央には黒地に白の足をした机と、それを挟むように3人がけくらいの大きく黒いソファが2つ。部屋の奥には黒く重々しい扉が見える。どことなく、黒軍時代の司令室を思い浮かべてしまう。
ここにつくまでに綾瀬はすっかり泣き止んでいて、律樹の手をするりと抜け蜜姫の隣できゃいきゃい騒いでいた。こいつの変わり身の早さには頭が下がるわ。綾瀬の後ろ姿を見ながら菊はそう呟くのである。
「ついて早々で悪いが、本題に移らせてもらう」
蜜姫がコツコツとヒールを鳴らしながら、デスクの前に立った。3人はほぼ脊椎反射的に、横一列、蜜姫の目の前に並んだ。もう年単位で過去になる動作であるが、体の芯から染み付いているのだろう。頭で考えるより先に体が動いていた。そんな3人の行動に一瞬目を丸めた後、くすりと笑ったのは蜜姫。
「つい8時間程前だな。この国、日本で同時に3箇所、爆破テロが起きた。ひとつはお前達の大学。それから特部の本部。そして、ある市の田舎の動物保護施設の3箇所だ」
「動物保護施設?」
確かに画面の中の猫面は大学の他に2箇所爆破させたと言っていた。だけど、今聞いただけではこの3箇所に関連性が見いだせない。
顔を歪めた菊を見たが、蜜姫は淡々と続ける。
「どれもほぼ同じ時刻に起きたことでな。特部本部と動物保護施設、二つからの情報はこうだ。まず突然爆発音がした。それからこれもまた突然、スーツを着てガスマスクをつけた男女数人が現れ攻撃してきた。それらを倒してマスクを除けてみれば全員、元黒軍篠原隊の隊員だった。それに戸惑っていれば、倒したスーツたちから映像が映し出されて、特部には犬面の男が、施設の方は猫面の男がその映像の中に現れたそうだ。その映像は元黒軍篠原隊の隊員が虐殺されている現場だった」
「それ、あたしらんとこもほぼ同じ…」
「やはり、か…」
「でもちょっと違う」
起きた出来事を口で説明するより、見せた方が早い。そう判断した菊が録画していた動画を見せる。それを見終わった蜜姫は「…、犬面と、猫面と、兎面か…」目を伏せながらスマホを返した。
「俺らはその後、影薄達が爆発したんだけど、他のところは?」
「いや、その話は聞いていないな。というかお前ら至近距離の爆破で怪我はなかった…のか?」
「殺傷能力高くない奴だったみたいだから大丈夫やったわ」
「俺ってもしかして超強い?」
「律樹黙って」
至近距離で爆発に巻き込まれたのにほぼ無傷な上にあっけらかんとしている3人にこっそり頭を抱えたのは秘密だ。これだけ非日常が起きているのにぎゃいのぎゃいのと騒ぐリツアヤと、我関せずを貫き通す菊は、良くも悪くもマイペース。はあ、とひとつため息をついた蜜姫はまた言葉を繋げる。
「お前達なら気付いているとは思うが、被害者加害者、今まで出てきた主要登場人物全て、私の隊に所属していた者達ばかりだ。」
「え、でも待って。特部は千里ちゃんなの分かるけど、動物保護施設の被害者は?」
「それは私ですよ」
がちゃりと音がして、部屋の奥の扉から出てきたのは3人が久しく見ていない人の姿だった。突然すぎる登場にリアクションが上手くできないでいると、その人は「すみませんお邪魔でしたか?」扉を締めようとするもんだから慌てて「大丈夫ストップびっくりした久しぶり!?」綾瀬が駆け寄る。
彼女の名前は緒方詩織。青みがかった黒髪を三つ編みにしているのがトレードマークだったが、今は括らずに緩くパーマのかかった髪をおろしていた。少しだけ大人っぽくなっただろうか。最後に見た姿と大きな変化のない詩織に綾瀬は飛び付き、「久しぶり詩織ちゃん!」ぎゅうぎゅうと抱き締める。当の本人は「お久しぶりです、綾瀬ちゃん。そろそろ呼吸が困難になりそうです」冷静に返す。そんなやりとりに「変わんねぇなー」けらり笑うのは律樹だった。
「詩織ちゃんは今動物保護施設で働いてるの?」
「そうですね。といっても大きな施設ではありませんよ。私と兄とあと何人かで住み込みながらの、小さな古民家の様な所です。身寄りのない動物達を預かって、お世話をして、飼い主さんを探してという活動を行っています」
「ほげー、あの結請が!ところで結請は?」
「兄は今、用事でイタリアへ飛んでます。携帯が海外使用不可のもので連絡は取れませんが…」
「今どき海外対応してないスマホってあんのね…」
「つーか、詩織がテロに巻き込まれてるとか聞いたら結請やばそうだな?」
「あ、動物達は全員無傷でしたよ」
「おう、そうか、良かった、俺言ったのそこじゃねえけど、うん」
再会を1通り喜んだ後、本題に戻るためまた蜜姫の前並んだ。もう部下ではないのだと蜜姫は苦笑いをして、ソファへと座るよう進めると全員遠慮なく着席。こいつらに遠慮というものをきちんと教えてくるべきだったと軽く後悔する蜜姫である。
「で、話を戻そう。こうまでして私の元部下達が狙われているのに放っておけるはずがない。そこでだ。今、私の部下に頼んで全国各地に散らばる元部下達を保護して回っている」
「それで俺達も呼ばれた…ってわけじゃねーだろ」
蜜姫が言葉を紡ぐよりも早く、律樹がにやりと口角を上げながらそう言った。予想打にしない言葉だったのか蜜姫は目を丸め、そして他3人の顔も見れば全員悪そうに笑っているではないか。額を押さえ目の前の4人から顔を隠すような仕草をすると、はぁ、と少し大きめにため息を吐いた。しかし、その口元には隠し切れない笑が浮かべてあって。
どうしてこうも、勘が良いんだろうな。全く、困ったもんだ。でも、だからこそこの決断が下せた訳なんだが。
蜜姫の中で拭いきれていなかった不安。4人の悪巧み笑顔。もう1度4人の顔を見たときにも同じような顔だったので思わず困ったように笑ってみせた。
「ああ。…先に言っておくがこれは命令ではない。だから強制するつもりはない」
そう前置きして、不安の残る瞳で4人を見渡した。
「今回のテロ騒動は私が管轄することになっている。何せ、私の元部下達が被害者加害者であるからな。そこで、私に与えられた部隊があるんだが、これだけのテロを国に全く悟られず起こした犯人たちだ。実戦経験ほぼ無に等しい隊長格が並んでも壊滅が目に見えているだろう?…だから、お前たちに頼みたい。一時的でいいから、私の部下に戻って、欲しいんだ」
最後の方は、無意識であれ声が震えていた。
もう一般人の。しかもまだ学生だったりもする彼らに。1度切り離した彼らを。どうしても頼らなければいけない理由がある。
生温い訓練しか受けていないうちの部隊を叩き上げてくれる隊長格が。士気を爆発的に上げてくれるクラッシャーが。抜群の身体能力を持つ暴れ馬が。冷静な判断を下し闇へと身を投げ静かにその時を待てる暗殺者が。
どうしても、必要だった。
出来ることなら一般人の彼らを巻き込みたくない。やっと掴んだ平穏を私の手で壊したくない。もうあんな血腥い場所に行って欲しくない。
それでも、これ以上被害を出す前に。
蜜姫にとっては苦渋過ぎる決断だった。けれども、彼女の背負うものは一個の軍から、ひとつの国へと規模が変わっていて。苦しい感情を押し殺してでもこの声を彼らへ押し付ける必要があった。それで嫌だと言われたのなら、構わない。彼らにはもう、ちゃんとした生活がある。平穏を自ら壊す必要などないのだから。
机の上で握った手に自然と力が入るのが分かった。蜜姫は情けない、と心の中で呟いた時。頬を両手で包まれ無理矢理上へと向けられる。
え、お前いつの間に移動したんだ。
先程から前を見据えて話していたのに。
目の前に迫ったのは意外にも菊だった。
「お前今まで俺らとアホみたいに長いこと過ごしてきたやろが。この数年で忘れたんか?お前の頭ん中は空か?綾瀬ちゃうんやから、ちょっと考えたら分かるやろ。綾瀬ちゃうんやから。」
「おい二回言いやがったぞあいつ殺す」
「ステイ綾瀬」
「俺らがお前の頼みを断ると思うか。お前の助けを無視すると思うか。考え過ぎやねん、蜜姫。そんなガタガタの声で言われたって俺らは分からへんわ。いつもみたいにしゃんとした声で言うてみい。俺らに、どうして欲しいんや」
間近で見る菊の顔は迫力がある。それでも菊の言葉を一言一句聞き逃さぬ様にその瞳をじっと捉えていた蜜姫が、ふっと笑った。
「蜜姫先輩。私は、いつまでもあなたの部下ですよ」
「あたしね、蜜姫ちゃんのこと大好きなんだよね!知ってっしょ?」
「まーなんだ、俺らはさ、お前に守って欲しいんじゃなくて、お前と対等にいたいわけ。この意味分かるよな」
拭いきれていなかった不安。次々と声をかけてくる彼らに、それが馬鹿みたいに思えてきた。
あいつらが私のことを恨んでいるのでは。頼みなんか聞いてくれないのでは。ましてや、助けてなんて。
考えるだけ無駄だと、笑えるくらいに。
菊の手をやんわりと解くと、菊はすんなり体を横にずらし、蜜姫はまた全員を視界へと捉えた。そうして、凛とした声で彼らに告げるのだ。
「菊、律樹、綾瀬、詩織。私に力を貸してくれ。もう1度、共に戦ってくれないか」
にっと笑った4人は声を揃えて言うのである。
「仰せのままに!」
グローリアを誓え。 れむ @remu_06
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