あなたとのブローヴン
「久しいのにそんな顔をしないでくれ、綾瀬。私はお前の笑った顔が好きだから」
「ぅ、蜜姫ちゃ、っ、ばかぁぁっ」
困った様に笑う彼女――蜜姫は腕の中でぽろぼろ涙を流す綾瀬の頭を優しく撫でた。髪の毛、切ったんだな。昔よりうんと女性らしく綺麗になったな。背も少し伸びたか?律樹とは仲良くやっているのか?なんて、色々な言葉が喉元に引っかかる。
ぐずぐずと泣く綾瀬を見詰めていれば蜜姫の顔に
影が落ちてきた。顔を上げてみれば菊と律樹の姿。2人とも、柔らかく、困ったように、嬉しそうに、悲しそうに、安堵したように、怒ったように、複雑そうな笑顔を向けている。
「お前達も久しぶりだな、菊、律樹」
「そいつ、お前のことずっと気にしてた」
「…そうか、」
蜜姫のスーツを握って泣き止むことを知らないのか止め方を忘れたのか涙を流し続ける綾瀬。彼女がこんなになるのにも理由があり。
篠原蜜姫。若干20歳にして新政府の防衛庁長官兼、経済産業省に所属する超エリート。彼女も昔、学生戦争に参加していた。それも黒軍篠原隊司令隊長という身分で。大事な部下のため、大切な人のために日々苦しい決断を強いられながら息をしてきた。
そんな彼女は、一言で言えば知りすぎた。戦争のこと、国のこと、裏のこと、歴史のこと、何もかも。生きることに生きさせることに必死だった彼女は気が付かなかった。気がついていたのかもしれない。それでも知ることをやめなかった。
だから彼女は、まだ国に囚われている。
「その…、怒っているか?」
蜜姫にしては珍しい、不安要素を前面に押し出した声色と表情。それにぴくりと反応した律樹と菊は、蜜姫の表情とは裏腹に、それはそれは爽やかな笑顔を浮かべた。そして、蜜姫の腕の中にいた綾瀬ががばりと顔を上げたのだ。瞳には明確な怒気を含んで。
蜜姫は本能で、あ、やばいなこれ、と悟る。悟ったところでどうしようもないことは本人がよーく分かっている。
「怒ってるわこんのバカ!!!」
先程の弱々しく泣いていた少女らどこへやら。綾瀬は物凄い剣幕で蜜姫に怒鳴りつけた。その大声は開けているはずの国会議事堂前の広場に懇々と木霊すではないか。どんだけでかいんだ。綾瀬は自分よりも背の高い蜜姫の胸倉を掴み自分側に引き寄せ、赤く腫れた目を釣り上げて続ける。
「大事な人なのに!守ってあげたい人なのに!どうしていっつも自分ばかり犠牲にするの!なんで頼ってくれないの!なんで突き放すの!」
「あたし達があの後どれだけ苦しかったか知ってるの!?蜜姫ちゃんの犠牲の上で平穏な生活してるなんてどれだけ苦しかったか分かる?!それでも投げ出せなかった!逃げ出せなかった!あんたが大切で心配で大好きだから!馬鹿みたい…!蜜姫ちゃんもあたしらも、みんな、みんな馬鹿みたい…っ」
捲し立てるように言い切った綾瀬はずるり、と力なく腕を下ろした。俯いたその顔からは表情が伺えない。
綾瀬が怒り悲しむのも仕方がないと思う。
このことを説明するには数年前の過去にまで遡らなければならない。
隊員が屋内演習場に集められ、蜜姫から告げられたのは突然の終戦宣言。それはもう唐突に。本日の任務をきっちり組んでミーティングまで済ませていた隊員までいたのに、だ。お互いに顔を見合わせザワつく部下達を見ても動揺を示さない蜜姫はこう続けた。
『こんな唐突に終戦を告げられ、これからの未来に戸惑う人らもいるだろう。大丈夫だ、安心してくれ。黒軍隊員として、実務を熟した隊員全ては社会人になるまでに必要な費用をお国が払ってくださる。高校、大学、家賃、食費、娯楽費、そのほか諸々必要と思うもの全てだ』
『すぐ就職を希望する人たちはそれ相応の金銭が政府から支給される。これまで命を懸けて我軍のために尽力してくれた恩をほんの少しでも返したいんだ。』
『必要な手続きはまた追って連絡する。それまでは敷地から出ないようにな』
眉を下げて笑った蜜姫は理解出来ていない隊員に目もくれずその場を後にした。その姿が消え、ハットして弾かれたように駆け出したのは綾瀬だったか菊だったか覚えていないが。それに続くよう数人が走り出す。
扉を破壊する勢いで入ったのは司令室。幾度となくその足でこの場に通い、時に笑い時に怒り時に涙を見せた場所。蜜姫と親しい間柄の人間のたまり場になっていたような場所。
そんな場所に、再び集まった。
『揃いも揃って…、どうした?不明な点でもあったか?』
普段通りデスクに向かっていた蜜姫。そんな彼女に戸惑いを隠せなかった彼らだが、意を決して口を開いたのは意外にも律樹だった。
『あれ、どういうことだよ。急に終戦って、しかも政府から金が出るって、どういうことなんだよ』
『そのままの意味だ。この不毛な戦は終わり、お国から金が出る、ただそれだけ。国はこれからを担うお前達に期待しているんだろう。明るい未来が約束されているんだよ』
こんなあっさりしていいものなんだろうか。その場にいた誰もが困惑した。なんてことない普通のことだと言わんばかりの態度で返答され、出端をくじかれた気分。一歩後ろで事の様子を見守っていた少女が震える声をあげた。
『……蜜姫、先輩は?あなたの未来はどうなるんですか?』
水色のマフラーに顔を埋めながら潤んだ瞳で蜜姫を捉える。彼女の名前は碧。黒軍篠原隊の救護班に所属していて、更に副司令の座に収まっている。仕事では碧が1番蜜姫のそばにいた筈。そんな彼女だから気が付けた。蜜姫は、“知り過ぎている”と。
碧の言葉にきょとん、とした後、いつもの様に眉をちょっと下げて微笑んだ蜜姫は『誤魔化しは聞かないようだな』一つ息を吐いた。
『私は政府に仕えることが既に決まっている』
『せー、ふ?』
『ああ。私が政府に務め従順に働く限り、お前達に金が支給される仕組みだ』
『はぁ!?』
『綾瀬、静かにしろ。この事は誰にも言うな。いいな?』
じとり、威圧感のある視線で睨まれると流石に体がびくりと反応するのは仕方の無いこと。
そんなの納得するわけないじゃん!
ついさっき注意されたばかりなのに綾瀬は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
ふざけんな!蜜姫ちゃん犠牲にして生きろっていうわけ?!はぁ!?頭おかしいんじゃないの!
『そこまで怒ってくれるなんて、予想外だったよ。……ありがとう、楽しかった』
小さな声で、しかも早口で言ったもんだからそれを聞き取れたのか定かではない。が、綾瀬がそれを聞き返そうとした声はかき消された。扉が開いた音によって。
驚き振り向けば、シワの寄った中年男性が数人ゾロゾロと入ってくる。その胸には日の丸の勲章が見えた。
『篠原様、お時間です。お迎えに上がりました。』
『…早かったな』
『さあ、行きましょう』
蜜姫の両隣まで来たその男性たちは有無を言わさぬ笑顔で蜜姫を誘導し始めた。今までの話から推測するに、こいつらは政府のもんやなぁ。目を細め観察に徹していた菊が舌打ちをした。これは、もう。
『最後に少しだけ話させてくれ』
強引に連れていかれそうになるのを何とか制し、蜜姫は立ち上がって姿勢を正した。そこには、昨日と変わらず凛とした姿の司令が1人。
『これは決定事項で覆ることは無い。篠原隊司令隊長として最後の任務を言い渡す。私を助けようとするな。』
ひゅ、と誰かの息が詰まる音がした。誰かなのか全員なのか、どちらでもいいが。
彼女が、蜜姫が、自分の人生を棒に振るうと宣言し、蜜姫の人生を踏み台にして自分たちに幸せになれと。それは決定事項だと。それがあたかも普通なことのように言うのだ。
ここでふざけるな!って叫びたい。いやです!って泣きたい。んなの認めへんわ!って怒鳴りたい。誰が聞くかよ!って喚きたい。行くな!ってその手を掴みたい。
けれど、どれも実行に移せなかった。あの顔を見たら、あの目を見たら、もう誰も何も言えなかった。
(お前達の幸せを心から願うよ)
(その為になら、私はなんだってできるんだ)
(だからどうか、笑ってくれ)
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