ブジーアだと信じたい。



ぶつりと映像が途切れ、綾瀬が竜と呼んだ男の口から照射された光が消えた。長いような短いような沈黙が訪れ、意を決して律樹が口を開こうとしたその時。


竜を含めた4人の口がガバリと開いて。

4人の真っ黒な目が最大限に開かれて。

ギギギ、と壊れかけのオモチャのような音を立て口の中から音がした。


音というより、声がした。四人全員から同じ声が。


『ごー』

『よーん』

『さーん!』

『にーい!』

『いーち!』


四方から聞こえるカウントダウンに訳も分からず棒立ちしていた3人。ぜろ、そう聞こえるか聞こえないかギリギリのラインで我に返った綾瀬が右手に菊の手、左手に律樹の手を取り全速力で駆け出した。それと同時くらい、三人の背後で「またねー」気の抜ける声がしたと思えば、ピーーー。電子音。


あ、と綾瀬が声に出そうとしたら。


律樹と菊が同時に足に力を入れ綾瀬を抱き抱えるようにして地面に伏せた。直後、訪れる光と熱、それから轟音。遅れて熱風が3人の体をぶわと包み込む。


暫くそうしていただろうか。熱風も止み、遠巻きに喧騒が聞こえるだけになった空間。そうなるまで、体感的には無限に長く感じた。もう、大丈夫か?そろりと体を起き上がらせた律樹と同様に菊と綾瀬も体を起こす。間髪入れずに綾瀬が「二人とも怪我は!?」両隣の男を交互に見つめて眉を下げた。


「大丈夫擦り傷」


「そういう綾瀬こそ怪我ないか?」


律樹はへらと笑って切れた口の端しを拭い綾瀬の頭を撫でてやる。菊も傷だらけになった右腕を一瞥してから柔らかく笑うと綾瀬の顔を覗き込んでは心配したような口振りを披露した。綾瀬も爆風で飛んできたガラスで足を切ったくらいで目立った外傷はない。この三人は超人か何かかもしれない。



あの時。

危険だ。野生の勘がそう叫んだ綾瀬は無我夢中で二人の手を取り少しでも距離を稼ぐために走った。二人を守るため。それなのに気付けば綾瀬は二人から守られる形で爆風を凌いでいた。単純に、悔しかった。女だから、後輩だから。多分そんな理性が2人に働いての行動だったんだろうけど、綾瀬にとってはそれはもう泣きたくなる程悔しくて。次こそは2人を守ってやるんだと心に誓いながら小さく、でもはっきりと「ありがとう」お礼の言葉を口にした。


ひと段落して、3人は今の状況を整理することにした。



「今のはそこまで殺傷力の高くない、でも広範囲に被害が及ぶタイプの爆弾やったんやろな」


「それが体内に仕込まれてたってこと?」


「多分。あの映像が流し終わったら起爆する仕組みやったんちゃうか?」


「まあこれで貴重な証拠品はぱぁだな…」



各々言葉を繋ぎながら、律樹は黒く焦げた地面を見詰めた。同期が一瞬にして塵になった。そんな光景、見たくもなかったが見たことは何度かあった。そんな訳で非情にも動揺が少ないので淡々と話が進む。


「証拠なら俺が動画撮っとる。それを蜜姫にでも見せたら信じてくれるやろ」


「あっ!蜜姫ちゃんに連絡した?」


「あ、しとらん」


「ちょ、してよ」


「ん。で、お前は何しとん?」


「千里ちゃんに連絡してるの。特部だったでしょ確か。千里ちゃんに来てもらった方が何かと楽かなって思って」


「なるほど、お前にしては頭使うたな」


「馬鹿にしてるよね頭かち割ってやろうか?」



菊と綾瀬が会話を繰り広げる中、律樹は爆発する前の出来事を頭の中で思い出していた。


猫、兎、犬。

ガスマスク。

男、女、男。


何かが繋がりそうで繋がらない。頭の中心に靄がかかったような、警笛音がするような、そんな感覚に眉を顰めた。なんだっけ。考えろ。頭動かせ。考えろ、考えろ。


――あ。


はた、と気付いた律樹は自分の思考を疑う。いや、俺の聞き間違えかも。聞き間違えであって欲しい。考えを巡らせていれば、綾瀬の手が律樹の頬を包んだ。律樹の視界にドアップに映し出される綾瀬に思わず肩を揺らせば綾瀬はどうしたの、と首を傾げる。どうしたの、は俺の台詞だじゃじゃ馬。


「唇、噛みすぎて血出てる」


綾瀬に言われて初めて気付いた。さっきの爆発で切った口の端しだけでなく、口内いっぱいに鉄の味。あちゃー、やらかした。困ったように笑いながら肩を竦めた律樹は「これからどう動くか考えてた」綾瀬を見詰め返す。律樹は篠原隊一と言っていいほど隠し事がうまい。それも笑顔で、全て無かったことにする。付き合いの長い綾瀬と菊は些細な違和感を感じとるも確信に迫ってはいないので追求することなく律樹の言葉を鵜呑みにした。


「それは菊に指示もらおうよ」


「あーたしかに。菊隊長、指示を」


「お前らなぁ…」


考えることを放棄し、これからのことを丸投げしたリツアヤは額をくっつけあってけらりと笑った。リツアヤは面倒だから菊に丸投げしたのではなく。菊だから丸投げしたのだ(面倒い気持ちもそりゃある。だってリツアヤだもの)。菊は騎馬兵隊の部隊長を務めていた。対してリツアヤは一般部隊員。それこそリツアヤたちが各々隊長として小隊を率いることはあれど、常に100人を超える部下を持つ菊とは訳が違う。的確に、効率よく人を動かすことに関してはこの3人の中で菊がずば抜けてトップだ。暴走しがちな綾瀬と、陽気で短気な律樹よりも、好戦的であれど冷静な菊に判断を仰ぐのは当然で必然のこと。


一度目を伏せ深呼吸をすれば、律樹と綾瀬に目を合わせる。


「俺らは逃げ遅れが居らんか確認することに徹する」


「おしきた」


「但し、無茶はせんこと。あと無線ないから俺らのグループでずっと通話のまま、スピーカーのままで移動すること。人を見つけたらすぐ知らせること。で、この任務は特部が到着するまでの間だけや。特部が到着したのを確認したら俺らは避難してきた人らの手当に回る。ほんとは最初から手当てに回った方がええんやけど、幸い医学部生がおるからどうにかなる筈や。俺らは俺らにしかできんことをやろうや。ほんで、ええか、ぜっっったいに無茶はすんな。俺らは今、一般人や言う事を忘れんなよ」


「らじゃー」


「分かった」


菊が指折りながら説明した任務内容とルートを頭に叩き込み、グループ通話を開始して、菊の声を合図に3人散り散りに校内を走った。








律樹が三人目の要救助者である女子学生に手を差し伸べた時、スピーカーに設定していたスマホから『特部到着したみたい!各自切り上げて正面玄関集合!』綾瀬の声が飛ぶ。菊が了解、と返事をしたのを聞いてから、律樹は目の前の女子学生に「もう大丈夫」と太陽のように明るく笑った。


爆発の振動で倒れてきた本棚に下半身が挟まって動けないでいる女子学生を助け出すべく、見つけた棒状の板を差し込みテコの原理で本棚を持ち上げた。なんとか這い出てきたのを確認し、板から手を離す。足を押さえてえぐえぐと泣く女子学生。捻ったのか折れてるのかここでは判断できない。立てるかと問いかけても無理痛いと泣くばかり。これがあいつだったら折れていようが無理にでも立ち上がるんだろうなぁ。頭の片隅でどこぞの誰かを思い浮かべながら女子学生を背負う。すみません、ごめんなさい、ごめんなさいと譫言のように呟く女子学生に「大丈夫。絶対助かるから。もう少しだけ痛いの我慢しててな」また笑う。笑顔って、人に安心感を与えるもんなぁ。


空いている手でスマホを出せば「要救護者1名発見。避難させてから向かうわ」これからの動きを他2人へと伝える。定型文のような返しを聞いてから律樹は駆け出した。



律樹が探し回っていた棟には遺体がひとつもなかった。律樹が見落としていただけかもしれないが。しかし、菊と綾瀬が見回っている棟には遺体が見つかった。その知らせを聞いた律樹はぐっと顔を歪める。ああ、ついにか。そして、また頭の中で再生される“声”。ああ、ああ、どうか、どうか。居やしない神に祈る気持ちで息を吐く。


ああ、どうか。





どうか、あいつでありませんように。













「ごめん遅くなったー!」



開口一番、この現場に不釣り合いなほどの明るい声が響く。人懐っこい笑みを浮かべて綾瀬と菊に近寄ってきたのは特殊警察部隊の千里である。


国家警察特殊部隊。通称、特部。政府直属の超過激武装警察の名前である。日の丸の名の元に、各々の正義を振り翳す集団。それに所属する千里は特部指定の、上下紺色の制服に身を包んでいた。その背には愛用の長刀も見える。


「千里ちゃん久しぶり!って、どうしたの怪我してんじゃん!?」


綾瀬もひらひら手を振って笑顔を向けたが、千里の姿を見てぎょっと目を見開いた。


それもそのはず。千里の頭には包帯が巻かれているからだ。その他にも、特部の面々はギプスをはめていたり、包帯ぐるぐる巻だったりと、普通なら出動不可になる傷を負った人達が忙しなく動いているではないか。


どういう事なんだ。綾瀬がぎゃあこら問いかけている隣で菊は本日何度目かの顔を顰めた表情をする。


「あーこれね。特部の本部が爆破されたの」


「んな?!」


「被害は甚大だよねー。まだマシな怪我のヤツら連れてきたんだよー?これでも」


やれやれと困った顔で横を駆けていく特部のひとりを見ながら答えた千里。唖然とする菊と綾瀬。


そこに「おー千里!」律樹も合流してきた。一言二言交わしたところで、千里はのんびりとした動作で3人の頭を順に撫でる。そうしてにんまりと笑い。


「救助協力ありがとうね。ここから先は特部が引き継ぐよー」


「俺らも手伝える事はするで」


「ううん、だーいじょうぶ。3人の事呼んでる人いるから、その人に会いに行って」


「あたしらを?」


そうだよ、と悪戯っ子のごとく笑った千里に背を押される。誰だろう。きょとんと首を傾げる3人を見てケラケラと笑いながら、「行けばわかるよ。車停めてるからそれ乗ってきな」最後にとん、と律樹の肩を叩いて、千里も特部の人集りへと消えていった。




案内された車に乗り込み、訳も分からぬまま着いた先は新政府の拠点であり日本の総本山、国会議事堂だった。テレビでしか見たことが無く目の前で見るその建物は壮大で威圧的だ。3人ともあんぐり口を開け議事堂を凝視していた。なんだこりゃぁでっけーなぁ。なにこれでかすぎない?なんや俺らなんかしたか?各々心の中で思いを吐き出す。


というか、だ。俺らを呼んだんは誰や?腕を組み、小首を傾げる菊を他所に、考えることを放棄したリツアヤは「ねえあれ見てみて!めっちゃでっかいヴィーナス像!」「あんなん置いてて意味あんのかよwww」「それなwwwww」はしゃぎまくっていた。お前らは小学生か。


流石に周りの目が痛くなってきた菊が騒ぎ倒す2人を止めようと手を伸ばす。


「おいお前ら…「相変わらず元気だな」え?」


菊の声を遮るよう、被せられた台詞、声に、動作を停止した菊と、口を噤んで目を見開いたリツアヤ。視線の先には背筋を伸ばし、シワひとつない上質なスーツを着込んだ女性の姿。柔らかそうな髪質の赤茶ボブヘアー。意志の強そうなキリッとした赤眼。片手には黒いバインダーに挟まれた紙がひらひらと揺れている。


その立ち姿に、その表情に、その声に、その仕草全てを知っている。


ガラにもなく涙目になった綾瀬はそんなこと構わずに駆け出して、彼女の胸に飛び込んだ。



「っ、蜜姫ちゃん!」



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