グローリアを誓え。
れむ
コティディアンって何だっけ
流石の綾瀬も目を見開き固まっていた。
四方八方から聞こえる様々な叫び声。逃げ惑う学生たち。平穏な大学内は一瞬にして混乱と恐怖の渦の中だった。
だだっ広い講義室に学生が60人ほど。何が起こっているのか分からずに突然騒がしくなった周囲に戸惑いを隠せない。それはこの講義を行っていた教授も同じようで、把握できない事態に無様にも教卓でオロオロと視線を泳がせるばかりである。綾瀬はその講義室のちょうどど真ん中に座っていた。
ゆるり目を閉じるとふっと短く息を吐いた。身体の硬直が溶ける。騒ぎが起きてからここまでで約8秒。それからまたゆるりと目を開ける。
片手を机についてダン、とその上に登れば隣に座っていた友人の驚いた声を振り切り、そのまま長く伸びた机の上を全速力で駆け抜ける。「ぎゃあ」だとか「何してんだ!」だとか「綾瀬ちゃんはやーい!」だとかいろんな声を掛けられるが全力で無視。幸い今日はショートパンツだ。女子特有のそれを気にする必要なく(元より殆ど気にしていないが)自慢の足の速さを生かし前へ前へと動かす。机の上に乗っていたレジュメや筆箱を蹴飛ばし踏み荒らしていくが後で謝るから許して。
そんなことを考えながら、廊下側の開いている窓に滑り込めばストンと着地。廊下の外側の窓。つまり講義室に繋がる窓でない、外に繋がる窓から見えるのは中庭。向かいには情報科棟が立っており、右手奥には文系の棟が見える(綾瀬は名前を忘れた)。しかしいつも見る光景では無い。
窓を開け身を乗り出すように辺りを見渡した。見えるのは、至る所から黒煙が立ち上り、必死の形相であっちこっちに駆けずり回る学生。
どうしてこうなったのか。数分前に時を戻す。
それは綾瀬がいつも通り身体のうんたらを学ぶ講義中の事だった。大学生になり、スポーツを専攻している綾瀬は毎回座学が眠くて堪らなかった。体を動かさせろ!内心舌打ちしつつも卒業するには単位がいるため、渋々座学を受けている。
講義も中盤に差し掛かった頃。日常を壊す音がした。
――ズドォン
地響きに似た、いや地響きだったと思うが、そんな低く重い音がした。それと同時に床がぐらぐらと揺れる。地震の揺れではない。爆発の衝撃波という人口の揺れだ。
1つ音が聞こえたと思ったらまたひとつ、またひとつと計5回の爆発音。綾瀬のいるスポーツ専攻棟でもその爆発は起こったらしかった。
それはそれは驚いた。
だって。この日の丸で起こっていた戦は終結したのだ。
ほんの数年前までこの日本は内戦状態にあった。黒軍と白軍、それから赤軍。この三大勢力が日本の全てを手にするため、勝利をその手に掲げるため、血を流し命を削って命を奪い合っていた。
その名も『学生戦争』という。名前の通り、学生が戦争に参加していた。それも、学生が指揮を執り、学生による学生のための軍がいくつか存在していた戦争だ。誰でも前線へと向かわせてくれるわけでもなく、大人達が作った軍人育成プログラムを経て、その中で好成績を叩き出した一握りの精鋭たちが武器を持ち血を流す。幼いその手で何度命を奪ったのか、既に数えることすらできない学徒たちも多いだろう。――余談はこのくらいにして。
それから冷戦という緊迫状態に発展し、やっとこさ終戦したのである。
どの軍が勝った。そんなものはなく。外部より介入してきた『新政府』によってほぼ強制的に終戦した。
それから混乱期はあったが、新政府はテキパキとこの日の丸の進む方針を取り決め、混乱に乗じて独裁政権を敷いた。その忌まわしき新政府のお陰で綾瀬は大学に通い、至って普通の女子大生として生活できているのであるが。
新政府に不満を持つ者もいただろうが、長く続いた戦争をやっと終わらせてくれたのも新政府。ここで新政府に手を出せばまた戦争が始まってしまう。国民は無意識にそう考えていた。それに新政府があるから自分たちは平和で円滑な生活を送れている。多少なりとも我慢しなければ。そんな考えが充満する。だからだろうか。これまで小さな反発はあったもののテロや暴動などは全く起こらなかった。
なのに、だ。
突然のテロ行為。事故かとも思った。
どちらでもいい。
平和が崩れた。
そうして冒頭に戻るのである。
平和ボケか。
チッ、と隠すことなく舌打ちした綾瀬は、勢いよく後ろを振り返ると未だ講義室で呆然とする教授と学生を見詰めまた舌打ち。そしてすぅ、と息を大きく吸って。
「2階北側より出火を確認!南より脱出して、そんで運動場に行って!」
声を張り上げた。なのに、室内にいる学生たちはぽけ、と綾瀬を見るだけで。え?みたいに理解処理が追いついていないようで。
ぶちっと何かが切れた音がした。
切れたのは綾瀬のこめかみの血管みたい。
「ボケっとすんな!!!」
鬼のような形相で活を入れるように怒鳴れば面白いくらいにびくぅ!と飛び上がってパタパタと駆け足で学生たちは講義室から出ていく。さすが剣道部。声の出方が違う。
とりあえず動き出した学生たちを見届けて、綾瀬は窓に足をかけた。ここは3階。綾瀬の友人らしき女子生徒がまさか、と顔を真っ青にして「綾瀬!危ないよ!!」手を伸ばし走ってくるが。それより早く、尚且つ迷いなく、綾瀬は宙へ身を投げた。途端、3階からは甲高い叫び声が木霊した。あはは、すっごい声。綾瀬は重力に従い落ちていく中で苦笑いしながら、体をぐるんと宙返りするように回転させれば1度校舎を蹴って壁から離れ、目の前の木を蹴って、何も無い土の上へとすとんと着地した。何事も無かったかのように立ち上がると窓から身を乗り出し叫ぶ友人にへらり笑って手を振った。
「大丈夫だからー!早く逃げなってー!てか泣かないでよもうー!」
「あ゛や゛ぜの゛ばがあ゛あ゛!!」
「おどろがざないでよお゛ー!!」
あたしを心配して泣いてくれる友がいる。
ただそれだけだと言ってしまえば終わるけど、綾瀬にとってはそれが支えだった。彼女たちのために平和な日常を取り戻す。その為だけに綾瀬は前を向いた。
混乱し周りを押し倒す勢いで逃げる学生の間をするすると避けながら綾瀬は駆けた。
先程上から眺めていた時、綾瀬には見えた。大学を覆う柵を乗り越え一斉に乗り込んでくる人影が。十中八九この事件を起こした犯人かその仲間。それらを探し綾瀬は目を凝らしてみれば中庭の中央で、乾いた破裂音と、一際大きな悲鳴が聞こえた。
まさ、か。
綾瀬は先程よりも走るスピードを上げ、先程よりも混乱を大きくした学生を掻き分け音のした場所に急行すると。忘れかけていたその色にひゅ、と息が詰まった。
目前には赤赤赤。
中心には人人人。
手に持つのは銃銃銃。
上下黒スーツに身を包む人間が3人。ここまでならまだ普通。ここからが異常。
片手には銃。見たところベレッタシリーズだろう。それから顔。何故か顔全体を覆うガスマスクが付けられていた。その二つのせいで恐怖を煽る。スーツにガスマスクってセンス無さすぎ。内心で毒づきながら視線を滑らせると撃たれたのか蹲る学生が何人かと、恐怖で足が竦む学生が何人か。あとは全員発狂して駆け出していた。そんな学生たちに体当たりされながらもガスマスク達の出方を見詰めていれば、あろうことか蹲る学生に照準を合わせたではないか。
こっちが丸腰とか言ってられないじゃん!
盛大な舌打ちとともに本日何度目かのスタートダッシュを切った。勢いそのままガスマスクの1人に思いっきりタックルをかますと裏拳で拳銃を弾いて遠くへ飛ばす。地面に伏したそいつの鳩尾を全力で踏んずけると「う゛えッ」苦しげに背中を丸めたかと思えばビクンと一度痙攣を起こして、気を失ったようだ。
突然現れた影に対応しきれていないもう1人のガスマスクへ横目を向けると片足を軸に手加減一切無しで回し蹴りを繰り出した。それは華麗にも隙だらけだった横っ腹へヒットし、そいつはその場に蹲る。
あと1人をやるには奇襲では流石に無理だったようで最後の1人と対峙する形となってしまった。舌打ちしたくなる衝動を抑え、視界の端で赤い血をたらたら流し呻いている学生に声を掛けた。
「立って、逃げて」
「た、たてな、ぃたい、むり…っ」
「泣き言言ってんな!足がまだついてんでしょ!」
「っ、」
「死にたくなかったら血が出ようが足が千切れようが進んで」
「で、でも、あ、あんたは…」
「あたしも後から行くよ。ほら早く」
優しく、でも叱咤するような声を向けると弱りきったその瞳には小さいながらも光が灯った。その学生はその場にいた他の学生へと声を掛け、手を貸し、走り去って行く。
なんだ、他も気にかけれるくらいには余裕じゃん。もしかしなくても軍学校にいたのかも。
そんなことを考えていれば相手さんがゆらりと動いた。その動きはまるで猫のよう。突然視界から消えたかと思えば、姿勢を低く綾瀬の目下にまで迫ってその拳が顎を捉え振り上げられていたところだった。
綾瀬は慌てて1歩後ろに下がればその顔面目掛け右腕を叩き下ろすも鼻先に掠っただけでそれほど外傷がない。すばしっこいな糞野郎。次の手を見るべく目を細めるとちり、と頬に鋭い痛み。同時に発砲音。ばっと後ろを振り向けばぷるぷると膝が笑いつつも横腹を抑え立ちが上がって、銃を構えるガスマスク。横腹なら二人目に沈めたやつか。2人が綾瀬の両側で銃を構えて緊迫状態。丸腰の綾瀬にとってはこれ程分が悪いことはない。さて、どうしたもんか。空手の構えを取りながら打開策を掛け巡らせていれば、高く登った太陽の光を何かが遮った。それに合わせて少し遠くから聞こえてくるのは、安心する、いつもの声だ。
「あやせ!」
その声に緊迫状態であった体からふっと力が抜けるのが分かる。あたしってこんな単純だったっけ、なんて苦笑いを浮かべたい。ガスマスクの片方に背を向け、もう片方に向かって綾瀬は走り出した。咄嗟に両方が発砲するが、残念ながら綾瀬には擦ることなく宙を切る。そうしてガスマスクの数歩手前でぐん、と膝を曲げ思い切り跳躍。綾瀬が手を上に掲げると待ってましたと言わんばかりに寸分の狂いもなく飛んできたそれが、パシリと軽い音を立てて綾瀬の手に収まると、にやり、口角を上げ重力に従って落ちていく体の動きに合わせ腕を目一杯振り下ろした。
――ゴキン。
そんな鈍く鋭い音を立てて目下のガスマスクは倒れた。アスファルトには赤い液体がゆるゆると広がっていく。
そりゃ全体重かけて竹刀振り下ろしたもん。頭くらいかち割るわ。
すとん、と軽い足取りで地面に足を付けば綾瀬の後でどさりと何かが落ちる音がした。振り返ってみればガスマスクが倒れ、その腕は曲がることのない方向へ向いている。そしてその側に立つ見慣れた背中に駆け寄ると――「ぐへぇっ!?」飛び蹴りしておいた。
へしゃげた声を出し、でんぐり返しよろしくの容量でゴロゴロとアスファルトを転がっていくその姿をへらっと笑って見詰める綾瀬。先ほどのピリピリした雰囲気から一変、纏う雰囲気は柔らかいものだ。転がるのがようやく止まり、がばりと勢いよく起き上がれば青筋を立てて「てんめ綾瀬!」怒鳴るのは左頬に三本傷を持つ綾瀬の先輩の――綾瀬がそう思っているかは別として――律樹。そんな怒鳴る律樹にきょとんとした顔を見せた後、竹刀に目を落とした綾瀬は律樹に近寄る。竹刀を持っていない方の手を差し出す綾瀬。自分で蹴飛ばしといて何してるんだと思うが綾瀬にとってはあれが最大の愛情表現だったりもする。律樹はそのことについて知ってはいるが、毎度顔を合わせる度に理不尽に蹴飛ばされていればそのうち体にガタがくる。そろそろ普通に普通の女子らしい愛情表現を身につけてもらいたいと切に願っていることだろう。
「これ武道場から持ってきてくれたの?ありがと」
「たまたま近くにいたからな。にしてもお前はもうちょっと逃げる事考えろよ…。怪我ねぇか?」
綾瀬の手を借りて立ち上がる律樹だが、目の前の後輩――律樹がそう思っているかは別として――綾瀬に呆れと安堵ため息を吐いた。
爆発が起こり、とりあえず目に見えた竹刀を手に救助活動のため駆け回れば聞こえた銃声。十中八九、あそこにあいつはいる。直感で駆けつければやはりいた。丸腰で2人から銃を突きつけられている綾瀬の姿を見た時は流石に肝が冷えた。今はもう一般人なのに、言葉すら交わしたことなさそうな人を助けるために命を張っていた。丸腰で。馬鹿かこいつは。俺は一応武器持ってたからセーフな。
怪我ないからいーじゃんー、と駄々をこねる綾瀬の頭をぐゎし、と掴んで荒っぽく頭を撫で回す。怪我なけりゃいいってもんじゃないだろ…俺の心配する頻度考えろ。数年前はツインテールに出来るほど長く艶やかだったその赤茶の上はショートボブに切りそろえられていた。律樹に撫でられている綾瀬はなぜ撫でられてるのか分からない。が、とりあえず気持ちがいいのでされるがままに目を細めてみる。綾瀬の目に映る律樹は昔より少し背が伸び、髪も伸びた。頬の傷は気持ち薄くなった程度で痛々しく残ったままだが。
そんな感じで向かい合っていれば「こんなとこおったんか」聞きなれた声その2。2人が揃って声のした方を向けばフェロモンを撒き散らした菊の姿があった。逃げ切ったのか周りには人っ子一人いなかった。
「それ、なに?」
綾瀬が菊の左側を指さす。菊の左手には人が引き摺られていた。スーツにガスマスク。さっき倒した奴らの仲間だろうとすぐに判断できた。それにしてもボロ雑巾のようになったガスマスクを見ると肩を竦める他なかった。菊に当たるなんてお疲れさん。そんな意味を込めて律樹は苦笑いを送っておく。
「なんか殴りかかってきたからやり返しといた」
「お、おお…」
「そこにおんのはお前らがやったん?」
「そー」
どさりと、菊の手からガスマスク野郎が地面に落ちる。ふう、つかれた、と肩をくるくる回す菊は律樹と同じように背が伸び、髪も伸びている。前髪は暑い時に上げるくらいで今は少し長のか横へと流していた。それがまた大人の色気をかましだすようで、大学ではもうなんかアイドルのような存在だった。学部が違う律樹もその外見だけでなくフレンドリーさが票を呼び、菊に負けず劣らずの人気を誇っていた。それに便乗して金儲けをする輩が居るのは置いておいて。
「とりあえずお顔をごはいけーん」
綾瀬はしゃがみ込んで菊の持ってきた男の顔に手をかけた。巫山戯た台詞を吐きながらそのガスマスクを引っぺはがすと、目を見開く。その一連の行動を見守っていた律樹と菊も同じ様に目を見開いた。
「…え、」
「ちょ、待て、何でこいつがここにおんねん!」
「こいつ、たしか、…菊の部下だよな。名前はー…」
「…聖川や」
3人が動揺するのも無理もない。ガスマスクの下から出てきたのは、そう遠くない過去、共に戦地を駆け巡った戦友の顔だったからだ。綾瀬のひとつ上の先輩で、菊の部下。彼は菊のことが大好きで相当慕っていた。まるで子犬のような目つきでいつも菊の後ろを付いて回る、そんなに可愛らしい少年だった。それが、なぜ、ここに、こんな姿で。
頭の整理が追いつかない3人だったが、律樹がふらと動いた。さっき律樹本人が腕を折り曲げた1人のガスマスクを剥ぎ取ると、――「影薄…」ぽつり、消え入りそうな声で呟いた。律樹の同級生の顔だった。
律樹の声にくっと顔を歪めた綾瀬だったが、他2人のガスマスクも順に剥ぎ取ってみる。予想は裏切ってくれるはずもなく、マスクの下から出てきたのはよくよく見知った顔だった。
「竜に、葉月ちゃん、だ」
声に出すのも億劫。知らなかったとはいえ、敵だと認識し、攻撃した。容赦なく、叩きのめした。そうしないと自分の命が危なかった。けど。殺傷能力の低い武器だったとはいえ、殺す気で攻撃していた。綾瀬はそれを思い出して、胃のあたりがすぅ、と冷えていくのが分かる。ああ、この感覚。昔に戻ったみたいで、吐きそう。
口元を押さえ、ふらついた綾瀬の体を後ろから抱き留めた律樹は「菊、蜜姫に連絡取れるか?」背後にいた菊へ声を掛ける。トリップしていた菊もハッとしてスマホを探し始めた。その様子を見てから、律樹は綾瀬に回した腕へ力を込める。カタカタと小刻みに震え、氷のように冷たくなった綾瀬の指先をそっと握って。
「あやせ、綾瀬。落ち着け、ゆっくり息吐け。大丈夫、俺がいるから」
「っ、…は、ッ――ぁ、り、っひ、」
「大丈夫、大丈夫だよ」
出来る限り小さく、でもはっきりとした声で耳元に囁きかける。受け止めきれない現実にパニックを起こしかけている綾瀬を落ち着かせようと大丈夫、大丈夫と声を掛け続けていると、数十秒もすれば呼吸も安定してきた。これでとりあえずは一安心だな。
そう思った矢先だった。
ごぎ、と骨が外れる音。音がしたのは律樹と綾瀬の足元。え…と恐る恐る下を見れば竜、と呼ばれた男の口がパカリと開いていた。顎が外れているのだろうか。くるみ割り人形のように大きく開かれすぎている。だけでなく。目が開かれ、その目は真っ黒だった。焦点もへったくれもクソもない。ぞっとする。竜の顔なのに、竜じゃない。
固まったリツアヤを不審に思った菊はスマホの操作をやめ近寄った。そうして竜の姿を目で捉えれば、パチンと音がして。竜の口の中から3人の目の高さに光が照射された。どうやらそれは映像を流すもののようでフルカラーで映し出され始めた。
「き、菊!動画!」
「あ、わ、分かった」
過呼吸になりかけていたからか声が裏返りながらも、律樹越しに菊へと声を出す。律樹に引っ張られ数歩後に下がると映像が動き出した。
画面は灰色。その右端から移り込んできたのは人だった。その異質な姿に画面前の3人は無意識にこくんと喉を鳴らす。
まず目に入ってきたのは顔の上半分を覆った猫の面。それから、顔の下半分を覆うガスマスク。薄暗い灰色の中に輝くように見えるのはサラサラとした白い髪。服装は黒っぽいVネックシャツに黒っぽいスキニーだろうか。なんともラフな格好で現れ出たのは体格からして男だろう。
その男は画面の中央に太ももから上が映るように移動し、ひらひらとこちらに向けて手を振った。
『どーも。お元気ですか、赤沢菊さん、神辺律樹さん、清水綾瀬さん。そこに転がってる4人が間違えてなかったらこの3人のはずなんだけど』
音声変換機を使用しているらしく、その機械的な声は耳に良く残る。
そんな声が今しがた、何と言った?
今、あたし達の名前を言わなかったか?
「こ、これ、って、今見られてるの!?」
『今見られてるとか思った人ー。残念ながら、これは録画。そーです。あんたら3人を狙ってこの大学を爆破させました』
あっけらかんと言ってのけた画面の中の男。その声に抑揚はなく、至って普通のことを言っているかのように男は言うのだ。大学を爆破させた。死人が出ていてもおかしくないのに。そんな事を普通のことだという。明らかに異常だ。
『今回のテロの主犯が分かったところで、次の犯行声明。次は橋を落としまーす』
「なっ!?」
『ちなみに、この大学の他に2箇所同時に仕掛けてるから。その内情報入るんじゃない?知らないけど。あ、そうそう。俺達がどれだけ本気か、知りたい?……めんどくさ』
『ちょ、そんな事言うなよ』
突然、違う声が割り込んできた。画面には写ってない。これで犯人が2人いることがわかった。反対に言えば居ることしか分からない。
ケラケラと笑うもうひとつの声を聞いていれば、画面が切り替わった。変わらず灰色の風景。それが少し斜め上から映し出されていて、画面には鉄柵が見えライトアップされている。その中には5人程の人間が横たわってカタカタと震えているのが画面外の律樹たちでも分かった。
そんな怯えきった人をドアップで画面に表示され、菊の喉がひゅっ、となった。一拍遅れて律樹と綾瀬は目を見開く。
「は…」
菊は擦れた声で息を吐く。見覚えのありすぎるその顔ぶれ達にうまく息が吸えない。この5人、全員が全員、元黒軍篠原隊で、しかも全員騎馬兵隊に所属していたのだ。画面の中にいる5人も、3人の目の前に転がる4人も、そしてこの3人も全員、元黒軍篠原隊なのだ。こんな偶然があっていいものだろうか。
画面外の菊たちの様子なんて知ってか知らずか、事は進む。カメラが引くと、また鉄格子が映される。コツコツと靴が地面と当たる音がして、画面端から出てきたのは淡い茶髪のふわふわしたロングヘアの人物の姿。水色のマフラーをつけ、ベージュのカーディガンに黒っぽいのプリーツスカート。見た目からして女だろう。
真っ直ぐに鉄格子へと足を進めていたがピタリと歩みをやめ、カメラの方を向いた。
先程の猫面の男と同じ様に兎の面を顔の上半分につけ、下半分はガスマスクで覆われている。カタリと首を傾けたと思ったら、礼儀正しくお辞儀をした。
『こんにちは皆さん。ちゃんと見ててくださいね』
機械音であるものの、その声色は明るかった。異様に異様を重ね、もう何が異様なのか分からない。
兎面はまた踵を返すと今度こそ鉄格子へ辿り着く。そのまま錠を外して中に入ればあちらこちらから『ひいっ』『や、やめ…』小さく悲鳴が上がる。そんなのお構い無しな兎面はどこから出したのか手にはナイフが数本。次の行動は安易に予想できた。綾瀬が「待って」と声にする前に。
『ぐぁ』
『ひ、ぁ゛…』
『うわぁぁ、――あ゛』
『あ…う……』
『や、や、だ、…あぁぁぁっ!』
絶叫が響いた。兎面が投げたナイフはさくり、さくりと簡単に刺さっていく。喉、胸、目、頭。何回か体を痙攣させ、2人倒れた。痛い、痛いと嘆く残り3人に兎面が近付くと、またナイフを投げる。それで2人は息絶えて、残ったのは1人。
『ふふ、しぶといですね。ゴキブリみたい』
その1人の傍にしゃがみこんだ兎面はかたりと首を傾げ、それから、戸惑いなく、苦しげに呻く最後の1人の目を抉る。ぐり、ぐり、と優しく、丁寧に。耳を劈く断末魔がパタリと止めば、最期の1人は全身から力が抜け、息絶えた。ショック死だろう。
くすりと笑い声をもらして立ち上がった兎面の手の中には眼球が2つ。返り血で真っ赤に染まっていた。
『真っ赤じゃん。後でお風呂入らなきゃね』
画面の外側からひょっこりと効果音が付きそうなステップで出てきたのはグレーのパーカーを着た人物。着けているのは犬の面とガスマスクなところを見ると、3人目の犯人だろうか。鉄格子の目の前にまで歩みを進めるとスポットライトのお零れでその姿がはっきりと見えた。光で所々青みを帯びた黒髪に、犬の面とガスマスク、グレーのパーカーに黒っぽいスラックスの男。兎面と比べてみるとその身長は結構高めに見える。右手にはゴーグルが握られていた。
『そうだね!暖かいお湯に浸かりたいなぁ』
『ちゃんと沸かしてきたからすぐ入れるよ』
『ほんと?流石だね!ありがとうっ!』
『いえいえ〜』
声色だけ聞けば花咲くような明るい話し方だが、周りに5人の死体を目下に晒してこんな会話をしているわけで。
異様な光景に、衝撃的な光景に、頭がついて行かず、かと言って目を逸らすことも出来ず、画面に釘付けのままの3人。そんな状態でも菊はちゃんとスマホを画面に向け録画してたが。
きゃっきゃと明るい声色で会話している2人の言葉を呆然と聞いていれば『これで本気度がわかっただろ』猫面がゆらりと画面にインしてきた。その声に反応した兎面と犬面は猫面の両側に立ち、こちらを見据える。画面越しに、綾瀬たちと目が合う。
『というわけでー!俺達“ElllDorado“は目的達成のために尽力を尽くしまーす!』
『よろしくお願いしまーす!』
『よろしく。』
犬、兎、猫が順に話すと、ぷつり。映像は途切れた。
▼
ここまでで登場した人物の妄想
【大学生組】
綾瀬
大学1年生。体育学部、スポーツを専攻する。剣道サークルに所属していて、その他の運動系サークルの助っ人(有料)もしてたりする。律樹くんとは付き合ってるのか付き合ってないのか私が知りたいけど、軍人時代よりは距離が近くなってるといいなぁ〜?髪はバッサリ切ってショートボブ。相変わらず写真をとって売り捌いて小遣い稼ぎしてる。横暴な性格は変わらず少し丸くなったことで交友関係も広がり、学内でも友人は多い方。
律樹くん
大学3年生。工学部、機械専攻。ビリヤードサークルに所属してるけどこのサークル活動自体幽霊。基本はのんびりだらだら時々綾瀬のサークル活動に付き合ってる。お前らは付き合ってるのかどうなのか学内で噂されているが確信に迫る人たちはいない。髪も身長も少し伸び、頬の傷は気持ち薄くなった程度。フレンドリーな性格に見た目がプラスされ学内の人気はかなりのモノ。特に低学年から(高校生からも)の人気がヤバイ。
菊くん
大学3年生。法学部。軽音サークルに入っちゃってる。ギター担当できゅいんきゅいん。リツアヤに振り回されながら振り回しつつ大学生活を謳歌している。この人も背が伸びて髪も伸びて、前髪はおろしてる。溢れ出す色気。色気にやられるお姉さまがたが続出。卒業しても菊くん目当てで大学によく現れるお姉さまがたが多数出現。仕事行け。
上記3人は、黒軍学校から大学へ進学又は編入。新政府からの援助を受け生活している。用意された新築のマンションに住み、莫大な生活費が送り込まれ、大学費用は全て新政府が払っており後で返す必要は無い。大学卒業まで新政府が全て面倒見てくれる。なんてこった。
3人仲良く過ごす事が多く、昼時の学食では勿論、綾瀬のサークル活動に2人が覗きに来たり、菊くんのライブに2人が来たり、律樹くんの部屋に2人があがり込んだり仲良し。
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