【短編】「パパとママとあたし」

ボンゴレ☆ビガンゴ

パパとママとあたし

 12月、ママが人間ドックに引っかかって入院した。


「たいしたことないわよ」


 病院でママは笑ってポテチを食べていた。家族が入院なんて初めてだったしドキドキしてたのに拍子抜け。

 けど、心配は心配だし、出来るだけバイト以外の外出は控えるようにしてお見舞いに行ってたんだけど……。


 それなのにパパったら一体なんなの?!


 仕事が忙しいのは分かるけど、全然お見舞いにも来ないし、そのくせ休みの日には外出することが多くなったし、ガラでもないのに「ちょいワル親父」系のファッション誌を買い始めたのも気に食わない。

 今まで気にもしなかった、ぶよぶよのお腹を引き締めようとジョギングしたりしているのだってすごくヘン。

 ま、ジョギングは三日坊主で終わったんだけど、それは置いといて、とにかく様子がおかしい。


 そんなある日、バイト帰りの繁華街でパパが女の人と楽しそうに歩いているのを目撃してしまった。あたしは驚きのあまり、とっさに電信柱の影に隠れた。

 

 パパが浮気してる?


 あたしは豪音を響かせる心臓を必死に抑えて二人が過ぎ去るのを見届けた。間違いなかった。弛み切った笑顔のパパだった。


 あたしは家に帰ると部屋に入り制服のままベットに突っ伏した。

 パパが浮気なんて信じらんない。しかもこんな大変な時期に。いや、浮気自体に時期とかは関係ないけど。

 てか、パパなんか全然カッコ良くないし、デブだし臭いし、最近おでこ広がってるし、ママがいないと何にも出来ないくせに……。なんで?なんで?


 そんなことを考えてイライラしている所に、パパは何事も無かったように帰ってきた。


「今日も残業で疲れたな」なんて白々しく言ったりしてる。

「晩飯食べたのか?」なんて部屋を覗きに来るパパ。

「勝手に入ってこないでよ! 入るときくらいノックして!!」

 あたしは声を張り上げた。

「ご、ごめんな」すっごい寂しそうな顔をして謝り、パパはすごすごと部屋を出ていった。

 こんなふうにパパを怒鳴るなんて初めてだった。

 けど、ママは一生懸命掃除とか洗濯とか食事とか、あたしやパパの為に頑張ってくれてたのに、パパはそれを全部裏切ったんだよ。

 信じらんない。 今まで家族三人で仲良しだと思っていたのに。

 あたしの中でパパとの関係に亀裂が入った瞬間だった。



 検査入院のはずだったのに、クリスマスになってもママは帰ってこなかった。ママがいないと良く分かる。パパは一人じゃ何にも出来ない人なんだ。再認識した。


 今まで家のことは全部ママに任せっきりだったパパが、急に一人で家事をこなせるわけがない。

 ていうか、恐ろしい程になんにも出来ない。

 靴下はすぐ片方無くすし、ワイシャツは脱ぎっぱなしだし、ご飯だってあたしが作らないとすぐにコンビニで済まそうとするし、しかも野菜は全然食べないし。


 ああ、もう本当にママがいないとなんにも出来ないんだから。 そんなダメダメなパパを少しずつあたしは軽蔑し始めていた。


 年が明けたというのにママはまだ病院にいた。ママは少し痩せた。


「規則正しい食生活だからダイエット効果もあっていいわよー」


 ママは売店でこっそり買ったポテチを食べながら豪快に笑ってた。ママの笑顔はいつもと変わらなくて、少し安心した。

 けど、心に残るのはパパのこと。パパはまだあの女の人と会っていた。パパは鈍感だ。あたしに尾行されていることにも気づかない。


 パパ達は一緒に洋服を見たり、ジュエリーショップに行ったり。

 ママ、かわいそう。ママは何も知らず、パパを信じてるのに……。


 心底失望したあたしはパパと顔を合わせるのも嫌になった。一緒にご飯なんか食べたくないから、パパが帰ってくると部屋に篭った。

 パパは相変わらず残業だと嘘をついての浮気に忙しいから、あたしの様子になんか気がつかない。

 ちょっと前まで笑い声が絶えなかったあたしの家だけど、もう日常会話すらなくなってしまった。


 2月のある日、あたしが朝起きて部屋を出るとパパがいた。

 パパが日曜日に早起きだなんて事自体がめちゃくちゃ珍しいってのにあろうことか、台所に立っていた。ありえない。


「あ、神菜か。なんか久しぶりな気がするな」


 あたしに気づいたパパは、おはようも言わずに決まりが悪そうな顔をした。


「そう?パパはいつも仕事だからね」


 嫌味をこめても鈍感なパパは気づかない。


「ははは、忙しい割には給料の低いのが悩みの種だよ。それにしても神菜、早起きだな」


「早起きなのはパパ。あたしはいつもこの時間には起きてるんだよ」


 つっけんどんに応える。あたしは出来るだけパパと顔を合わせたくなかったから、パパが休みの日にはさっさと朝ごはんを食べて出かけることにしていた。


「そ、そうか。ははは、母さんが入院してからというもの、神菜には苦労をかけてすまないな」


「別に。あたしご飯食べたらママのとこ行くから」


 あたしはパパと目は合わせずに脇を抜け、台所に入ろうとした。

するとなぜかパパがあたしの前に立ちはだかった。


「あ、待て。今、台所は……、あ、そうだ、今日は父さんが朝ごはん作るから神菜は席についてテレビでも見てなさい」


「何?なんで?いいよ、パパがまともに料理なんか出来るわけないし……。ってパパ何作ってんの?」


パパが体で隠すようにしている台所になにやら茶色い物体がある。それにこの匂い……。


「チョコ? 何それ? パパ、チョコ作ってんの?」


「いや、違う、違うんだ。いや、違くはないけども、でもそういうんじゃないんだ」


 しどろもどろで両手を振り言い訳をするパパ。そんなパパの手に握られていたのはいつもの「チョイ悪オヤジ」雑誌で、さらに表紙にこんな文面が踊っていた。


『手作り逆チョコで大人の男の魅力を!』


 なんかダンディなオヤジが美女を抱いて、手作りチョコをお口に「あ~ん」してあげてる表紙だった。

 全然似てもいないのだけど、パパと浮気相手がその表紙とシンクロした。


「それ、どういうこと?」

「いやあ、えっと。料理ってのもいいもんだなと思ってさ」

「ちがうでしょ。誰にあげるの?」


 冷たい視線を感じているのか、パパの目は泳いでいる。


「えっと……。あ、そうなのか、そういえばそろそろバレンタインとかだったっけな。忘れていたよ。ははは、じゃあ神菜にでもあげようかな」


 見え透いた嘘をつくパパ。


「いらない」とあたしは一蹴した。


「ははは、父さんフラれちゃったなぁ、まいったまいった」


 へらへら笑うパパ。あたしの怒りは沸点に達した。


「パパさ、鈍感だから気づいてないかもしれないけど、あたしもう全部わかってるんだよ」


 あたしはパパを睨みつけた。 パパは一瞬戸惑い、そして引き笑いのような顔になった。


「ななな、何を言ってるんだよ神菜。そうだ、父さんに美味しいチョコの作り方教えてくれよ」


「話そらさないで、隠してることあるでしょ」


 突き放すように告げる。パパの顔から薄笑いが消えた。神妙な表情になるパパ。

静寂に包まれる部屋。窓の外では小鳥のさえずりが聞こえる。


「そうか、気づいていたのか……」


 観念したのかパパは少しうなだれた。


「いつから気づいていたんだ?」


 低い声で聞いてくる。


「ママが入院してすぐ」


「そうか……。母さんに聞いたのか?」


「ママが? なんで?」


「母さんは隠し事が苦手だからな」


「酷い……」


「ああ、俺もそう思う。なんでだろうな。母さんは何にも悪いことしてないのにな」

 

 まるで自分は何も悪くないかのように言うパパ。


「なんで浮気なんてしたの?」


「……へ?」


パパは素っ頓狂な声をあげてあたしを見た。その顔がむかついた。


「なんでママが入院してるってのに平気で浮気なんか出来るのって聞いてんの」


「浮気って……誰が?」


 パパは少し固まってから聞き返してきた。

 

「今更しらばっくれないでよ」


「ちょっとまて神菜。お前が気づいてるってのは母さんの病気のことじゃないのか?」


「病気? 検査入院じゃないの?」


「……こんなに長い検査があるわけないじゃないか」


 言われてみれば確かにそうだけど……。

 でも、だってママは病院でも、いつも笑顔だったんだ。


「ママ、何の病気なの?」


 恐る恐る訊くとパパは少し黙って、一回深呼吸して、呟くように言った。


「……癌だ。しかも発見が遅れた。もうどうしようもない」


 パパの顔の何処を見ても冗談を言っているようには見えなかった。


「そ、そんな……嘘でしょ?」


「嘘ならどんなにいいか」


 あたしだけ知らなかったなんて馬鹿みたい。パパもママもヒドイ。


「な、なんで教えてくれなかったの」


 涙をこらえる。


「え? 母さんから聞いたんじゃないのか?」


「聞いてない」


「そ、そうか。ごめん……。母さん、神菜には自分から伝えたいって言ってたから」


 申し訳なさそうにうなだれるパパ。


「聞いてないよ……」


 目を逸らす。


「きっと……言い出す勇気がなかったんだろう。心配かけたくなったんだ」


「なんで、そんな時に浮気なんかしたの……」


 お互い目を合わせられずにしばらく黙っていたけど、パパが思い出したように口を開いた。


「ん? そういや、浮気ってさっきから何の話だ? 父さんは浮気なんかしてないぞ」


「うそつき! だって女の人と一緒に洋服見たり、宝石見たりしてたじゃない」


 しばしの間、思いを巡らしている様子だったパパは何かに気づいたのか納得したように声を上げた。


「あー、あれは違うぞ。あれは和子さんだよ。父さんのいとこの。お前も小さい頃会ったことあると思うんだがな。ほら父さんさ、母さんにいつも世話になりっぱなしで、でも何にもお礼できなかったから……。とびきり綺麗なネックレスでもプレゼントしようかと思ってたんだ。最後になるかもしれないから……。 でも、恥ずかしながら父さん母さんの趣味がイマイチ分からなくて。和子さんに見舞いのときにそれとなく聞いてもらってたんだ」


 おぼろげな記憶が蘇る。パパのいとこの和子さん。カズおばちゃん。全然気がつかなかった。

 照れたように笑うパパ。その表情に嘘偽りはなかった。そりゃそうだ。こんなパパが女性に持てるわけ無い。 真実を打ち明けられたら急に力が抜けた。


「そうだったんだ。でも、そのチョコは?」


「ははは、参ったな。これもサプライズのつもりだったんだ。バレンタインっていつも母さんがチョコレートをくれてただろ。この前、病院で母さんとバレンタインの話になったら、母さんが言ったんだ。 『お父さん、今年のバレンタインは手作りチョコはありませんけど、代わりにマフラー編んでるんで、私が死んじゃっても冬の度に思い出して泣いてくださいね』 って。なんかさ父さんウルッときてさ。仕返しにちょっとキザなことしたくなったんだ」


 パパは俯きながら言った。


「ほら、父さん今はデブっちょになっちゃったけど、昔は髪も長くてスラッとしててかっこよかったんだぞ。和子さん服飾関係の仕事だからさ、お洒落な洋服とかもアドバイスしてもらってたんだ。それで、お洒落してバレンタインに手作りチョコ持って、昔みたいに母さんをときめかせたかったんだ。あわよくば泣かせてやろうかな、なんて。でもまあ、多分大爆笑されて終わるんだろうけど……」


 少し寂しそうに自分のおなか周りをさするパパ。

 あたしはママの病気のことを知っての驚きや悲しさとか、パパの浮気疑惑解消での安堵感とか、なんかいろんなものがごちゃまぜになって、気がついたら涙が溢れていた。

 そのあたしの様子にパパは馬鹿みたいに慌てふためいて、ごめんごめんと謝ってきた。


 ちがうんだよパパ。あたしはママの病気のことはすごく悲しいけど、でも、パパとママがまだちゃんと愛し合っていて、二人が最後のその時を迎えることすら、まるで楽しんでいるような、そういう大きな愛に触れたから、感動して涙が出てきたんだよ。

 あたしは鼻水をすすって涙を拭いて。そして、言った。


「パパ、とりあえず、その不味そうなチョコじゃママもドン引きするだけだから。手伝ってあげるから一緒につくろ」


 パパは照れたように笑った。


「ははは、ひとつよろしく頼むよ」


その日久しぶりに我が家に笑顔が戻った。



 それから、一ヶ月程でママは亡くなった。

 ママはマフラーを半分しか完成させることが出来なかった。

 けど、あたし達家族は最後までずっと仲良しだった。


 バレンタイン以来、パパはお菓子作りに目覚めてしまった。今やあたしよりうまいんだから腹が立つ。


 そうだ。あと、パパは毎年冬になるとマフラーをしている。

 ママが作りはじめ、あたしが完成させたあのマフラーを。




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