柴崎さんはいつも正しい


 もう少しラフにいきましょう


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 駅ビルの一階にある人気のドーナツ専門店。そこが高校生の秋坂あきさかのアルバイト先である。週三日、放課後四時間のシフトで働き始めてもうすぐ二年になる。休憩時間にどのドーナツを食べようか考えながら、レジにいる同僚にお疲れさまですと挨拶をした。

 色とりどりのドーナツが並ぶショーケースを目でなぞりながらホールを抜ける。店の奥にある喫煙席の突き当りがスタッフの控え室になっている。扉を開けて右手に出退勤時刻を入力するPCがあり、左手にある鉄製のラックを逆コの字型に抜けると、カーテンで仕切られた一人分の更衣スペースがある。秋坂はノックをして扉を開けた。


 ただでさえ狭い控え室だが、PCの前に店長、ラックを背にして新人の柴崎しばさきがいた。秋坂がお疲れさまです、と挨拶すると、アラサーの店長は目を細めて応えたが、すぐに顔をモニターに戻して、柴崎と中断していたらしい話を再開した。


「――だから、お客さんへの対応はもう少し考えてね。今月三回目だよ。変なお客さんの場合は自分で対応しないで僕とか他の人に代わってもらっていいし。頼むよ、もう少し穏便にいこうね」


 秋坂は見てしまった。ラックを背に立つ柴崎が、はい、はい、と神妙なトーンで返事をしながら、白目を剥いて自撮りをしているのを。その姿はモニターを見つめる店長には見えていない。後ろを向いてあっかんべーするように、柴崎は後ろを向いて白目を剥いて自撮りをしている。


 ブルルル、とPCの横に置かれた電話が鳴った。受話器を取って店名を言い終わると同時に、店長は受話器を下ろした。柴崎が働き始めてから、店にかかってくる悪質な電話が増えていた。


 柴崎はよく勤務中にナンパされる。特別な美人というわけではないが、髪の毛をまとめて帽子の中に入れた時に見える額はとても綺麗だ。背筋を伸ばして接客する姿は凛としていて、柴崎の周りだけ空気の流れが異なっているような独特の雰囲気があった。


 一ヶ月前のことだ。夕方の帰宅ラッシュのピークを過ぎた頃、会社員風の男性二人が柴崎のレジに当たった。帰り際、その片割れが名刺にメッセージを書いて柴崎に渡した。柴崎は秋坂の目の前で名刺を破いた。「美味しいドーナツをありがとうございます、ですって。私が作ったんじゃねーし」二十五歳の柴崎は基本敬語だが、ひとり言を呟くときだけは反抗期の中学生のような口調になる。秋坂はその砕けた話し方が気に入っていた。


 アピアランスのチェックを済ませ、秋坂がホールに戻る頃には柴崎も接客に戻っていた。


「さっきは何の話だったんですか?」


 トレイを拭く柴崎に小声で話しかけると、秋坂よりもふた回り大きな音量で事情が伝えられた。


「昨日、肉まんが来たんです」


 肉まんとは、例の名刺を渡した会社員風の男性のことだ。接客した際、店に存在しないメニューである肉まんを頑なに注文し続けたことから定着した呼び名である。


「連絡くれなかったからもう一度渡しておきますねって名刺渡されたから、あざまーすって受け取ってすぐに捨てたんですけど、店の外から捨てる瞬間見てたみたいで店に電話かかってきて、それから今日も15回くらい電話かかってきてるんです。柴崎の連絡先を教えろって」


 先ほど店長が切った電話も肉まんからなのだろう。白目の理由もそれかと尋ねると、柴崎は鼻の頭をかいた。


「だって、店長、私が客を誘惑してるんじゃないかって思ってるんですよ? ドーナツのレジで何を媚び売るんだって感じじゃないですか。バカみたいな話も真剣に聞いて、なんていうか、そういう理不尽に対しても真摯さ見せてストレス溜めて心の方を押し潰されていく人って多いと思うんですよね。それなら後ろ向いて白目剥くくらい、適当に手ぇ抜くほうが気持ち的にいいって思いません? 私の白目画像評判いいし」


 なんと、撮った画像をSNSにアップしているらしい。

 年下の自分に対しても敬語を崩さない柴崎の立ち居振る舞いから、自ら進んでネットに醜態を晒す姿は想像し難かったが、柴崎が言うならそれもそんなに悪くないことのように思えた。


 セールと帰宅ラッシュがあわさって店内が混み合ってきたにも関わらず、キッチン担当の大学生に説教を始めた店長の声が聞こえてきた。いらっしゃいませ、とカウンター越しに客に向けたお辞儀で下を向いた瞬間、秋坂は先ほどの柴崎のように白目を剥いてみた。なるほど、そんなに悪くない。


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