女郎蜘蛛
教師と生徒の不純な関係なんて、今時ウチのようなゴシップ専門の週刊誌ですら取り上げることは少ない。それほどまで目くじらを立てて騒ぐほどの価値もなければインパクトもない。
ただ、その教師が複数の生徒と性的な関係を持っていたとすれば話は別だ。いくらその地域で底辺に近いような高校であれ、教師がそこまでのモラルハザードを起こしているのだとすれば、少なくともその事実如何に係わらず過激なネタに餓えている読者は悦ぶことだろう。
「つまり、メガネキュウリと揶揄されていたその教師は、君とも関係があったんだね」
「はい」
目の前で唇を噛み涙を堪えながら、その少女は小さく頷いた。取材をする時、こういうファミレスは便利だ。騒がしいが会話するには不自由がなく、周囲は他の席の会話には無関心だ。
ゴシップ誌の記事とはいえ取材を疎かにする訳にはいかない。丹念に取材を繰り返し、そこで明らかになった事実が納得できるほど過激であればその事実を、物足りなければ虚実にはならない程度にスパイシーな言葉で彩り過激に仕上げる。
男は、ある高校で起きた失踪事件を追っていた。いや、単純な失踪事件とは最早呼べはしないだろう。それほどまでに複雑怪奇な事件だった。
切っ掛けは、ある精神病院に勤務する看護士を名乗る男からの情報提供だった。その看護士のからのメールによれば、男の勤務する精神病院の隔離病棟から、かなり危険な患者が逃げ出したという。別段その程度ならば記事にするようなものでもない。だがそれに前後して発生していた事件があまりにも異様だった。
その患者は十七歳の少女で、隔離入院となった理由は、なんと恋焦がれた相手への数日間に及ぶ監禁暴行と陵辱で、しかも恋焦がれた相手はまだ若いとはいえ教師だった。少女は精神的な疾患を患っていたことが分かり、この街で唯一隔離病棟がある精神病院へ強制入院となっていたらしい。
当時、大きな話題にならなかったのが不思議なほどの事件だ。どうやらそれは、学校と病院、患者の両親が、患者がまだ未成年であることを考慮した上で、被害者と「平和的」に話し合った結果だということだ。
きっと相応の金が動いただろうことは想像に易い。最初はそこを追及していこうかと思っていた。ところが、調べていくと事件は妙な方向へと向かっていた。
隔離病棟から脱走した患者はその後、ある男と共に姿を消した。その男とは、何と以前患者が数日間にわたり監禁暴行した、その被害者だったというのだ。
更にその直後、今度は患者の両親が死んだ。警察発表によると、父親による無理心中だったらしい。
ここまで事態が悪化すれば、病院側がどれだけ巧妙に隠蔽しようとも警察が動く。結果、学校と病院も協力せざるを得なくなり情報を提供したらしいが、二人の行方は全く掴めなかった。
そして目の前の少女は、二人が教師の車で学校から立ち去るところをその目で見たのだという。そして何よりも、その被害者であるはずの教師は、この少女も含め複数の女生徒と性的な関係があったという情報を得た。だが、目の前のこの少女も含め、教師と関係を持っていた女生徒は皆、何故なのか教師を擁護するような発言を繰り返していた。教師が複数の女生徒と関係を持っていたことを知ってもなお、である。
記者にはまるで、少女らが妙なカルト教団にでも洗脳されているかのようにすら映った。異様としか思えなかった。
「先生は、ただ寂しかったんです。私はそれを埋めてあげたかった」
「君はそのメガネキュウリが複数の女生徒と関係を持っていても、それがおかしいと思わないのかい」
「思います」
「だが、君は警察にも私にも、彼を擁護するような発言をしている。それはどうしてなんだい」
「愛しているからです」
「複数の女生徒と関係があった彼を、今でもかい」
「はい」
「君はまだ十七歳の高校生だろう。愛しているという言葉の意味を正しく理解しているとは、到底思えないんだが」
「あなたは理解しているんですか」
「君よりは、ね」
「なら教えてください。愛するとはどういうことなのですか」
「愛とは、好意を抱き、思い遣り、労わり、支えることだ」
「それらは愛ではありません」
「なら、君の言う愛とはなんだ」
「相手の全てを受け入れることです」
「何を馬鹿な」
「歪み澱み腐り、例え相手のそれが毒であったとしても、受け入れることです」
「それは盲信であって愛ではない」
「たとえ盲信でも構わない。それが先生の求める愛だったから」
「何を馬鹿な」
「盲信するほど本気で誰かを愛したことなんて、ないんでしょう」
「小娘がふざけるなっ」
憐憫の目を向ける少女に思わず言葉を荒げテーブルを叩いてしまった。瞬間、周囲が一瞬にして静まり返り、私へ好奇の視線を向ける。
少女は変わらず、まるで哀れむかのように私を見下していた。あまりにも屈辱的だった。まだ酒も飲めないような年齢の小娘に煽られ、激昂させられてしまった。
だが、確かにそこまで誰かを愛したことなどない。そんな相手に巡り合えなかったというよりも、そこま強く愛そうとすらしなかった。
「さすが底辺に近い高校の生徒は言うことが違うな」
「愛に学歴が関係あるなんて、私はじめて知りました」
「そんな風に馬鹿だから、そういう男にあっさりと股を開くんだろうが」
「愛する男性に抱かれる幸せを求めるのは、罪なのですか」
「そ、それは――」
不意に、少女の頬を涙が伝った。それはこの少女が私が突き刺した暴言の全てを理解していることを示していた。
それでもなお、メガネキュウリを愛していると盲信しなければ自我を支えられないと、その涙が告げていた。
掛ける言葉がみつからない。暴言を発した自分が醜く思えた。
「先生と消えたあの子、中学の頃に酷い苛めに遭っていたんです」
俯く少女の姿はまるで、懺悔を求める罪人のようにも見えた。
「誰も助けようとしなかった。でもある日、苛めてた不良のリーダーが、非常階段で足を滑らせて転落死して」
いや、違う。この少女は酷く怯えているのだ。誰に怯えているのか、それは考えるまでもない。メガネキュウリと姿を消した患者に対してだろう。
だが、だとすればどうして彼女は二人に対してここまでの恐怖を感じているのだろうか。
「みんな彼女がやったんだって噂してた。でもそうじゃないって私は知ってるんです。だって、あの男が背中から非常階段に落ちていったのを、私は見ていたんだから」
背中から、落ちていく――
瞬間、背筋を嫌な汗が伝った。絶句しながら少女を見詰めていると、不意に少女は顔を上げた。大きく見開かれた眼が、私を凝視している。
「私は誰かに愛される価値なんてない。でも先生はそんな私に優しくしてくれた。だから、盲信でもいいんです。きっと彼女も、そう思っていたばす」
微笑みながら私を凝視するその姿は、愛に飢えた獣のように見えた。巣に掛かった虫けらを見下ろす女郎蜘蛛のように思えた。
「記者さん、盲信するほどの強い愛を、感じたくはありませんか」
決して逃げることはできない――少女の言葉の裏にある真意を垣間見たような気がして、私は全身の血が凍りついたかのように思った。
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