第8話カニクリームコロッケ、美味しい

 超巨大カニクリームコロッケがエアーズロックに刻んだ文章に、人類は震えた。

 オーストラリアを代表する自然遺産が壊された事など、そんなことはどうでもいい。神が居たこと、自分達が被創造物であったことはもちろん驚いたが、それ以上に驚いたことがある。カニクリームコロッケ達があまりにも下らない理由で創られていたことだ。

 自らの親を、友を、恋人を。あまりにも惨たらしく殺した理由の発端は、ただの口内の火傷。それを笑われただけ。

 ただそれだけの理由で、人類の多くは死んだ。この上ない苦しみを抱いて。


 けれど、人類がそれに反抗できる力は無い。相手は神、何だってできる。現に超巨大カニクリームコロッケは文字を刻み終えた後、光に包まれて消えた。これこそ神の所業。超巨大な動くカニクリームコロッケをメッセンジャーとして創り出し、用が終わればまるでコンピュータグラフィックスのように幻想的に消してみせる。そんな相手に勝てるはずがない。

 この世界にキリストも、ゼウスも、仏もいなかった。カニクリームコロッケ狂いの変な神がこの世界を仕切っているのだ。

 悲しくも人類は、この狂った事実を受け入れるしかなかった。


 超巨大カニクリームコロッケが消えて、百年。

 人類はかつての生活をほぼ完ぺきに取り戻せた。


 立ち並ぶビルに行き交う車。ほとんどの人々は自らの命の心配もなく、安全に今日と言う日を懸命に生きている。産まれ、育ち、子を成して老いる。当たり前の人生を、当たり前に歩む。カニクリームコロッケに殺される心配をせずに、人生を謳歌している。

 列車は規則正しく走り、必要な物資が必要な場所に必要な時間に行き届く。大型旅客機が飛び、宇宙へロケットを飛ばす。人類の未来はカニクリームコロッケに消されず、今もこうやって続いている。


 けれど、人類は変わった。


 今、人類の文化、生活、全ての中心にあるのがカニクリームコロッケだ。研究された科学技術は、まず何に活用されるのが期待されるか。多くの命を助ける医療か。多くの命を奪う兵器か。いや、カニクリームコロッケに使われる。より美味しくカニクリームコロッケを揚げる技術に。より早くカニクリームコロッケを提供できる技術に。より大量にカニクリームコロッケの資源を確保できる技術に。研究結果はまず第一にカニクリームコロッケに関わる技術へと変換されていくのだ。他への活用はその後だ。


 書店にはどのような本が並んでいるか。カニクリームコロッケの作り方、カニクリームコロッケ図鑑、カニクリームコロッケのお店の始め方。カニクリームコロッケを題材にした小説、カニクリームコロッケの写真集、カニクリームコロッケの詩集。

 本だけではない。歌、映像作品、ダンス。ありとあらゆる文化的活動は、カニクリームコロッケを題材にしたものがほとんどだ。

 学校に行けば毎日一時間は、カニクリームコロッケに関わる授業が行われる。カニクリームコロッケの歴史、カニクリームコロッケと私たちの暮らし。もちろん、大学でもカニクリームコロッケ学部が存在する。行われる講義は現代カニクリームコロッケ概論、カニクリームコロッケリテラシー等々……。将来を担う若者の脳が、カニクリームコロッケに埋め尽くされていく。

 テレビを点ければカニクリームコロッケ、カニクリームコロッケ。道を歩けばカニクリームコロッケ、カニクリームコロッケ。世界の何処にいてもカニクリームコロッケが五感に触れる。


 カニクリームコロッケは人類を支配した。

 カニクリームコロッケは未来を支配した。


 四年に一度は、世界カニクリームコロッケ大会が開催される。様々な部門に分かれて、カニクリームコロッケへの技術の高さを競うのだ。例えばカニクリームコロッケをどれだけ美味しく作れるか。五百円別、千円別といった値段ごとの階級に分かれ各国が選手を派遣し、競い合う。無論、料理だけではない。

 カニクリームコロッケをどれだけ上品に食べれるか、よりカニクリームコロッケを美しく描かれるか、等々。ありとあらゆるジャンルの競技が行われるこの大会。開催地に選ばれれば、その経済効果は数兆円とも言われるほどのビックイベントだ。

 かつてこの位置に収まっていたオリンピックは、もはやマイナーイベントにまで成り下がり、スポーツ選手達は食うに困っている。


 カニクリームコロッケによって、人類は歪められた。


 カニクリームコロッケに携わる人間の目は、まるで何かに憑りつかれているようだ。それもそうだろう。神から『君達の存在意義はカニクリームコロッケを作ることのみだ』と言われてしまったのだから。常にカニクリームコロッケに関わらないと、不安で堪らないのだ。百年経ったとはいえ、あの時の惨状を伝える資料はたくさんあり、人類はカニクリームコロッケのトラウマから逃れられない。

 神の機嫌を損ねたらどうなるか。待っているのは惨たらしい死。いや、それ以上かもしれない。そんな不安が彼らをカニクリームコロッケへと向かわせる。

 寝ても覚めてもカニクリームコロッケ、カニクリームコロッケ。カニクリームコロッケに関われぬ者は負け組、人非人。カニクリームコロッケを嫌いな者には石を投げ、張り付けにして火にくべる。彼らの不安はそれほどまでなのだ。


 そんな狂った時代の、とあるカニクリームコロッケ専門店に一人の男が入店する。


「いらっしゃいませ、御一人様でございましょうか?」

「あぁ」

「畏まりました、お席の方までご案内させていただきます」


 店員の案内を受けて男は席に案内され、座る。店の内装は所謂フレンチ料理店と洋食屋を足して二で割ったようなものである。つまり、カジュアルなフレンチ料理店といったところだろう。周囲の客も大変リラックスした者が多く、老若男女が利用している。ドレスコードも無いようで、ジャケットを着ていない者も少なくない。アロハを着たおじいさんまで居るほどだ。 


「ご注文はお決まりでしょうか」

「この店の普通のカニクリームコロッケをくれ」


 給仕係に対して男はメニューを見ることもなく、簡潔に言葉を述べる。少々失礼な物言いだが、給仕係は嫌な顔一つせずに頷き言葉を返す。


「畏まりました。お飲み物はいかがいたしましょう。スタンダードなカニクリームコロッケに合わせるとなりますと……。メルキュレイの白なんていかがでしょうか。あ、他にもスパークリングが合いますので……」


 給仕係の胸には金のバッジに、黒字でCCCと刻まれている。これはCrab Cream Croquetteの略であり、カニクリームコロッケに対しての知識及び技術が高水準になった者にのみ与えられるバッジである。つまり彼はこの店の給仕係であると同時に、

カニクリームコロッケのプロなのである。

 そんな彼の少々長ったらしくも嫌味の無い言葉に、男は思わず笑みを浮かべる。


「ふふっ。いや今日はビールと一緒に食べたいと思っていたところでね。それでは駄目かな?」

「そんなことはございません。カニクリームコロッケを美味しく召し上がっていただけるのなら、如何様にも。生ビールとご一緒にお持ち致しますね」


 給仕係は笑みを浮かべて返事をし、颯爽と厨房へ伝えに行く。

 さてスマートフォンで何か調べ物でも、と思いながら男が胸ポケットに手をかけた瞬間。先ほどの給仕係が、皿とジョッキを持って現れた。ビールはともかく、あまりにも早い料理の到着に男は若干の不信感を抱くが、皿の上を見てすぐに考えを改める。

 コトリと置かれたそれは、紛うことなきカニクリームコロッケ。白い皿にトマトベースの赤いソースを丸く置いた、日の丸にも似たシンプルで美しいデザイン。そこに可愛らしくカニクリームコロッケが二つ並ぶ。まるで小さな子供が正座をしているような愛嬌があり、思わず顔がほころぶ。


「昔に比べて随分と調理が早くなったようだね」

「恐れ入ります。業界全体の技術が格段に進歩致しましたので。もちろん味もでございます」


 給仕は少々悪戯な笑みを浮かべて、下がる。何とも居心地のいい雰囲気に男は思わず微笑む。店の雰囲気というのは、飲食店にとって重要だ。どんなに食事が美味しかろうと、それが悪ければ全てダメになる。

 その事実を再確認しながら、男はサクッとした衣にナイフを突き立て半分に分ける。中から白の幸せが顔を出す。所々に赤いカニの身が覗き、見た者の食欲をこれでもかと掻き立てる。

 男はそれをフォークで器用に持ち上げて、恐る恐る口に含む。


 口の中で、衣がその存在を主張する。サクサクという噛みごたえが実に楽し気で、飽きさせることが無い。カニとクリームのバランスも絶妙だ。カニが少なすぎることもなく、クリームの作りに手を抜いている様子もない。スタンダードなカニクリームコロッケを維持しながらも、全体のレベルを高めて格調高くしたこの逸品。

 けれど、そこに全くの嫌味が無いのは他ならぬ接客の術。初めてなのに、行きつけの店での食事のように感じさせてくれる。この店は紛れもない名店。洋食屋とフランス料理店の良い所を見事に抜き出し、自分のものにできている。

 特筆すべきはカニクリームコロッケの温度。これ以上熱いと火傷をする。これ以上冷ますとぬるいと感じる絶妙な温度。あの頃の苦い思いは最早過去の事。男はそう思いながら、続けざまにもう半分を口に含み味わった後、ビールを流し込む。


 そして、心底満足そうに眼を閉じ、微笑を浮かべ言った。



「カニクリームコロッケ、美味しい」


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カニクリームコロッケ、空を飛ぶ ころっけぱんだ @yakisaba6

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