超絶切ない系ラブロマンス!『ジジイとババアの恋物語』

ボンゴレ☆ビガンゴ

ジジイとババアの恋物語

 男の赤ちゃんが一番最初に憎しみを抱く相手は父親に対してだという。赤ちゃんにしてみれば、人生で初めて知る女性であり、世界で一番自分を愛してくれる存在である母を自分から引き離すのが父だからである。


 天使のような赤子でさえ憎しみを覚えるのだ。ならば、老いさらばえたヨボヨボの老人が恋をしてはいけない、などという事はないだろう。



 トメゾウは齢90。昔はピシッと決めた角刈りが自慢だった。彼は無口だが、一本筋の通った男で昔気質のいい男であった。

 若い頃は大層モテた。彼の家は八百屋を営んでおり、彼目当てで足を運ぶ女も多かった。だが、彼は仕事熱心だったためか、それとも単純に気に入った娘がいなかったためか、客には一切目もくれず黙々と働き続けた。

 結局、妻をめとることもなく、独身のまま年を重ねた。筋骨隆々だったその体は衰え、頭部も寂しくなった。嫁も子供もいないのでは、待つのは孤独死だけ。

 そんなふうに自分でも半ば諦めていた。


 そんなある日、近所のスーパーへ買い物に出かけたトメゾウは彼女に出会ったのだ。



 ツルは齢90。若い頃はそれはそれはべっぴんだった。決して裕福な家庭ではなかったため、ハイカラな化粧道具などは中々持てなかったが、だからこそ、その素顔の純朴さ、美しさに男たちは惚れたのだ。

 そんな彼女だったが、若くして夫に先立たれ、女手一つで娘を育てることになった。

 時代が時代だ。女手一つで子を育てるのはとても大変だった。更に追い討ちを掛けるようにツルの両親も次々に病死。頼る相手は誰もいなくなった。

 死に物狂いで働いて、娘を育て上げた頃には昔の美貌など、すっかり消え果て、クタクタに疲れた顔になっていた。今では孫の顔を見ることだけが生きがい。

 娘には「もう成人してるんだから、甘やかさないで」などと言われるが、やっぱり可愛いものは可愛い。

 そんなある日、近所のスーパーへ買い物に出かけたツルは彼に出会ったのだ。



 野菜コーナーでおツルが人参を選んでいた時だった。


「その人参はやめたほうが良いですぞ」


 隣で同じように人参を見ていた老紳士に話しかけられた。


「人参はデーボコが少なくて肌触りが滑らかなものを選ぶんじゃ」


 突然、話しかけられたことには驚いたが、その声は穏やかでどこか懐かしい感じがした。「デーボコ」という響きが、昔仲の良かった幼馴染の男の子の言い方にそっくりだったのが原因かもしれない。

 ツルの隣の家は八百屋を営んでいた。そこにはツルと同い年の男の子がいて、何をするのにも一緒だった。

 何かあるとすぐにツルのことをデーボコ顔、と冷やかした。

 凸凹のことをデーボコ、と言う彼とは喧嘩も多かったが兄弟のように接していた。

 それ以上に、ツルはその幼馴染にほのかな恋心を抱いていたのも事実だった。


 しかし、戦争で彼は死んだ、と戦後、風の噂で耳にしていた。


 「どうも、教えてくれてありがとうございます」


 何だか懐かしいことを思い出してしまったわね、と内心おかしく思いながらツルが老紳士の方を向いた時、ハッとした。

 

 この人、どこかで会ったことがある。

 いや、まさか、そんなはずはない。


 目を丸くして驚いているツルを見る老紳士の顔も、同じように口を開けて固まっていた。


「おツルさん? もしかして、あんたおツルさんかい?」


 先に口を開いたのは老紳士の方だった。


「わしじゃ、八百屋の倅のトメゾウじゃ」


 突然のことにツルは耳を疑った。


「トメゾウさん? あのトメゾウさんなの?」


 二人は幼なじみだった。

 何をするのも一緒だった。二人は互いに想いを打ち明けることはなかったが、愛し合っていた。


 だが、それはツルに縁談の話が来た時までだった。



  ◯ ◯ ◯



 縁談の話が来た、ということを真っ先に聞いたのは誰でもない、トメゾウだった。雨の6月。店の裏で涙を溜めたツル本人から聞かされた。


「あたし、好きでもない人の所になど嫁ぎたくないよ……」


 ポロポロと涙がツルの頬を流れた。しかし、貧乏八百屋の倅、トメゾウにはどうすることもできなかった。 相手は良家、結婚すれば将来は安泰だ。ツルの家もあまり裕福ではなかったから、なおのことその縁談はツルの家にとっては、またとない機会だったのだ。

 それを邪魔するようなことはできない。


「よ、良かったじゃないか。相手は大地主だ。結婚すれば何不自由ない生活が待っているじゃないか。何をそんなに悲しんでいるんだよ」


 心にもないことをトメゾウは言った。本当は抱きしめて「嫁になど行くな」と叫びたかったのに。


「本当にあなたはそれでいいの?」


 ツルが震える声で尋ねる。

 トメゾウは自分の気持ちをぐっと心の深いところに押し込めた。


「おめでとう。幸せになってくれ」


 トメゾウはあの日のツルの眼差しを忘れることができなかった。だが、トメゾウは自分の判断を後悔することはなかった。

 事実、戦争に負け、八百屋は廃業。ギリギリの生活をこの年まで続けてきたのだから。

 あの日二人で駆け落ちしたとしても、彼女を幸せにできたかなんてわからない。

 そう自分に言い聞かせて正当化してきた。

 夜逃げのように街を抜け出したトメゾウに、ツルがその後どうなったかなど知る由もなかった。



 ◯ ◯ ◯

  


「まさか、あなた本当にトメゾウさんなの?」


「そうじゃよ、貧乏八百屋のトメゾウじゃよ」


「だって、あなた戦争で亡くなったって聞いたのに」


「わしが戦争で? 誰からそんなことを聞いたんじゃ」


「亡くなった主人よ。トメゾウさんのご親戚から伺ったって」


「そうか、何かの手違いがあったのかもしれんな。じゃが、わしはどっこい生きておる」


 トメゾウはツルを連れて行った男の顔を記憶の底から呼び起こす。自分の親戚とその男との間には一切接点はなかったはずだ。

 だが、今更そんなことを蒸し返すのも悪い気がしたので何も言わなかった。


「ん? ご主人は亡くなったって? いつのことじゃ?」


「戦後まもなくよ」


「そうか……、それはお気の毒さまでした」


 トメゾウが小さくお辞儀する。

 何だかしんみりしてしまった二人の間を訝しげに主婦がすり抜ける。ここが夕暮れ時のスーパーだということをお互い忘れてしまっていた。


「こんなところで話し込むのも何じゃから、お茶でもせんかね?」


 トメゾウの提案にツルは笑顔で頷いた。

 

 二人はスーパーの脇にある小さな公園のベンチに座った。こんなに近くで生活していたのに、何十年も気がつかないことに笑い合った。


 それからというもの、二人は離れていた時間を埋めるように頻繁に会うようになった。お互い足腰も弱くなったので出かけるのは決まってこの小さな公園だ。


 日がな一日ベンチに腰掛け、互いの苦労話や自慢話を繰り返す日々。

 トメゾウにとって、90年も生きてきて初めての幸せな日々だった、


「ふふふ、トメゾウさん、それにしても随分とおつむが寂しくなりましたね」


「おツルさんだって、なんだい、シミだらけのデーボコ顔じゃないかい」


 悪口を言い合っていても二人は楽しそう。 まるで少年と少女のように二人はコロコロと笑い合った。


 でも、もうお互い自分たちの人生がそんなに長くないことは知っていました(ここから急にですます調)


 ある日、何を思ったのかトメゾウはツルの手を握りしめベンチから立ち上がるとズイズイ歩き始めました。


「あらあら、トメゾウさん、どこへ行くんですか」


トメゾウは無言のまま、ズイズイ進みます。


「もうちょっとゆっくり歩いてくださいな」


 二人は歩きます。今までは公園にしか行かなかったのに、なんとトメゾウはバスに乗り込んだのです。


 到着したのは繁華街。さらにズイズイとトメゾウは進みます。


「どこまでいくんですか」

 ツルが訪ねてもぎゅっと手を握ったままトメゾウは答えません。


そして、ついにトメゾウは立ち止まりました。


 目の前には煌びやかな10階建ほどのビル。

 看板には「HOTELカサブランカ」の文字。


 勿論、横文字に弱いツルの事です。何がなにやらさっぱりわかりません。


 トメゾウに連れられるまま中に入り、受付を済ませたところでようやく気がついたのでした。


(あら、これが「連れ込み宿」なのね)と。

 

 トメゾウの突然の大胆な行動。しかし、意外にもツルは驚きもしませんでした。


 部屋に入るとトメゾウは静かにツルをベットへ横たわらせました。そして、こう語りかけたのです。


「ツルさんや、わしゃずっとお前さんが好きじゃった。物心ついた時からかれこれ90年、ずっとお前さんの事ばかり考えておった。お前さんが嫁に行くときも、顔で笑って心では泣いておった。

 本当は嫁になど行かせとうなかった。しかし、わしの家は貧乏じゃった。お前さんの家もわしの家と大差なかったじゃろう。

 良家のあの人がお前さんを気に入って縁談を持ちかけてくれて、お前のおっとさんもたいそう喜んでおった。

 わしもお前さんが幸せになってくれるならと諦めたんじゃ。この空の下でお前さんが幸せに暮らせるためならばと、臆病なわしも戦争へ行けた。

 何度も死にかけたが、お前さんの為に、ただお前さんの平穏な暮らしを守りたいがために、わしは戦ったんじゃ」


「トメゾウさん…、私も本当は貴方のお嫁さんになりたかったのよ。でもあの縁談、親が喜んでくれたから断れなかった。

 結婚前夜ね、私、貴方が私を連れ去ってくれないかって馬鹿な事考えて、ずっと寝ずに待っていたの。でも貴方は現れなかった。

 ううん、責めてるわけじゃないのよ。

 あの人と結婚して子供が産まれて、私幸せだったと思う。うん、本当に幸せだった。

 でもね、心にはほんの小さなわだかまりが残っていたの。

 私、貴方を愛してたんだわ……。ずっと、ずーっと……」


「おツルさん…」


「トメゾウさん…」


 トメゾウはおつるのクリーム色のブラウスのボタンを外そうと手をかけました。 しかし、ツルは身をよじって抵抗したのです。


「ごめんなさい、やっぱりやめましょう」


 ツルはその手を払いのけました。


「どうかしてたわ私。私もう立派なおばあちゃんよ、こんなことできないわ……

 それに、こんなみすぼらしい体を貴方に見られたくない。貴方が私を想ってくれていた90年を壊したくないの。

 生理なんか何十年も前に終わったわ、おっぱいなんか垂れきってるわ、見て分かるでしょ、皮はたるんで、肌はかさかさ。娘を育てるだけで精一杯だった。

 もう私、『女』じゃないのよ…」


 唇を噛み締め泣き出しそうに俯くツルにトメゾウは微笑みかけました。


「君の仕草、優しさ、泣くのをこらえて唇を噛む癖、何も変わっていないよ。僕にとって君はいつまでも一番愛おしい女性なんだ。僕にとって君は今でも世界一綺麗な女性だよ」


 ツルはこらえきれず涙をこぼした。


「おツルさんや、90年も言いたくて言えなかったことがある。聞いてくれるかい?」


「はい……」


「好きだ。結婚してくれ」


「はい、こんな私で良ければ…」


 トメゾウはツルを抱き寄せキスをしました。



 そして… …


 いや、やめておきましょう。


 ここはラブホテル。


 一組の愛し合っているカップルがこの場所にいるのです。


 これ以上は野暮ってもんですよね。


 変わりといっちゃあアレですが、最後に一曲、有名な曲を。


 ビートルズは昔こんな歌をうたったのです。


「ALL YOU NEED IS LOVE 愛こそはすべて」 と……。




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超絶切ない系ラブロマンス!『ジジイとババアの恋物語』 ボンゴレ☆ビガンゴ @bigango

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