最後の五分で君に伝えたいこと
楠樹 暖
気がつくと真っ白な世界に居た。ここはどこだ? どうして俺はこんなところに居るんだ? 頭がぼんやりする。
真っ白な世界に徐々に風景が現れてくるのに呼応するように頭の混乱も収まってきた。
確か、今朝は彼女の家に行ったっけ。そこで彼女と喧嘩して……。あれなんで喧嘩したんだっけ? そうそう、お気に入りのTシャツを着て彼女に会いに言ったんだ。てっきり褒めてもらえるかと思っていたのに、彼女は俺の姿を見てこう言ったんだ。
「Tシャツから胸毛がはみ出してるよ」
「いいだろ、ちょっとぐらい」
「駄目よ、恥ずかしい。胸毛全部剃ったげよっか?」
毛が濃いことにコンプレックスを持っていた俺は、ここでカチンと来て怒って彼女の家を飛び出したんだっけ。あぁ、今思い出すとちっちゃなことでキレたなぁ。そして、道路に飛び出したところで……。頭がズキッと痛んだ。そうだ、車に轢かれたんだ。
周りの景色がハッキリと見えるようになってきた。どうやら河原のようなところに居るようだ。
しばらく歩いていくと、何箇所か石が積み上げられていた。もしかして、これが噂に聞く『賽の河原』か? やはり、俺は死んでしまったのか?
更に歩いていくと川が出てきた。きっと『三途の川』だ。向こう岸を見ると死んだじいちゃんが手を振っている。こちら岸では、渡し舟に老婆が一人居る。老婆が手を出して何かを要求している。渡し賃の六文銭か。これに乗って向こう岸に渡ってしまうともう完全にあの世に行ってしまうんだろうな。こんなことなら彼女と喧嘩なんかするんじゃなかったな。どうしてもっと大人になれなかったんだろう。
彼女のことを考えると、胸がズキッと痛んだ。せめて彼女に一言謝りたかったな。ズキズキ、ズキズキ。胸の痛みが激しくなる。あぁ、神様お願いです。もう一度彼女に会わせてください!
次の瞬間、体を稲妻が貫いたかのような衝撃が走り気を失った。いや、気を失ったのではなく、意識が戻ったのだ。
「ねぇ、目を覚まして!」
目を開けると彼女が俺の体を叩いていた。どうやら三途の川は渡らないで済んだらしい。体中がズキズキする。
「……大丈夫……だよ」
「よかった、意識を取り戻してくれた。あのね、あのね、心臓がね、止まってたんだよ。それでね、心臓が止まってね、脳に血液が運ばれなくなるとね、五分ほどでね、死んじゃうところだったんだって。それで、私ね。あのね……」
「さっきは、ゴメン。つい頭に血が上っちゃって……」
「そんなのは、いいの。私の方こそゴメンナサイ。それで、あの、ホントにゴメンナサイ」
俺のそばには、ケースのようなものがあった。AEDだ。AEDから伸びる電線は俺の体へと続いていた。そして、胸に貼り付けられた電極パッドへと繋がっている。着ていたお気に入りのTシャツは切り裂かれ、左右へと広げられていた。
「あのね、電極パッドがつけられなくてね」
「あぁ、Tシャツならいいよ。また買えば」
「いや、じゃくてね。その……」
「?」
「胸毛がね、邪魔でね。電極パッドが張り付かなかったの。それで、そういう時はね、テープを貼り付けてね、一気に剥がすんだって」
俺の傍らには大量の胸毛が貼り付いたテープが転がっている。俺の胸がズキズキと痛んでいる。
最後の五分で君に伝えたいこと 楠樹 暖 @kusunokidan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます