『これから僕等は』

 ハァと息を吐くと、空気が白く染まる季節。

皮肉にも、時間は僕等を待ってはくれないらしい。

あれからどれくらいの時間が経ったかなんて言えば、彼女はまた顔を赤く染めてしまうだろうから、僕にはそれを直接言ってはならないような、そんな気持ちが働いている。


 「あと何日あるのかな…」

大学のレポートやら発表やらに追い込まれていた僕は、ここ最近自分のことで手いっぱいになりがちだった。

やらなければいけないことが、やりたいと思うことをどんどん侵食していく日々に、頭が回らなくなりそうな生活をしていた。

そんな生活を切り抜けられたのは、ひと月ほど前にとある約束をしていたからであって、その約束というのは

「ああ…3日後か…。一緒にイルミネーションを見に行くんだ…」

つまり、そういうことである。


 自意識過剰であまりにも素直すぎる僕と、初心で尚且つ凛とした儚さを持ち合わせる彼女。

こんな凹凸コンビが出来上がるとは、誰しも思っていなかったであろうし、この関係性は誰も知らない。

所謂『二人だけの秘密』のようなもので、これは彼女の提案を僕が丸呑みしたために出来上がった状況だった。

だから、一緒にどこか行こうにも、なんとなく気を使ってしまうし、話しかける時も二人の時以外は言葉を選ぶ。

イルミネーションを見に行くという話が出たときも、この秘密の例外ではなかった。

「あくまで友達を装う」とか「学校の帰りに寄っていくくらいなら怪しまれないんじゃないか」とか、普通そこまで気にするものではないようなことも僕等の間では話題に上がった。

結局、学校帰りに見に行くことになり、あくまで帰り路をなぞるように見て歩ける場所だけに足を運ぶことになった。

なんとなく味気なく感じてはいるが、彼女に陶酔している僕はちょっとでも一緒にいられるだけでよかった。


 ただ、一つだけ問題があるのだ。

お互いの予定をすり合わせて、なんとか見に行く日は決められたものの、その日は

「1か月かぁ…」

僕らが付き合い始めてちょうど一か月という日に当たるものだった。

正直彼女は気が付いていないような気もしているが、周りから痛いくらいにロマンチストと言われる僕が、見過ごせるわけはなかった。

「一体なにしよう…」

と、悩みに悩み続けている。

限られた時間で、しかも周りの目をあまり気にしなくてもいいようなことというのは、なかなか難しい。

また、行く範囲をもう決めてしまっているので、どこかお店に入ろうにもなんとなく難しい感じではあった。

「やっぱり、何かあげるかな…」

僕は近くにあったメモ帳を引きずりだして、大雑把に線を引き始める。


 「私はね、やっぱり絵を描いていてほしいって思う。」

振り向きざまに彼女はそう言っていた。

 僕は、昔から絵を描くのが好きだった。

正確に言えば、僕の絵を喜んでくれる人がいつも少しばかりはいるから、やめられないでいるのだ。

 「…そっか」

彼女の微笑みに緩んでしまいそうになりながらも、僕はこの言葉が呪縛であることをなんとなく理解していた。

絵を描き続けることで失ったことも数多く、なんせ美大の受験を失敗している僕はそこでもう懲りたつもりだった。

「もう二度と夢見たりしない」とまで思ったほどだったのに、彼女のその言葉によって僕はもう一度筆を手に取るようになっていた。


 「もう花言葉とかは、ばれるかな」

クロッキー帳にいくつかの長方形を書き出し、そこにモチーフを入れていく。

白百合に黄色のガーベラ、そして金木犀。

どれも一度は描いて彼女に贈ったものばかりだった。

僕とは違い、そういう恥ずかしいことには無縁だった彼女は、いつもそういう絵を素直に受け取ってしまい、あとで意味を知って赤面していた。

この手のことはもう常習犯なので、たぶん彼女は受け取る前に一瞬固まってしまうだろう。

 「いっそのこと、直接的な方がいいか」

先ほどまでなぞっていた線をぐしゃぐしゃとし、僕はまた長方形を描き出す。

「彼女には、もう別に素直になってもいいわけだし」




▼▼▼




 「そういえばね」

「ん?」

「ちょっと前に思い出したんだけどね」

薄暗くなりつつある駅前に、僕等は人混みを避けて立っていた。

マフラーに顔を半分ほどうずめている彼女は、僕の目を見たり逸らしたりしながら何か口ごもっている。

「え?どうかしたの?」

「あ…い、いや…ね」

「…?」

「今日で一か月だねーって」

想定外の言葉を耳にして、思わず僕は噴き出してしまう。

「…もう。」

「ごめん、ごめん。まさか君から言ってくるなんて」

膨れている君は、恐らく恥ずかしさをどうにか堪えているのだろう。

僕は優しさか照れ隠しか、遠くの方で点灯しているイルミネーションに目をやった。

「…見に行く?」

「え…あ、うん…」


「ごめん、ちょっと待って」

後ろに背負っていたリュックに手を突っ込んで、僕はファイルを取り出そうとした。

キョトンとした表情のまま、君は僕の手先をのぞき込んでいた。

「あ、あった…。…これ」

彼女の表情を直視できないまま、僕はぐいとそのファイルを突き出した。

「え…あっ」

二人の後ろ姿と、カスミソウをちりばめた大胆な構図。

真ん中あたりで隣に並び手を握り合い、その小指には赤い糸が結ばれている。

 無言でその絵を見つめる彼女は、すこし恥ずかしがりながらも、とても優しい表情をしていた。

「どう?」

「…。とてもすてきだと思う」

そういうと彼女は微笑みながら僕の目を見ていた。

「たぶん僕は、こんな彼女だから恋をしてしまったんだな」と、思わず笑みがこぼれる。

 「よかった、そう言ってもらえて」

なんとも胸の中にこみ上げてくる思いをどうにか押し殺して、僕は口を開く。

「じゃ、見にいこっか」

「うん」


 街はもうほとんどインディゴブルーの夜に沈み、寒さがそれを色付けするように際立ち始める。

遠く輝く光の粒に、二人の影は進んでいく。


 「ああ…、そうだ。」

僕はわざと悪戯っぽい表情を浮かべて、彼女の顔を覗きこむ。

「カスミソウの花言葉」

「えっ?」

「『幸福』って意味」

急すぎる内容に、どうやら彼女は頭が追い付いていないようだった。

僕はそれらしい表情で、言葉をつづける。

「君と一緒にいれることが、僕にとってそうだから…」

照れないようにと頑張っていたのに、さすがに僕の限界だった。


「これからもずっと、一緒にいてほしいんだ」

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【短編集】プロローグは誰にだって 雨旅玄夜(AmatabiKuroya) @travelerk1218

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