ウームガールの子

梅津裕一

ウームガールの子

 ずいぶん上品な感じの、少女だった。

 年の頃は十七、八といったところだろう。髪も瞳も、このゾンキアのたいていの人間がそうであるように、黒い。肌の色は褐色で、みずみずしいはりがあった。どちらかといえばおとなしげな雰囲気の娘だが、決してうぶな娘でないことは私がよく知っている。

 みすぼらしい身なりをしているが、そのなかで首からさげた薔薇の形の金の首飾りだけが、ひどく浮いてみえた。わざと貧しげになりをしようとしたがうっかりしたというところか。

 彼女は、唇をきつく噛みしめていた。いくぶん頬のあたりが青ざめているようにも見える。股の上に置かれた手が、ぎゅっと閉じられていた。相当に、緊張しているらしい。

「お嬢さん、そんなに緊張することはありませんよ」

 私は狼狽を隠すように、商売用のなめらかな口調で、娘に言った。

「こういうところが初めてなのはわかりますが……」

「そうじゃないんです」

 娘は、低い声で言った。

「私は……いってみれば、自分の子供を殺そうとしているんです。そんなときに、平静でいられると思いますか?」

 娘の目の端には、わずかに涙が溜まっていた。

 私は肩をすくめた。

「殺す、などという物騒なことは言わないで下さい。いいですか、人間というものは、母親の体のなかから生まれて初めて人間となるのです。その前の、あなたのお腹のなかにいるものは、まだ人間じゃありません。つまり、生きているわけじゃないんです」

私は自嘲ぎみに口の端をゆがめた。どうせ頭巾を深くかぶっているので相手からは見えないだろうとたかをくくっていたのだ。

「でも……」

 娘はまだなにか言いたげだったが、やがて観念したようにうなだれた。

「じゃあ、この台の上にのってください。そう、顔は上をむけるようにして……」

 私は低い声で、光術の呪文を唱えた。

 途端に、室の様子が明るく照らし出された。

 このウル・ゾンキムの都では珍しくない、黒い石壁で囲まれた部屋である。

 なにしろ世界最大の帝国の帝都なので、外は恐ろしく賑やかだ。昼間から乱痴気騒ぎを繰り広げるものも珍しくはない。このウル・ゾンキムの都は金さえ払えばありとあらゆるものが手に入り、皇帝と帝国の守護神ガザへの侮辱以外のどんな悪徳でも許される。

 だが、この部屋は外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 床の中央には、寝台のような玄武岩の台が置かれている。まるで邪教の儀式に使う、生贄を捧げる祭壇のようにも見える。娘の足元のそばには、黒い壷が置かれていた。そのなかに、処置を施して母胎からおろしたものを入れるのだ。

 私は自分の商売道具を眺めまわした。

 この部屋で、いままで幾人の罪もない命が失われていったのだろうか?

 だが、それが私の仕事なのだ。魔術で体内の赤子を殺し、その残骸を壷に入れるのが私の仕事なのだ。

「…………」

 娘は静かに台の上に仰向けに横たわると、嘆息した。わずかに、眉がひそめられている。

「じゃあ、始めますよ」

 私は大きく息を吸うと、慎重に呪文を唱え始めた。指で空にいそがしく魔術印を描いていく。

 魔力が娘の体内に入り込むのがわかった。私の意識は、彼女の子宮と、そのなかに収められたものを探り続けた。

 びくっと、娘の体内で、それは動いた。

 途端に、どす黒いような感触が私の意識のなかに染みいってきた。

「!」

 私は我知らず唾を呑み込んだ。そのまま、虚無のなかに体が吸い込まれていきそうな気がする。

 あわてて意識を現実の世界に引き戻すと、私は大きく息を吐いた。

「ウームガールだ……」

 私は額に浮いた汗をぬぐった。

「ウームガールの子だ……」

 私は傍らに置かれていた卓から陶製の葡萄酒の瓶を取ると、心を落ちつけるために少しその中身を呑んだ。

「どうしたんですか?」

 娘が、不安げな顔で訪ねてくる。

 私は唇を長衣の裾で拭うと、言った。

「あなたのお腹の子どもは、普通の赤ん坊じゃありません。まだ未熟だが……間違いなく、ウームガールの子です」

「ウームガール?」

 娘は、不審げな顔をした。おそらく、魔術に関する知識はほとんどないのだろう。

「ウームガールとは……」

 私は椅子に腰を落ちつけると、説明を始めた。

「シャラーン魔術の魔力の源である、十二の魔術星の一つです。暗黒星ウームガール、普通はそう呼ばれるものです。シャラーンの魔術師はたいていいくつかの魔術星を守護星に頂くのですが……ウームガールは、そういった魔術星のなかでもっとも剣呑なものの一つなのです。この系統の魔術師は、人の体を麻痺させたり、遠隔から呪い殺したりする術に長けていますが、その、ウームガールの魔術的な力が……」

 私は、ごくっと唾を呑み込んだ。

「どうやら、あなたのお腹のなかの赤ん坊には、生まれつき備わっているようなのです」

「どういうことです……」

 娘の顔色はひどく悪かった。さきほどとは比べ者にならぬほどに。

「つまり……あなたの子は……ウームガールの魔術的な力を持っているのです。いわゆるウームガールの子という奴ですね。星の巡りあわせや、周囲の魔術的な環境によってこういった子どもは生まれるのですが……一種の魔術的奇形といってもいいでしょう。その数は、一万人に一人いるかいないかといったことろですが……」

「その、ウ……ウームガールの子というのは、なにか悪いことでも……」

「ええ」

 私は、静かにうなずいた。

「ウームガールの子は、さきほども申し上げた通り、奇形なのです。生来ウームガールの力を持っているので、成長した場合には非常に優れた呪殺師にはなりますが……身体的には、完全な奇形児です」

「奇形……」

 娘はおそるおそるといった感じで言った。

「それは、つまり、具体的にはどういう……」

「いろいろあります」

 私は、つとめて平静を保ちながら娘に告げた。

「腕が一本の子どもや、逆に三本もある者。顔がトカゲや蛙のようだったり、全身が剛毛で覆われていたり……とにかく、醜怪な容貌をもって生まれてきます。私がいままで目にしたので一番ひどかったのは……」

 私は、相手に衝撃を与えるように、わざと間をあけると、やがてぽつりと言った。

「目が、一つしかなかった。その赤ん坊は、鼻の上にあたりに巨大な目玉がついていました」

 娘はしばし言葉を失っていた。

 私は娘を安心させるように、優しげな声で続けた。

「だが……ご心配にはおよびません。どのみち、あなたのお腹にいるものは、すぐにおろしてしまいます。ただ、ウームガールの子はなにしろ魔術的な存在ですので、堕胎の際にはそれなりの反撃をしてくるでしょうが……私も、多少は腕に覚えのある魔術師です。それくらいの攻撃なら、なんとかなります」

 娘の唇は、紫かがってすら見えた。

 彼女はしばらくほっそりとした肩を震わせていたが、やがて言った。

「やっぱり、この子は生まれたがっているんだわ」

 娘はうつろな目で低い天井を見上げながらつぶやいた。

「そう、この子はこの世に生をうけるべき存在なのよ……だから、きっと、魔術の力を神々から授かっているのね。たとえ、ウームガールの子であっても……それでもこの子は……」

 なんだか妙な話しになってきた。

 ここでこの娘に、堕胎の決心をぐらつかせてはならない。

「お嬢さん」

 私はなめらかな口調で言った。

「よく、考えてみて下さい。あなたがその子を産んだとします。しかし、産まれてきた子どもは幸せでしょうか? その子はひどい奇形児として産まれてきます。おそらくその子は、周囲から疎まれ、蔑まれ、そして恐れられることでしょう。しかも、その子はウームガールの子の定めで、自然と暗い魔術の道にひかれていく。暗黒星ウームガールが司るものは、闇であり、麻痺であり、終末であり、死なのです。その子はそういった魔術を操って人を呪い殺したりすることで、なんとか糊口をしのいでいくことでしょう。あなたは自分の子どもに、そんな道を歩ませたいのですか。絶望と孤独に彩られた人生を?」

 それを聞いて、娘はしばし無言だった。

「それは……」

 彼女はゆっくりと首を横に振った。

「でも……こんなことは、自然の摂理に反しています。この子は生まれたがっています。私にはわかるんです」

「お嬢さん、それは違いますよ」

 私は再び葡萄酒の瓶に口をつけると、酒臭い息を吐いた。

「むしろ、ウームガールの子の存在のほうが、自然の摂理から反しているのです。あなたは、その子を産むべきではありません。これは、商売ぬきの魔術師からの忠告です。私はウームガールを守護星に頂く魔術師を何人か知っていますが、みなろくでもない連中です。彼らは人の命をなんとも思っていません。人を呪殺して金を稼ぐような、人間のクズどもです。あなたは自分の愛する子どもを、そんな連中に仲間入りさせたいのですか? やめなさい。あなたは必ず後悔する。それに、ここにきたということは、あなたは他にもその子を堕ろさざるをえない理由があるはずです」

 彼女はなにも言わずに、虚空を見つめていた。

 長い沈黙の後、彼女は言った。

「わかりました」

 それは、私がいままで聞いた声のなかで、最も果断なものに感じられた。

「あなたの言う通りにします。あなたがウル・ゾンキムの都で一番の堕胎魔術師だということは、聞いています。その人の言うことなのだから……たぶん、間違いはないでしょう」

「そうですか」

 私はほっと安堵に胸をなでおろした。

 本当に商売ぬきで、ウームガールの子は産んで欲しくなかったのだ。

「それでは、処置を再開します」

 私は椅子から立ち上がると、再び呪文を唱え始めた。

 びくっと、娘の腹のあたりが動くのが見える。

 まだほとんど膨らんではいない。妊娠してから、日が浅いのだ。

 だが、それでもウームガールの子の存在は、強烈に感じられた。

 意識を娘の胎内にもっていった刹那、漆黒の冷ややかな球体に触れたような感触が走った。背筋のあたりがたちまちのうちに総気立つ。

 ふいに、周囲でかたかたという乾いた音が鳴り始めた。

 見ると、葡萄酒の瓶と椅子が揺れ動き始めていた。

 地震ではない。ウームガールの子が、反撃を開始したのだ。もてる魔術的能力を振り絞って、己を生かそうとしているのだ。

(やめろ)

 私は、胸のうちでつぶやいた。

(お前は産まれないほうがいいのだ。そのほうが、お前のためなのだ)

 幾つもの魔術印をつなげて、私は赤子の生命の炎を消し去る呪文を唱え続けた。ますます葡萄酒の瓶の揺れは激しくなっていく。

 いきなり瓶がふいにすっと宙に浮かぶと、私めがけて飛びかかってきた!

「!」

 私はさっと長衣の裾を翻して、その攻撃をよけた。

 黒い石壁に葡萄酒の瓶がぶつかり、派手な物音をたてる。

 その瞬間だった。

 私はもてる力を、すべて呪文へとそそぎ込んだ。

「んん!」

 娘が、手足をばたばたと動かした。あるいは、ウームガールの子が動かしているのかもしれない。ぐずぐずしている暇はなかった。私は額に脂汗を浮かべながら呪文のくくりの印を声高らかによばわった。

 その刹那、娘の全身にけいれんがはしった。背が弓なりになり、体が上へとのけぞった。

 次の瞬間、娘は死んだように寝台の上に横たわった。

 おそらく、失神したのだろう。

 そして、彼女の胎内にいたウームガールの子は……死んだ。

 もはや生の気配は感じられない。うつろな空虚だけが、彼女の子宮のなかから発せられていた。肉の塊があるのはわかるが、それだけのことだ。もはやそれは、生命ではない。

(また、殺したか……)

 私は深いため息をついた。

 いわばこれが私の仕事なのだ。慣れっこといえば慣れっこの感覚だったが、今回は私にとってはいささか特別な相手だった。

 だが私は自嘲に口の端をゆがめた。

(ふん、いまさらどうだと言うのだ? こんな稼業に手を染めているのだ。そんなことを気にしていたら、きりがない)

 私は娘が目を覚ます前に、胎内から赤子を取り出して壷に入れることにした。

 それから半刻後……。

「赤ん坊はどうなりました?」

 娘は目を覚ますなり、そう私に訪ねてきた。

 私は肩をすくめると、言った。

「壷のなかに入れました。遺骸は、私が処理します。もちろん、それも料金のうちですのでご心配なく」

 それを聞いて、娘はそっと目を虚空にむけた。

「死んでしまったのね……」

 彼女は、静かに壷のなかに目をやった。

 私は、穏やかな口調で言った。

「死んだのではありません。彼は……あるいは彼女は……ある意味では、まだ産まれていなかったのです。彼の存在は、もとの肉に戻っただけです。あれは、生きているわけではなかった。あなたが気を落とすことはありません。世のなかには、いろいろな事情というものがあります。それに、これだけは魔術を司るシャラーネ女神にかけて誓ってもいいですが、彼にとってもああなるのが一番幸せだったのです。ウームガールの子として産まれるよりは、遥かにましというものです」

 娘はゆっくりとうなずくと、懐からギルシャラス金貨を三枚取り出した。

 私はそれを受け取ると、言った。

「お嬢さん。お大事に」


 私は再び椅子に腰掛けると、ふかぶかと息を吐いた。

 まだ、仕事は終わったわけではない。

 むしろ、本当の仕事が始まるのはこれからなのだ。

 私は革の手袋をはめると、壷をもって『特別室』へと持っていった。

 特別室は、処置室と同じように、黒い石壁に囲まれた狭い部屋である。ただ、処置室がかなり殺風景な場所なのに比べ、特別室にはいろいろな品が置かれていた。人間の髑髏や、磨かれた黒曜石、分厚い人の皮を表紙に用いた書物や、貴重な紅玉や青玉などだ。壁ぎわには銀をはった鏡がたてかけられ、白墨や色つきのチョークが、室の隅で象牙の箱のなかに置かれている。

 そして部屋の床の中央には、巨大な魔術印が描かれていた。

 魔術師であれば、誰であれこの印がなにを意味するのかは知っている。

 私は手袋をはめたまま、壷のなかから赤子の死体を取り出した。

 血にまみれた、不気味な代物である。だいたい胎児というのは不気味なものだが、この子はさらに醜かった。

 全身に、蛇のような鱗が生え出していたのである。

 やはり、この子はウームガールの子だった。もし、彼が産まれていれば、さぞ優れた呪殺師になったことだろう。だが、いまさらそんなことを言っても仕方がない。彼には、私の仕事の道具としてこれから働いてもらわねばならないのだ。

 私は、三日前に訪れた女のことをふと思いだした。

 いかにも貴族の正妻といった、驕慢そうな中年女だった。やせぎすの、かつては美しかったであろう女である。彼女は悪趣味の貴金属を全身でじゃらじゃら言わせながら、私の仕事の依頼をしにきたのだった。

『報酬は、五百ギルシャラスお支払します』

 女は冷静な口調で私に言った。

『おそらく三日後に、ここに若い娘が訪ねてくるはずです。肌身はなさず、薔薇の花の首飾りを首に下げているので、一目でわかるはずです。その娘を……よろしくお願いします』

 それだけで、私はだいたいの事情を察した。

 おそらく、あの依頼人は、若い娘に主人の寵を奪われたのだろう。そして娘は、主人の子どもをはらんだ。その子どもをおろすよう、依頼人は娘に命じたに違いない。となると、やはりあの娘は奴隷として主人に買われたのだ。もちろん、依頼人の中年女は、それなりに名のある貴族の出身なのだろう。

 私は、ウル・ゾンキムでも有数の堕胎魔術師として知られている。調子にのって避妊もせずに乱交にふけった挙げ句、出来てしまった子供たちを、私は幾人となく闇のなかに葬りさってきたのだ。依頼人が、私のことを知っていてもおかしくはない。

 そして彼女は、私の本当の仕事も知っていたのだ。

 私は世俗の利害関係とは無縁で、仕事を行う。神々のきまぐれのおかげで、私の業は一流といっても良かった。今回も、しくじることはないだろう。

 私は呼吸を整えると、赤子を中心においた魔術印を見やりながら、慎重に呪文を唱え始めた。

 途端に、ウームガールの子の体から、どす黒い瘴気のようなものがわきだしていくのが見える。

 私の仕事には、怨念が役に立つ。きっと、このウームガールの子は、母の胎内で私に殺されたときに、私と、そして母とを憎んだだろう。その憎しみが、呪殺には有効なのだ。

 しかも、彼は母親の体からおろされた。いわば、母胎とはアストラル的にはつながりを保っているのだ。呪殺には相手の髪の毛や爪、唾などを触媒によく使うが、堕胎した胎児ほど強力な触媒はなかった。しかも、この赤ん坊はウームガールの子なのである。

 彼女は、確実に死ぬ。

 私の呪術は、必ず彼女を死にいたらしめるだろう。

 これであの中年女も、きっと喜ぶだろうことだろうと、私はぼんやりと考えた。

 なにしろ彼女は、この娘の子どもの父親が、自分の主人に違いないと考えていたのだ。

 だが、私はそうではないことを、娘の胎内を探った瞬間に悟っていた。私はウームガールの子の父親が誰なのかをよく知っていた。その父親は、あの娘がまだ貴族の囲われ者になる前につとめていた娼家で、彼女のことを買ったのだ。

 そうではなくては、ウームガールの子など滅多に生まれるものではないのである。

 私は感傷にふけっているのだろうか?

 感傷など、私にふさわしくはない。

 私は再び、呪文を唱え始めた。

 呪殺印のあちこちに書かれた魔術印が、不気味な発光を始めている。病的な緑や、黄色、赤といった光が、室内を彩っていく。

 私は怨念を心の奥底から引き出そうとした。彼女に対する恨みが強力であればあるほど、呪殺は威力を発揮することになる。

 だが私は彼女に対して、一片の恨みも抱いてはいなかった。

 むしろ、私は彼女を愛していたといってもいい。

 彼女は私が娼家に訪れたときも、頭巾を深くかぶっている私を気味悪がったりはしなかった。彼女は優しく私を受け入れてくれた。私は彼女のすべてを愛していた。その心も、体も、顔も、魂も、優しさも……なにもかもだ。

 だが、彼女を愛したままでは、私は呪殺を終えることはできないだろう。私は愛情を恨みにすりかえることにした。

 なぜ、娼家を去って貴族の囲われ者などになった? なぜ、私ではなく貴族の男などを選んだ?

 所詮、あの女も贅沢には勝てなかったのだ。私はなんとかそう思いこもうとした。彼女が私の呪殺の対象であることを知ったときも、私はさほど驚かなかった。なにか、ひどくたちの悪い運命のようなものが働いていることを、私は悟ったのである。

 私は自分が呪われた運命をもっていることを、知っていた。あの場で、彼女に私の正体を告げ、二人で手に手をとって逃げ出すということもできただろう。だが、彼女は私についてきただろうか?

 おそらく、答は否だ。

 いつしか、目から熱いものが溢れ始めていた。

 私はかつて愛した女を、呪殺しようとしている。やはり私は神々に呪われているのだ。いまならまだやめることはできる。が、そんなことをすれば、私は商売の信用を失うだろう。これ以上生きていくことはできなくなる。

(メルナ! お前が悪いのだ! お前が貴族の男のもとなどに行ったから……)

 私はいつしか嗚咽しながら呪文を唱え続けていた。魔術印がいくつもつながれ、威力が恐ろしいまでに高まっていく。全身に冷や汗が浮いているのがわかった。ほとんど吐き気さえ感じられる。

 そして……。

 私は、最後のくくりの魔術印を唱え終えた。

 途端に、膨大な量の魔術的な力がメルナのもとへとむかっていくのがわかった。

 私の脳裏に、メルナがどこかの雑踏で、ふいに苦しげに胸を押さえている姿がまざまざと見えた。口から血を流し、苦しげに胸をかきむしっている姿が。眼球がぐるんと裏がえり、彼女の体はそのまま街路の石畳の上にくずおれただろう。そして、彼女が目を覚ますことは、二度とあるまい。

「……終わった」

 私は汗を長衣の裾で拭うと、静かにウームガールの子を眺めた。

 彼はもう、決して目を開けることはあるまい。さきほどの母親と同じように、彼の命はとうに尽きているのだから。だが、それが彼にとっては幸運であることを、私はよく知っていた。

 私は目から涙を流しながら、ウームガールの子にむけて語りかけた。

「なあ……お前は私を恨んでいるか……」

 私は、その子にそっと触れた。

「たぶん、お前は私のことを恨んでいるだろうな……なにしろ私は息子であるお前を殺し、母の胎内からおろし、おまけにそのお前の怨念を用いてお前の母を殺したのだから……」

 私は我が子の残骸を、ぼんやりと眺めやった。涙のせいで、視界がゆがんでいる。

「だが……お前は幸せなのだぞ……」

 私は、ぽつりとつぶやいた。

「お前は、ウームガールの子として生きるということが、どれほどつらいことであるか知るまい。それは、文字どおり生き地獄なのだよ。私は、そのことをよく知っている。私は何年も何年も、お前のような胎児を殺し続けてきた……そしてその怨念を利用して、何人もの人間を呪殺してきた……ああ、そうだよ、私は言ってみれば生きる価値などない人間のくずだ……」

 そのときだった。

 なにかどす黒いものが、突然私の全身を直撃した。

「な……」

 私は口から血を吐き出した。すさまじい量の血が、唇の奥から溢れていく。

「な……」

 私はようやく、自分になにが起きたのかを悟った。

 呪殺を、何者かに返されたのだ。

 メルナにかけた呪いが、自分のもとへと返ってきたのである。

 だが、なぜそんなことが起きたのだ? なぜ、そんなことが?

 そのときだった。

 誰かが私の部屋に入ってくるのがわかった。

 私はその娘の顔を見て、思わず声をあげた。

「メルナ……」

 彼女は死んでなどいなかった。そのおとなしげな顔には、憐れむような表情が浮かんでいる。

「どうして……メルナ……」

「あなたは、ついに気づかなかったのね……」

 彼女は、ふっと悲しげに笑った。

「私も、ウームガールを守護星にいただく呪殺師だったの。ある人から、あなたを呪殺するよう、私は依頼されたのよ。あなたは覚えていないかもしれないけど、昔あなたのやった『仕事』で、その人は息子を殺された。私はなんとかあなたを呪い殺そうとしたわ。でも、あなたは用心深くて、絶対に私に隙を与えなかった。そこで私は……娼婦に身をやつし、娼家であなたに抱かれて、あなたの子どもをみごもることにしたの」

 彼女は、いつの間にか涙を流していた。

「あなたが表では堕胎魔術師をやっていることは、知っていたわ。そこで、あなたに気づかないふりをして、私は自分の子どもを……呪われたウームガールの子を、あなたに殺させた。なにしろあなたの子どもなのだから、あなたを呪殺するには最高の触媒よ。しかも、その子はウームガールの子だった……つまり、私より遥かにあなたのほうに近い子どもだった。だから、私でもあなたの呪いを返すことが出来たの。この……」

 彼女は、自らが首から下げた薔薇を型どった金の首飾りを指さした。

「この首飾りに封印された、呪い返しの魔力も使ったけど」

「じゃあ……」

 私は激しくせき込んだ。肺に血が溢れているのがわかる。

「あの、貴族の正妻のふりをした依頼人も、君が雇ったのか……」

「ええ」

 メルナは微笑んだ。

「きっと、あなたは呪殺の相手が私だと知っていても、私を呪い殺そうとすると思っていたの。思った通りだった……やはり、あなたは呪われているのよ。暗黒星ウームガールに……」

「そうだな……」

 しだいに体が冷えてきた。いままで殺してきたさまざまな人間のうらみが、魂の奥まで染みこんでくるような気がする。そして、私とメルナの子どもの恨みも。蛇の皮をもった、ウームガールの子の怨念も。

「ああ……では、これで私も楽になれるというわけか……」

 私は床に倒れ伏していた。いつのまにか、頭巾で隠していた顔があらわになっている。壁ぎわにたてかけられた鏡が、私の姿を映していた。

「では……これで、メルナ……君がこのウル・ゾンキムで一番の呪殺師となるわけだな……だが……君もいつか、殺されることになる……」

「わかっているわ……」

 メルナは優しげな顔で微笑むと、死にゆく私の髪をそっとなでた。

 私は意識が薄れていくのを感じながら、鏡のなかに映った己の姿に目をやった。

 一つしか目のない男が、不思議な安らぎを浮かべながらこちらをじっと見つめていた。

   

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