第7話天龍 下

 初めて会ったときから、りかのことがうらやましかった。

 前髪を短く切り、黒い眼で堂々としていた。

 恐れを知らず、知的好奇心が強い。

 頭が良いのに、鼻にかけることもなく、いつも笑っている。

 「望!」

 名前を呼ばれるだけで、自信のない化け物が普通の人間になった気分になる。

 りかは外見こそ普通の女の子だけれど、自分にとっては特別な魔法使いだ。

 だからこそ願う。

 自分のつたない言葉で傷付かないでほしい。

 自分がいなくなった後も、ずっと笑っていてほしい。

 いつまでも、いつまでもーー。


 目覚めると、望はその空間に浮遊していた。

 頭上には、赤い眼が二つある。

 「ここは……?」

 気が付いたか、小僧。我は天龍、ここは我が門だ。

 声がする方に体を回転させると、そこには金色の龍がいた。

 前足は短く、後ろ足はない。

 胴と尾が長く、金色の運河を思わせる。

 美しい。その言葉に尽きる。

 「天……龍……。俺は……」

 言わなくても分かる。小僧、お前はあの娘に何の価値を見出す? あれはただの人間、いや、お前も人間だったか。愚かな戦を繰り返した男の子孫しそんだ。あの娘もまた、愚かなる者。身のほど知らずに我が門に近付こうとしたのだから。

 「ふざけるな! りかは愚かではない! りかは俺みたいな化け物とは違う!」

 化け物か……。中々良い表現をするな。気に入った。お前にながの地を見せてやろう。我が見てきたものをな。

 天龍は、望の股をくぐった。乗れ、という合図のようだ。

 ふさふさのたてがみが、望を包む。

 望は降り下ろされないよう、けれど天龍が痛がらないよう、金色のたてがみを両手で包む。

 すると天龍は急上昇した。

 山を越え、雲を突き抜け、人が砂粒さりゅうよりも小さく見える。

 「う、わ……! これが……!」

 望が見たのは、緑と青に覆われた地球本来の姿だった。

 今もこの地のどこかで人が争い、自然を破壊しているなど、信じられないほど美しかった。

 「核兵器、早くなくさなきゃ……!」

 そうだ、小僧。この地を破滅に追いやる代物など、今に失くしてみせるわ。覚悟しろ、小僧。その代償に、お前の血を返してもらうことを。

 「分かっている。だから、こうしてわざわざ異国まで来たんだろ?」

 では、始めるぞ。小僧、やり残したことはないか?

 「……ない」

 望はほんの少しだけ、躊躇ためらって答えた。本当は、気がかりがある。家族のこと、りかのこと。

 母親の梓は、幼馴染みで想い人のりかは、自分がいなくなって悲しまないだろうか。

 父親の紅太郎は、自分と共通するこの血を恨まないだろうか。

 周囲の人間に迷惑をかけることに詫びるべきだと、頭では理解している。

 だからと言って、望の運命は変わらない。変えることはできない。

 この金と赤の眼を持つ以上。

 それは、生きている限りという意味。

 望は己の運命を受け入れるしかないのだ。

 「さっさと浄化を始めてくれ。俺はどうすれば良い?」

 小僧、お前の両眼に力を溜めよ。さすれば魔の兵器は変化を起こさず、我が滅してくれる。

 「わかった」

 望は全身に溢れる気を両眼に集めるよう試みた。

 天龍も両眼に力を蓄え始めた。望が眼を瞑っていても、赤い光が眩しかった。

 小僧、眼を開けても良いぞ。

 望は言われるまま眼を開いた。

 すると、地球のあちこちから無数の物体が、中にはミサイルのようなものまでこちらに引き寄せられていた。

 そして赤い閃光せんこうを浴びて、ちりと化した。

 「ありがとう、天龍」

 お前のためではない、小僧よ。確かに血は返してもらったぞ。さらばだ。

 天龍は体を捻り、望を宙に放り投げた。

 望は血の気が引いていくのを感じ、そのまま気を失った。


 「……ぞむ! 望!」

 「り……か……?」

 力強く叫ぶりかの声に促され、望は弱った力を振り絞って瞼を開いた。

 「望、眼……! 裸眼なのに、黒いわ!」

 そうか、もう時間がないのか。普通の人間でいられるわずかな時間が。

 望は無言で納得した。

 「望、何とか言ってよ! 望ってば!」

 後頭部が温かい。りかの顔が、胸が拡大されたように見えるのは、望の頭部がりかの膝に乗っているからだろう。

 望は徐々に生命力が失われていくのを感じている。けれど、短い言葉を発するだけの気力は残っているようだ。

 最期に何を言おうか。望は考えた。

 りかには謝罪したい気持ちがある。けれど、ここまでついてきてくれたことに感謝もしている。

 二つの気持ちだけでは物足りない。

 りかへの想いだ。望は伝えたい気持ちはあるけれど、遺されるりかには迷惑になるかもしれない。

 自分の気持ちをすべて伝えられる言葉はないだろうか。

 考えている間も体力は奪われ、りかの涙が顔面にぼたぼたと落ちてくる。

 違う! 見たいのは、このような泣き顔ではない。望は己の無力さにいきどおった。

 もう一度、りかの笑顔が見たい!

 望は腕に力を込め、精一杯りかの顔に近付けようとした。

 伝えたいこと。望はこの言葉以外に思い浮かばなかった。

 「りか……の……」

 「うん?」

 望がもう大きな声を出せないので、りかは望の口元に耳を当てた。

 「え……笑顔が、好き……だった」

 そこで、望の意識は途切れた。手は、りかの顔に届かなかった。

 「望、望……望ー! 起きてよー!」

 人気のない山で一人、りかは延々と泣き叫んだ。




 昔々、とあるところに、金の右眼と赤の左眼を持つ少年がいました。

 彼は三の龍の力を借りて、この世から凶器となるものすべてを消し去りました。

 自分の力を使い果たした彼は、最期は両眼とも黒に染まり、命尽きました。

 わずかなときではありましたが、彼は普通の人間に戻ったのです。


 りかおばあちゃんの心に生き続けた少年、新井望の物語は祈代家の子々孫々に語り継がれました。

 いつまでも、いつまでもーー。

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龍の眼 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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