第6話天龍 上
私がふたたびこの世に生まれるとき、地上が人の手によって穢れているならば、この血と命を引き換えに穢れを取り除かん。
この先、弓や剣よりも凶悪な兵器が生み出されるならば、それをすべて無きものとせん。
この力を、この血を、天龍さまにお返しするために。
「環境汚染よりも
日が沈み気温が下がった部屋にて、望は暖房もつけていないのに滝のように汗をかいていた。
自分が死ぬ。血を返すということは、望で血を途絶えさせなければならない。
つまり、自分はりかを想ってはいけない。一人で死ななければならない。望は怖くなった。忌まわしいと思っていたこの両眼は、命を削るために存在していたなんて。
死にたくない。
「父さんに何て言おう?」
苦しい? いや、紅太郎はそのようなことで息子を引き留めるほど優しくはない。
むしろ、お望みならば、と息子の望を差し出すだろう。天龍とやらにさまを付けて。
望がどのように
望は諦めた表情で、父親の携帯にメールを送信した。
『母さんとりかがいないところで、電話をかけてほしい』
すると十秒後、紅太郎から電話がかかってきた。どうやら外にいるようだ。
「どうしたんだい? 何か、分かったのかい?」
やはり、紅太郎は巻物に記された中身を気にしているようだ。望の父親としてではなく、王族の末裔として。
「あのさ……」
紅太郎には、もともと期待していなかった。望は他人事のようにすべてを淡々と話した。
紅太郎は一瞬、息を呑んだようだ。どのような表情をしているのかは、電話では知ることもない。
「だから……その、万が一のことがあっても、子どもを作らないでほしい。母さんだっていい歳なんだし」
「望!」
紅太郎は声を荒げた。珍しいことだった。
「何? 父さん」
「……お前は私たちの自慢の息子だ。ただ、すまない。お前の左眼を……黒に産んでやれなくて」
徐々に紅太郎の声が細くなっていく。望を産んだのは梓ではあるが、彼女は両眼とも黒の嫁であるため、事情を知らない。
それに気付く余裕もなく、望は驚いた。
紅太郎が冷たい声で、使命に赴くように言うと思ったからだ。逆のことなど、考えてもいなかった。
「私がお前の代わりになることはできない。けれど、私にできることならば何でもしよう。望、何を求める?」
紅太郎は冷静な声に戻った。彼らしい父親の声だった。
「そんなこと、いきなり言われても……。そうだな、万が一のことがあったら、母さんとりかには正直に話してほしい。母さんは家族、りかは……」
望は言葉に詰まった。りかに事情を知ってほしいのは確かではあるが、理由が多すぎてどれを選んだら良いのか分からないのだ。
幼馴染みだから? 望の両眼を知り、眼鏡を作ったから? 夏休み、旅をともにしたから? 好きだから?
どれも、紅太郎には言えない。望の運命は、生温いものではないのだから。
望は深呼吸した。そう、覚悟を決めるときだ。
「りかは……」
望は左胸に手を当て、服を握り締めた。
「
電話を切り、望はため息をついた。
やはり、紅太郎とは父子なのだと。
三日後、望は北京へ向かうこととなった。
どうせ死ぬならば、先祖が治めていた土地を見てみたいと、紅太郎に飛行機の手配を頼んだのだ。
紅太郎は嬉しくも悲しくも捉えられる声で承諾した。
そして辿り着いた北京。自動車の排気ガスで大気が汚染されていた。
マスクを装着していても、咳が止まらない。
これでは核兵器どころではない。望はそう思った。
まずは市街地を通過することにした。
巻物に記された、今は名もなき山へ向かうために。
そこは、望の先祖、当時の国王が天龍の血を受けた場所でもある。
望は徒歩で向かうことにした。
山頂に登るまでに、人気の少ないところで大気を浄化しようと考えたからだ。
そして、三時間後。
目的地に辿り着くまでに、望は五回ほど嘔吐した。
胃の中が空っぽになったけれど、当然ながら食欲など湧かない。
大気の汚染は東京都と比べものにならないほど酷いということだ。
「望!」
そこへ、幻聴が症状として現れた。体力を消耗したのだから、仕方がないことである。
「望ってばー!」
少し休むことにしよう。望がそう思ったときだった。
「……りか!」
望の背後では、ガスマスクを装着したりかが叫んでいた。それに、両手を大きく振っていた。幻聴などではなかった。
「なぜここに……? あいつ、学校はどうしたんだよ?」
望が
「こほっ! 望……待ってよ。こほっ! おじさまから、事情は……こほっ! 聞いているんだから。それにしても、咳が止まらないわ、ね。こほっ!」
望は逃げ出したい気分になった。己の運命を知った今、もっとも会いたくない人間が目の前にいるからだ。
そしてついに、望とりかとの距離は腕一本分縮まった。
「どうして、ついてきた?」
望は努めて冷たい声を出した。りかを突き放す最後のチャンスだった。
けれど、りかはさらに距離を縮めてきた。
「言ったでしょう? おじさまから事情を聞いたって。それで、夏休みの行動の意味を理解したわ。だったら、私にも望がやろうとしていることを見届ける権利はあるはずよ」
「そんな権利はない。今すぐ帰国しろ」
りかは全身に衝動が走ったように、眼を見開いた。
眉が下がっている。精神的に傷付いている証拠だ。
「父さんから話を聞いたところで、りかにすべてを理解できるものではない」
冷たい声を発するたびに、望の左胸はチクリと痛む。
望はりかを巻き込みたくないだけなのに、心に傷を付けてしまう。
「これを持って、今すぐ帰れ」
望はポケットから眼鏡を取り出し、りかの手に持たせた。
「どうして、そんなことを言うの?」
望はりかをその場に残して、山頂を目指し背中を見せた。
最低な男だ。望は声に出さず、自分自身を責めた。
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