第3話 狂竜の脅威

スカーレットは、自分は今、何をされようとしてるのかわからなかった。



まさか、自分に攻撃してくるとは思わないだろう。


その上、目の前にいた男が、横から飛んできた巨大な拳に吹き飛ばされるとは、思いもしないだろう。



「……あっ」



気がついた時には、男は家の中に殴り飛ばされて、家の扉が巨大な拳に破壊されていた。



「悪いわねスカーレット……やばかったから、殴ったわ」



拳はそのまま小さくなって、アリスの腕に戻った。


やっぱり昨日兵隊を殴ったのは、アリスだと実感する。



「……ふウ」



と、ため息のように声を上げた男。全く応えた様子もなく、呑気に。



「ただの尋問だト、言われたはずなのニ、まさかここで会うとは思わなかったヨ」



そう言って、仰向けの状態で、手も使わずに起き上がった。その動きはさながらパントマイムのようで不気味だ。



「……久しぶリ、だネ。アリス」



にいいいい、と口元が三日月の形になり、目の前にいるアリスを、狂気的に睨む。


対しアリスは、全く怯える様子もなく、男を睨み返した。



「……死んだと思ったわ。あの時、あたしの剣で、情けない悲鳴とともに」


「ハ、ハ、ハ」



男は笑った。不快な高い声で、不快な高い音で。



「死んでも死に切れないナ。お前のようナ、外の世界のガキニ、殺されたんだかラ、サ」


「……外の世界?」



男が口にした、外の国。


聞き慣れない単語に、スカーレットは思わず漏らしたが、男は気にしなかった。それよりも、アリスに目を見遣っている。



「お前を殺すまデ、安心して死ねないヨ」


「そう、じゃあ確実に息を根を止めてやるわ!」



おもむろに、右腕を横に突き出す。すると腕はみるみるうちに巨大化する。さながら、部分的に巨人になったような姿になっていた。



「【アリス・イン・ワンダーランド】!」



巨大化した手を、男に目掛けて薙ぎ払うように振るった。



スカーレットは危機感を感じて、素早くその場から離れた直後に、頭上を巨大な手のひらが通過した。



かすってもいないのに、勢いは肌を感じて凄まじく、被っている頭巾さえ持っていかれそうな勢いだった。



しかし巨大な手は、男を弾き飛ばすことは無かった。



何故なら、片手で薙ぎ払いを受け止めてしまっていたからだ。



「!?」


「派手な動きにしてハ、大して重みを感じないネ」



向こうまで吹き飛ばすつもりで放った一撃を、片手一本で受け止められた事には、アリスでも動揺が隠せなかった。



「今度ハ、こっちの番ダ、ヨ!」



男が足を動かしかと思えば、前方にいたアリスの目の前に現れ、一瞬で蹴り飛ばした。


それはあまりにも、目にも止まらない攻撃だった。攻撃を防がれて動揺していた事もあり、一瞬何をされたのかわからず、そのまま後方の木に叩きつけられた。



「がふっ」



その衝撃は、叩きつけられた木がメキメキと軋ませるほどで、幹の表面にヒビが入った。


巨大化していたアリスの手は、そのまま元の大きさに戻ってしまう。



「あ、アリスさん!」



スカーレットの悲痛な叫びも、男には一切耳に入らず、木にもたれかかっているアリスの肩を足で抑えつけた。



「弱イ。弱イ。弱イ。弱イ」


「……っ」



ぎぎぎ、と抑えつける力を強め、アリスは痛みで苦悶の表情を浮かべた。先ほど受けた一撃が、彼女の身体を激しく震わせたせいであろう。


そもそも少女の身体が、目にも止まらない蹴りを受けて、無事なはずがなかった。



「鏡の国で見せたあれハ、僕の幻想だったかナ?勇ましく剣を握っテ、僕を殺したあれハ、僕の悪い夢だったのかナ?」


「…………」



身動きが取れない状態でも、アリスは反抗的な瞳を向ける事をやめなかった。ここまで追い込まれているのに、何故挑発させような事をするのか、スカーレットには理解が出来なかった。



「……ふン、生意気だネ」



そう言い、足を浮かせると、アリスの左腕を踏みつけた。



べきり、と鈍い音をさせて。



「あぁぁぁぁぁっ!!」



あまりの激痛に、アリスは悲鳴をあげた。男はアリスの腕をへし折ったのだ。小枝のように踏みつけるように、へし折ったのだ。



「まだだヨ、もっト、もっと苦しんで貰わなきャ」



痛みに悶絶しているアリスをよそに、また足を浮かせる男。



そして、さっきよりも力強く踏みつけようとした時、


突然頭に重い一撃を受けた。



「うぐッ……!?」



想像以上の一撃で、男も怯んでしまった。その直後、視界が真っ赤に染まる。



それは自分の目がおかしくなった訳ではない。外的要因によるものだった。



重い一撃の正体は、ワインの入った一升瓶、それを打ち付けられていたせいだ。


真っ赤に染まったのも、ワインがぶち撒けられて、そう映っただけに過ぎない。



「あ、アリスさんから、離れてくださいっ!」



それはアリスの声ではない、スカーレットの声。



ワインの瓶を男にぶつけたのは、スカーレットだった。男がアリスに意識を向けている間に、家から武器になるようなものを持ってきて、男にぶつけたのだろう。しかしワイン瓶で倒れるほど、男は弱くなかった。



「……痛いじゃないカ。僕を殺すつもりだったのかナ?」



首をスカーレットの方に向ける。顔や頭にはワインがぶちまけられ、まるで血のようであり、男の浮かべる狂気的な笑みも相まって、なんともおぞましい姿に映ってしまった。



「ひっ……」



スカーレットは腰を抜かした。攻撃が効いていない事は彼女でも解った。その上、あの姿であの笑みを浮かべられると、恐怖が一層際立ち、動こうにも動けない。



「まァ、いいヤ。妖精王の餞別の居所を聞こうと思ったけド、邪魔立てしたから殺さなきゃネ」



最早そのつもりのように、男は狂気的な笑みを絶やすことなく、スカーレットに一歩一歩と近づいてきた。



「赤ずきんちゃん!」



そこにすかさず、狼がスカーレットを庇うように立った。



「これ以上近づくなら許さねぇぞ!」


「邪魔」



狼の必死の抵抗は、男は気にも留めない。狼は男の裏拳を受けて吹っ飛び、地面に突っ伏した時は、ぴくりとも動かなくなった。



「あ、ぁ……」



それらの光景を目の当たりにして、スカーレットは逃げることが出来なかった。まるで全身抑えつけられるような圧迫感が、スカーレットの逃走を許さなかった。


いずれも、アリスと狼が簡単に倒された事、見ず知らずの男が、自身に対し敵意と殺意を向けられた事による、精神的ダメージであった。



「『夕火あぶりとき粘滑ねばらかなるトーヴ、遥場はるばにありて回儀まわりふるま錐穿きりうがつ』」



男が何やら詩のようなものを唱えたかと思えば、目の下から口元に伸びている黒のラインが消え、変わりに下唇から顎に伸びている黒のラインが、横広がりに浸食すると、最終的に口元から顎まで、真っ黒に染まった。



「これが僕の能力、【狂竜の詩】。僕の詩を読み上げる事デ、力を底上げすル」



右手の指をせわしなく動かした後、握り潰す程に拳を握った。



「お前なんカ、土くれみたいに壊れちゃうヨ」



一切絶やさない狂気的な笑みを浮かべて、腰を抜かしたスカーレットに向けて、拳を振るった。



迫り来る絶望に、スカーレットは目を瞑る。この場合は、かわす転がってでも回避すべきだったが、今の彼女の精神状態では、それに至る事が出来なかった。



何も出来ず、どこかで死を悟っていた。


悟ってしまったからこそ、スカーレットは諦めてしまったのだ。



その諦観を抱いて、向かってくる拳をそのまま受けた。















「…………」



男は沈黙する。


終わったと思った一撃、一切疑う余地のない即死、自身の拳は、少女の鮮血にまみれていると思っていた。



だが、拳に血はついていない。肉片もかかっていない。どころか、四肢や頭部が、周りに見当たらなかった。


ある程度の土埃と、わずかに付着する土だけがついていた。



「……なン、ダ?」


「いやー、間に合って良かったデスねぇ」



すると、どことなく飄々とした声が、男の耳に入った。



男はその声を辿るように、目をそちらに向ける。そこには二人の人物が立っていた。



一人は、男と同じスーツ姿の男。しかしスーツの色は、ワインレッドという派手な色合いをしており、目元を覆うように格子模様のシルクハットを被っていた。



もう一人は、モノクルをかけた純白スーツ姿の少年。頭から生えたウサギの耳が目立ち、目はわずかに赤みがかっている。そして彼の腕の中には、スカーレットが抱えられていた。



「アリスの友人が殺されては、アリスが悲しんでしまいマスからねぇ」


「………」



シルクハットの男は、黒スーツの男から感じる圧力に対しても、全く臆する様子を見せなかった。あくまで、自分のペース一辺倒だ。



「……狂った帽子屋マッドハッター、だっケ、お前ハ」


「えぇそうです。『マッドハッター』です。以後お見知り置きを、狂竜『ジャバウォック』」

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