第2話 森の中の遭遇

「……ん」



わずかに鼻につく干し草の匂いとともに、スカーレットは目を覚ました。



外は既に日が昇っており、窓からは陽の光が差し込んでいる。



「(……ぐっすり寝ちゃったなぁ。場所が場所だから、寝つけないと思ったけど)」


「おはよう」



眠そうに起き上がった時、外から戻ってきたアリスが声をかけた。先に起きていたようだ。



「おはようございます。早いんですね」


「居てもたっても居られなくてね。それに、昨日あんたを追っかけてた兵隊の事も気がかりだし」



そうだった。こうして、穏やかに朝を迎えれてはいるが、解決には至っているわけではなかった。


今はアリスのお陰で退けてはいるが、また追手が来てしまえば厄介だ。



「でもまぁ、白うさぎの居所さえわかれば、多少の事情も解るんだけどね」


「……白うさぎ?」



そういえば、昨日の会話でも出てきた。白うさぎとは誰のことだろう。というか、動物なのか?人なのか?


うさぎと言うから、恐らくうさぎなのだろうけど、しかし口ぶりからして、人にも聞こえる。



「誰なんです?その、白うさぎって」



そのまま聞き流そうにも、気になって仕方が無かったので、スカーレットは尋ねた。



「あたしの知り合いよ。この世界の事をよく知ってる奴でね、ちょっと頭抜けてるけど」


「そ、そうですか……」



本当はよくわからないが、そう答えざるを得なかった。


白うさぎ、うさぎのように白い人なのか、あるいは、白うさぎそのものなのか、スカーレットはそう考えるしかなかった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



倉庫を後にしたアリスとスカーレットは、森の中を歩いて行った。



時折、鳥のさえずりも聞こえ、今だけ平和に感じる。



しかしスカーレットは、どこから兵隊が追いかけてくるか気が気でない。



「…………」


「周り、気になるの?」



周りに目をやって歩くスカーレットに、前を歩くアリスが問いかける。


まさか指摘されるとは思わなかったようで、少しどもってしまった。



「は、はい……急に襲ってくるんじゃないかと、思っちゃいまして」


「あたしが居るから大丈夫よ。すぐにお星さまにしてやるんだから」


「た、頼もしいです」



信じたくはないが、やはりあの大きな拳は、アリスのものなのだろう。どういう原理で、あそこまで大きくなっているのかわからないが。



と、ここで、スカーレットは気になることを思い出した。



「アリスさんは何故、森に居たんです?わたしが言うのもなんですけど、女の子が居るようなとこじゃないですよね」



なんだか、自分に対しての皮肉とも取れる台詞だ。心が痛い。


対しアリスは、あまり気にしない風に聞いて、そして答えた。



「あたしのはわけが違うわよ。あんたみたいに、理由があって来たんじゃない」


「え?じゃあ、なんでここに?」



自分とは違うなら、何故森に居るのだろう。


スカーレットの追及に、わずかに返答を躊躇いつつ、アリスは口を開く。



「……落とされたのよ。白うさぎに」



ここで初めて、不愉快そうに顔を歪めた。とても嫌なことだったらしく、スカーレットは申し訳なく思った。ていうか、あの白うさぎ何をしたのだろうか。



「す、すみません。気分を害したのなら謝ります。答えなくてもいいです」


「そこまで害しちゃいないわ。気にしないで」



謝るスカーレットに対し、アリスはあまり気にしない風に返した。



「でも結構根には持ってるかしらね、あいつに会ったらたっぷりしごいておこうかしら」


「(……やばい、なんか言っちゃいけない事しちゃったかな)」



まだ姿見ぬ白うさぎさん。とりあえず謝ります。ごめんなさい。


と、スカーレットは静かに謝罪した。せめて無事でいられますようにとも祈った。多分お星さまにされそうだと思って。



そうしてる間に、二人は森を抜け出る。抜け出た先には、一本の道が横断していた。



「森を出れたわね、ここから町に向かえたらいいけど……ねぇスカーレット、この近くに町とかあるかしら?」


「いえ、ここらへんは街道ですから、多分ないです」



とはいえ、昨夜はほとんど無我夢中で逃げてきたので、実際は解らないのだが、スカーレットはうっかりそう返してしまった。



「そう……だったらしょうがないわね、しばらく歩くわよ。町に着くまで休憩なし!」


「は、はい……」



結果的に墓穴を掘ってしまった。


どうにか訂正を願い申し出たいものだが、今のアリスは聞き入れてもくれなさそうなので、ますます言いにくい。



「……?」



その時、アリスは何かを見つけた。



一匹の狼、血まみれで、至る所にケガを負っている狼だ。


しかしその姿は、狼の体格とは思えないほど大きく、というより、人と同じ身体をしていた。



前足や後ろ足とはいえないほどの長く、前足に至る箇所は、五本の指が綺麗に揃い、張ってるはずのない肩が張っている。


おおよそ動物とは程遠い体格である。



「……なにあれ。狼なの?」



動物としてありえない姿に、アリスは驚いた。隣にいたスカーレットも、アリスと同じように驚いている。


しかし姿形に驚いているアリスとは、まったく理由が異なっていた。



「狼さん!」



声高に叫んで、スカーレットはうつ伏せで倒れている狼のそばまで飛び込んだ。虚をつかれるような行動だった為、アリスは面を食らってしまう。



遅れてアリスも、狼のそばに駆け寄った。



「大丈夫ですか?!しっかりしてください!」



倒れている狼を揺さぶって、必死に呼びかける。アリスはその様子がとても奇妙で仕方がない。


四足歩行の動物としての体格ではなく、二足歩行の人間としての体格をしている狼。アリスからすれば相当近寄りがたいものである。



「……うぅ」



すると、狼が小さなうめき声をあげた。獣特有の声ではなく、とても人間くさい。



「あ、気が付きました!?起きて下さい!狼さん!」


「スカーレット、あんまり揺さぶらないであげて。ゆっくり起こしてあげなさい」



更に揺さぶろうとしたところで、アリスが制止した。ただそのまま棒立ちで様子を見ているわけではないようで、よろしくない事ははっきりと言うらしい。



「ぐっ……あいつら、マジで攻撃しやがって……」



痛みに苦しむ声とともに、人の体格をした狼は目を覚ました。



「狼さん!私です!スカーレットです!」


「?」



今度は揺さぶらずに、直接声で呼びかけた。大きい声で呼びかけたせいか、狼は少しうるさそうに顔を歪めながら、顔をこちらに向けた。


やっとスカーレットを視認をすると、驚くように目を見開いた。



「赤ずきんちゃんじゃねぇか、どうしてこんな森に?」


「話せば長くなるのですが……いえいえ、それよりもです」



自身に起きた事を説明しようとしたが、傷だらけの狼を見て、咄嗟に中断する。自分のことより、彼の状態が心配だったのだ。



「どうしたのですか?その身体、傷だらけじゃないですか!」


「?あ、あぁ……ちーっと、やられちまってよ」



そんな軽いものではない。至るところに切創せっそうがあるし、尻尾も血がかかっている。



「猟師にやられたんですか?待っててください、傷薬を出しますので」


「……いや」



持っていたバスケットから、傷薬を取り出そうとするスカーレットに、狼は静かに否定した。


てっきり、傷薬は必要ないからだと思っていたが、狼は別の意味で否定したようだ。



「やられたのは猟師じゃない……兵隊だ」


「兵隊……!?」



その一言に、スカーレットは戦慄した。


昨夜、自分を追いかけた兵隊。全身鎧の兵隊。なりをひそめたはずの恐怖が、ふつふつと蘇る。



「ねぇ、その兵隊の事を教えてくれるかしら?」



すかさず、アリスが狼に尋ねた。二足歩行の狼に対する違和感はあるが、話せるとなるなら関係ない。



「……そういうお前は誰だ?赤ずきんちゃんの知り合いか?」



見知らぬ幼女に話しかけれて、狼は鋭い眼差しで睨みつける。人間の言葉を理解し、話せていても、やはり狼特有の特徴らしく、警戒するような唸り声をあげていた。



「あたしはアリス。縁あって、スカーレットと行動してる所よ。あんたがやられたっていうその兵隊、詳しく教えて」


「…………」



狼相手にも、アリスは動じず、強い視線を向けている。初対面の人間は大抵、会話でさえ怯える事が多々あるため、ここまで冷静に、しかも普通に接してきたのは滅多になかった。



「……全身鎧を纏っていた、文字通り兵隊のような姿だ」



傷だらけの狼が言うには、


森の中、獲物を探していた途中、数十人の兵隊が現れ、襲い掛かってきた。狼は抵抗したものの、結果的にボロボロにされる。その際、スカーレットと同じように『妖精王の餞別はどこだ』と、尋ねてきた。


とのことだ。



「もちろん、俺にはそんなけったいなもん知らない。生まれてこのかた、妖精にも会ったことないしな」


「妖精王の餞別……スカーレットの時も、そう言ってわね」


「なに?スカーレットもやられたのか?」



初耳と言わんばかりに、傍らにいるスカーレットに目を向ける。



「は、はい……その時は、お母さんのおかげで逃げ出せました……」



震える手で、傷薬を取り出しつつ、静かに語り出す。



「そうか……じゃあ、お母さんは?」


「解りません。でも、もしかしたら……」


「考えすぎよ」



スカーレットが最悪な展開を口走ろうとした時、アリスが遮るようにぴしゃりと言う。



「まだそうなったとは限らないんだし、まずは会わなきゃ解らないわ」


「会わなきゃって……会えなかったらどうするんです?」


「ネガティブに考えるより全然マシだわ。知りもしない事でうじうじ考えてたら、兵隊に見つかっちゃうわよ」


「冗談言うんじゃねぇ」



狼が憎々しげに言った。さっきまでその兵隊に大怪我されたからか、中々説得力があった。



「とにかく、早く街に行きましょ。傷薬だけじゃ傷が治るとは限らないし、情報が足りないわ」



しばらく街はないとスカーレットに言われたはずだが、まさか負傷している狼にそこまで歩かせるつもりなのだろうか。



「それなら、赤ずきんちゃんのおばあちゃんの家に行くといい。そっちの方が近いしな。丁度この森に入れば着ける」


「はっ……おばあちゃん!?」



そういえばと、スカーレットは思い出すように声を上げた。



「おばあちゃんは無事なんですか!?わたしの所に兵隊が来たのなら、そちらに来てもおかしくありません!」


「……まぁ、可能性としては十分ありえるわ。急ぎましょ。案内して」



急遽、三人はおばあちゃんの家へと向かった。


負傷した狼はアリスが支えて、スカーレットが先導するように前を歩く。


しかし当の本人は、今からでも会いたい気持ちが強く、二人を置いて先へと進んでいった。



「スカーレット。あたし達を置いてかないでよ。迷っちゃうわ」



度々見失いかけては、アリスが呼びかけての繰り返しを経て、


森の中の一軒家にたどり着いた。



まるで別荘のようなログハウスで、冬で過ごすなら十分あったまりそうだ。



「おばあちゃん!」



スカーレットは逸る気持ちを抑え切れず、そのログハウスに早足で上がり込もうとする。


その時、何かを感じ取ったのか、突然狼が大声を上げた。



「!赤ずきんちゃん!家に入るな!」



しかし時すでに遅し、スカーレットがログハウスの扉を開ける前に、扉の方から勝手に開いた。



そこから現れたのは、スカーレットの知るおばあちゃん。




では、ない。



「!?」



扉を開けようとしたスカーレットも、驚いて足を止めた。


開いた扉の影には、見知らぬ男が立っていた。



全身を黒スーツで包み、 両手には白の手袋をはめ、黒のオールバックに目の下から頬と、下唇から顎にかけて、黒のラインが幾つも描かれている。


周りから見れば、いかにもやばいと思わせる雰囲気だ。



「だ、誰ですか」



思わず、そう返してしまったスカーレット。


この場では、喋るべきではなかったかもしれない。



「…………」



じろりと、瞳がこちらを向けたかと思えば、



突然、右手をスカーレットの腹部目掛けて放った。

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