第3話  Penny Lane

 私は、とても大きな恋愛をしていた。

 相手の彼とは高校1年生の時に出会った。最初の自己紹介で彼は「音楽がとても好きで、ビートルズやストーンズをよく聴きます」と言ったのを今でもよく覚えている。私はその時ビートルズのホワイトアルバムを聴きこんでいて、彼が「ビートルズ」という言葉を口にした瞬間に、私の見える世界がバラ色になり、彼が王子様のように見えた。きっと私はその瞬間から彼に惚れていたのだ。

 私は本当に古いロックが好きだったし、周りにそんな音楽を聴いている人なんていないと決め込んでいたから、初日の放課後には彼のところに駆け寄って質問攻めにした。「なんで、ビートルズ聴いてるの!?お父さんが好きとか!?」「ホワイトアルバムで好きな曲は!?」などなど。思いついた疑問を手あたり次第に彼にぶつけた。彼は、ぼそっと「兄貴が好きなんだよ。よく家で流れてて、それで自然に好きになったんだ。一番好きなのはOb-La-Di,Ob-La-Da」と言った。

 それ以来、彼とはよく話すようになった。授業中も音楽の話をして、先生からは何度も注意された。背はそんなに高くないけれど、笑った時のえくぼがとても可愛らしくて、好きになった。勉強もできて、スポーツも万能(50メートル走はクラスで1番速かった)。サッカー部に所属していて、さすがに1年生でレギュラーってことはなかったけれど、何度か試合に出たことはあるようだった。

 高校の3年間はあっという間だった。ほかのカップルがそうしたように私たちも文化祭の時は一緒に出店をまわったり、駅前で買い物デートをしたり、勿論喧嘩もした。

 私は八王子にある私立大学。彼は埼玉にある公立の大学を選び、それぞれ進学した。八王子と埼玉は少し遠かったけれど、彼はよく八高線に乗って会いに来てくれた。私もバイトをしてお金を貯めて、彼に会いに行った。

「そんなに遠くないし、八高線から見える景色がとても好きなんだ」

そう言ってくれていたけれど、なんだかんだ片道1時間はかかるし、大学に部活にバイトに忙しかったはずなのに、週に1回は必ず会いに来てくれた。私は少し申し訳なかったけれど、そのことを伝えると「好きなんだから会いに来るのは当たり前じゃん」とニコッと笑った。

 大学3年生の頃には、「ああ、この人とずっと一緒にいるんだろうなあ」と思うようになったし、時々結婚の話をするようになった(周りの人には結婚なんて早いよ、とよく言われた)。

 大学4年になって、就職活動が始まった。彼は埼玉にあるスーパーマーケットに内定をもらい、私は東京の特別区に合格して文京区に配属された。

その間、全く別れ話なんかしなかったし、喧嘩もしなかった。私は、彼といる時間が幸せだったしそれがずっと続くのだと疑わなかった。

 だから、この8年間、異性からの告白は(当然ながら)すべて断った。

高校の時は、1つ後輩の野球部から。大学の時は、バイトが一緒だった1つ上の先輩から。社会人になってからは同期から。少しかっこいいな、と思う人もいたけれど、やっぱり霧島君の笑った顔を思い浮かべると、私にはそれ以上大切なものができるなんて到底思えなかった。

 社会人になって3か月が経ったある日、彼は「同じ会社の上司からパワハラを受けている」と言い出した。4月に入社して、研修が終わり配属が決まったのが5月末。6月には埼玉県のスーパーマーケットに配属されて働き始めた。おそらく配属先でパワハラを受けていたに違いなかった。

 私が文京区に住むようになり、私と彼の距離は少しだけ近くなり、お互い仕事が忙しいながらも週に1回は会えるようになっていた。彼の様子がおかしくなり始めたのは6月の下旬ごろだった。目の下には常にくまが出来て、肌はみるみるうちに荒れていった。

 そして、彼は私と会うたびに暴力をふるうようになった。パワハラに加えて、彼は自分が割を食ってでも他人に楽をさせよう、とか、自分が任された事は責任を持って自分で片付けよう、と考えるタイプだったからストレスも相当溜まっていたに違いない。私は今まで霧島君から暴力なんて振るわれたことがなく、どうしていいか分からずに、されるがままに殴られた(暴力をふるわれ始めてから、私の体にはいつでもどこかに痣があった)。彼はいつも30分くらい暴れまわり、電気を投げ、姿見を割り、私の部屋をめちゃめちゃにした。霧島君がおかしくなってから、やがて2か月と少し。霧島君から、私の大好きな笑顔は消えていた。大学の頃とは別人みたいな顔になっていた。それでも私は「いつか私の大好きな霧島君が戻ってきてくれる」と信じて、付き合い続けていた。



 私には大学時代から親しい女友達がいた。

 大学のゼミで出会い、しばらくして開催された飲み会で、好きな音楽が一緒だということがわかり、意気投合した。背は155センチで私より少し低いけれど、足のサイズが同じだった。名前を真由子と言った。

 私は、古いロックの他に(自分でも音楽の趣味に統一性が無いなと思うのだけれど)洋楽のメタルも好きで、スリップノットやメタリカ、アイアンメイデンをよく聴く。真由子もメタルが好きだった。私はメタルはよく聴くけれど、服装までメタルという感じではなく、普通の洋服が好きだった(一方、真由子は黒に血文字で英語が書いてあるTシャツをよく着ていた)。

 緑のツナギはたまに着るけれど、ほかはサロペットやワンピース。普通の女の子と何ら変わりはない―変わりないと自分では信じている―。ちなみに私が緑のツナギを着るのは、スタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」への敬意からだけれど、その話をすると真由子は「スタンリー・キューブリックなら私は『時計仕掛けのオレンジ』が好きだ」と矯正器具を着けた歯を見せながら言った。「好きだけど、私は映画みたいな恰好はしないの」とも。


 真由子とは社会人になっても時々遊んでいた。

月に1回くらい下北沢や吉祥寺をぶらぶらして、古着を買ったり、CDを見たり。

 今日は珍しく渋谷に遊びに来ていて、ツタヤでCDを沢山買って、吉祥寺へ移動しようと駅に向かうところだ。最近古着ばかり買っていたから新品の服が欲しくなっていたのだ。「吉祥寺、行かない?」と言うと、真由子は快諾した。真由子には霧島君の話は一応打ち明けていて、そういう事情を斟酌して一緒に遊ぶ時はそれなりに気を使ってくれているようだった。私までおかしくなってしまわないようにブレーキをかけてくれているようだった。とてもありがたかった。



 9月だというのに、まだまだ暑くて、道玄坂には陽炎が揺らめいているのが見えた。渋谷駅に向かってスクランブル交差点を歩いていると、大型のテレビジョンが流しているニュースが、ふと耳に飛び込んできた。



「また、自殺者が出ました!今度は、23歳の青年です!青年はこの春に社会人になったばかりで、生前家族や友人には『会社が嫌になった』『上司から暴言・暴力を受けている』などと話しており、自殺の動機は会社内での軋轢が原因かと思われます。」



「やれやれ。またフィンガーデッドが出たのね」

私は、真由子と一緒に大型テレビジョンのスクリーンを見上げた。

スクリーンには見覚えのある顔が映っていた。





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