第2話 Enter Sandman

「なあ、また出たってよ」

「何が?」

「フィンガーデッド」

「ああ」

「なんか無関心だな。もっと無いの?『やばいよ!このままじゃ日本人がいなくなっちゃうよ!』とかさ。リアクションが薄いよ?」

「うーん。別に死にたいやつは、死ねばいいんじゃないの?自殺率が上がったってだけで、日本が今すぐ滅亡するってわけじゃないんだもの」

「それ、公務員のセリフとは思えないね」

「指先を相手に向けて殺せるっていうなら、もうちょっと焦るだろうけどね。自殺者が増えて困るのは火葬場くらいだよ。その火葬場だって最初は『人が足りない』ってパニックだったけど、今は儲けまくってる。景気はウナギのぼりだ。自殺特需だね」


 渋谷駅を出て、スクランブル交差点を渡り原宿方面へ歩きながら、僕たちはそんな会話を繰り広げていた。街は9月下旬だというのにまだまだ暑く、横目に見た道玄坂には陽炎が揺らめいていた。

 街頭の大型テレビジョンはもう珍しく無くなってしまった自殺者のニュースを放映している。

「また、自殺者が出ました!今度は、23歳の青年です!青年はこの春に社会人になったばかりで、生前家族や友人には『会社が嫌になった』『上司から暴言・暴力を受けている』などと話しており、自殺の動機は会社内での軋轢が原因かと思われます。警察は特別対策本部を設置し……」


「あらあら、俺たちと同い年じゃない。そんなに早まらなくたっていいのにね。23歳だったら、まだまだ未来は明るいのに。デザイナーだってプロサーファーだって目指せる歳だ」

 さっきから僕の横でしゃべっているのは、繁美春斗。僕たちは23歳で、半年前の5月に出会った。ゴールデンウィークの夕方に新宿御苑のフランス式庭園のベンチで、僕がマイケルサンデルの「公共哲学」を読んでいると、前のベンチから女の子の声で「ごめんなさい!」と聞こえてきた。何事かと思い文庫本越しに真向いのベンチをチラっとみてみると、ぐたっと肩を落とした男が一人。どうやら男が女に袖にされたみたいだ。女の子はベンチに置いた鞄をサッと取って、スタスタと速足で出口へ向かっていった。今時珍しい緑のツナギに赤いキャスケットをかぶっていたのを覚えている。残された男へ目を移すと、その男は1か月前の入庁式の時に隣にいた奴だとわかった。名前を呼ばれた時にとても元気よく返事をしていた記憶がある。ベンチで落ち込んでいる彼に僕が声をかけた。

「繁美…春斗君…だっけ?大丈夫?」

普段から極力人に関わらないようにしている僕が、なんでそんな声をかけたのかは今でもわからない(多分、落ち込んでいる姿が夕日に照らされ余計かわいそうに見えたのだ)。声をかけられた彼は首を素早く上げた。

「たしか同期の…」

「一之瀬陸。よろしく」

「陸…。よろしく。今から飲みに行ける金ある?」

「1軒くらいなら」

「オーケーだ。行こう」

 ほとんど初対面に近い僕たちはお互いなんとなく似たものを感じたのだろう。僕はその誘いを断る気はなかったし、向こうも断られる気なんてなかったに違いない。

 比較的、僕はこういう運命的な―これを運命的と言えるかは審議に迷うところだけれど―出会い方をすることは多い。学校のクラスが一緒の奴とはあんまり仲良くなれないけれど、公園で出会った奴とは不思議と仲良くなれる。きっと彼も同じようなタイプだったのだろう。



 それから僕たちは居酒屋に入って3時間ほど話した。

わかったことは、彼も親が公務員だからという理由で東京の特別区を受験し合格したこと。僕と同じ新宿区に配属されて(僕は高齢介護課に)、彼は観光課に席を置いているということ。居酒屋の席に着いて僕が自己紹介から始めようとしたら、彼がマシンガントークでフラれた女の子についてしゃべりだし、それから約3時間は手の付けようがなかった。ところどころで上手く質問を挟んで、聞き出した情報が上記のとおりだ。僕が彼と友達になれるかもな、と思ったのは、女の子について話した3時間で彼が一度たりとも女の子のことを悪く言わなかったからだ。「あの子よりワンピースが似合う子を俺は知らない」とか「あの子はメタリカのベーシストを空で全員言える」とか。褒め言葉なのかわからないものもいくつかあったけれど、貶す表現は一つも使わなかった。

 居酒屋を出て連絡先を交換し、僕たちは友達になった。

それから月に1回から2回、連絡を取って買い物や食事に行った。原宿のキャットストリートの古着屋を回ったり、銀座のバー・ベスパに行ったりした。彼が無断で父親のマセラティを借りてきて一緒に江の島に行ったこともある。その時は僕を家の前で降ろし彼が帰るまでの途中で右のバンパーに傷を入れてしまい、父親からこっぴどく怒られたらしい。


 今日は彼の提案で渋谷と原宿でショッピングの予定だ。

彼は緑のハーフパンツに白のTシャツで足元はスタンスミスというシンプルな恰好をしていたけれど、彼のキャラクターにはしっくりきていた。170センチくらいの身長で少し筋肉がついて褐色の肌。元気で外で遊ぶのが好きなのだ、と彼を見た人は100人が100人そう思うだろう。ニッと笑った時に見える白い歯は、健康そのものという感じだ。

 一方、僕はベージュのチノパンに紺のポロシャツにコンバースのスニーカー。新宿駅西口に集合してから渋谷のスクランブル交差点を渡り切るまでに、彼から「ハーフパンツはいいぞ」と10回は言われている。彼は服にこれと言ってこだわりはなかったけれど、それなりにいいものを身に着けていたし、スタイリングや外しが上手で僕にはとても洒落ているように見えた。ハーフパンツも彼に着られて嬉しそうだった。


「なんでそんなに死にたがるかねえ。俺にはわからん。上司から言われたことなんて『へえ、へえ』って言ってればいいし、怒られたってその場だけ謝って済ませりゃいいのに。殴られたなら殴り返して仕事なんて辞めちゃえばいいんだ。仕事で思い悩んで死ぬなんて考えられないね」

山の手線の高架下を通りながら彼は言った。

「動機より問題なのは、簡単に死ねるってところじゃないかな。手をピストルの形にしてこめかみに押し付けて『バン!』って言えば死ねる。車の中で七輪を焚く必要もなければ、電車のタイミングを見計らって線路に飛び込む必要もない。今までは、死ぬためにはそれなりに高いハードルを越えなければいけなかったわけだけど、そういう面倒が無くなってしまった」

「死へのハードルね」

「それにフィンガーデッド?だっけ?100%死ねるってのは大きいと思うよ。失敗がないってのはイコール苦しむ可能性が低くなるわけだからね。」

「陸は陸なりにこの事件は分析してるわけね」

ふふ、と愛想笑いで返して山手線の高架下を抜けた。



その時。




「バン!」

僕たちの後ろで大きな声がした。



 




 

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