第3話 大宴会



「うわ」

 差し迫った仕事を終わらせ、いくつか前倒しで仕事をすると、気づかないうちにすっかり0時を超えていた。

 朝、お隣さんにお礼に向かうと話していたのに、気づかずこんな時間になってしまった。これも矢島が悪い、と思いながら、近くの屋台で、おでんを少し多めに買えば家路につく。


 部屋の前まで行くと、見覚えのある男が立っていた。最初に俺の腕を、散々に強い力で掴んできた男。腹も殴られた。あれは絶対骨が折れてた。マジで痛かったんだぞと睨み付けてみるが、男の威圧感にすぐにやめた。この男、確か、羽柴と呼ばれていた気がする。



「遅ぇんだよ」

 男は俺を見るなり、羽柴は俺の腕を強く引くと、お隣さんの家へ堂々と入っていった。

 扉を開けるなり、煙草の匂いが鼻に突く。俺と同じ狭い部屋。けれど、転がった酒の缶や脱ぎ捨てられた衣類が、より狭さを増しているように思う。そして、中央にそれらをよけるようにしておかれたちゃぶ台。

 矢島はいまだ、青い顔をして座っている。そのほか、スーツの男たちも数名、緊張した面持ちで座っていた。そして、その前で堂々と座っている男。

「よぉ、お隣さん。仕事が終わったのか」

 朝まであった無精ひげはなくなり、髪も整え、後ろに流してある。俺じゃ絶対に似合わない、あまりにも高い素材のダークブルーのスーツとネクタイ。首元や指には、多くのリングが並んでいる。

 朝の人物とは似ても似つかない男がそこにいた。



「今朝はお世話になりました、お隣さん」

 羽柴が俺の頭を下げるよう、無理に下に押す。俺も、あまりの力に逆らわず頭を下げておいた。 

「ははは、それくらい、気にしなくて良い。俺のことは、佐伯と呼べ。それに、敬語はなしだ。それより、待ち切れず、酒盛りを始めちまったが、俺の周りは静かな奴ばっかりなんだ、お前が話し相手をしてくれ、お隣さん」

 そういって、注いだ酒を手渡してくる。威圧感や周りの視線がやばいので、謙遜せず酒を受け取る。なにより、飲むのは大好きだ。

 受け取った酒を飲めば、それは喉の通りが良い酒で、けれど喉に流れる感じは、相当度が高いんだろう。けれど、その後味の旨さに値段を考えるのが、恐ろしくなる。


「お、いける口か。これを飲んでぶっ倒れる奴も多いんだが、お前さんは良いなぁ」

 佐伯さんのそんな台詞の後に、俺を強い力で引き寄せては、頭をぐりぐりとなでる。強引なそれだが、嫌な感じはしない。煙草と香水の香りがふわっと、俺を包む。そんな様子を、羽柴はぐっとこらえるような表情で見ていた。


「お前は飲まないのか?」

 俺が羽柴にそう声をかけると、今まで見たことのない子犬のような表情で、佐伯さんを仰いだ。

「あぁ、こいつは一人で勝手に勘違いした上に、おまえさんに迷惑をかけたろ。反省をさせてる最中だから、放っておけばよい。それとも、お前さんが何か仕返しをしたいというなら、俺が手伝ってやってもよいがな」

 帰ってきたのは、俺に向ける柔らかな声色とは真逆の冷たい、声色。その言葉に羽柴がびくりと体を揺らす。なんというか、強い上下関係に俺のほうがピリッとした気分になる。


「いや、別にいい。別に酷いことされたわけじゃないし、飯だって治療費だって、部屋の修理だって矢島に出してもらってたしな。それより、おでんを買ってきたんだ。みんなで食って、酒を飲んだほうが楽しくないか?」

 こういう空気は苦手だ。どうせ酒を飲むなら、楽に飲みたい。



「なんですか」

 急に佐伯さんに頭を撫でられる。突然のことに、そう声に出てしまった。

「んー、可愛いと思ったやつの頭をなでるのは、年寄りの癖だ。気にするな。それより、お前らも酒を飲むから早く注げよ」

 その言葉に、羽柴は嬉しそうに佐伯さんのもとによる。ほかの連中も、正していた姿勢を崩して、矢島も落ち着いたように長く息を吐いては、酒を注いでは、煙草を銜え始めた。


 羽柴に佐伯さんに、矢島。そのほかの人を含めて、なんだか、実家での正月を思い出す。男兄弟のこともあって、祝いの席はいつもこんな感じだった。最近はなかなか帰れないこともあって、今日みたいな機会がとても楽しい。



「そうだ、おまえさん、与一よいちといったか」

 そうとう酒を飲んで、眠気が勝っているころだった。頭をなでながら、佐伯さんはうとうとした俺の手から、酒を取る。

「佐伯さんは、佐伯湊人さんで良いんだっけ」

 さっきから、羽柴が楽しそうに湊人、湊人とくっついて過ごしている。この人が彼らの探し人だったようだ。彼らが探していた湊人と呼ばれた男は、実は最近引っ越してきた俺のお隣さんで、目撃情報が交錯して、なぜか俺が部屋に匿っているとなっていたらしい。それで、あの結果だ。何とも迷惑な話だが、こうして楽しく話ができるのは、良い結果といえばそうなんだろうが。


「与一」

 それに、俺はこの男に呼ばれることが、なぜか今回が初めてじゃない気がしてならない。それがどうしてなのかは、酒で回りすぎた思考の中、考えられそうにないが。


「おい。寝るのならここじゃなくて……って、もう聞いてないな」

「湊人、俺が運んでいこうか?」

「いや、良い。俺ももう少し酒が飲みたいし、このままでも良いだろう?」

 そんな話を、薄れる意識の中、聞いていた。




 

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