第2話 お隣さん
目が覚めると、俺の腕は管につながれていた。
ぽたぽたと落ちる点滴に、さっきまでの痛みがなくなっているのがわかる。ぼんやりと、天井を見つめていると不意に青年の姿が見えた。
旨そうな匂い。青年が持っているものに視線をやると、ぐぅとおなかが鳴るのがわかる。
そしてそれに気づいた青年は少し顔を綻ばせる。
「2日以上も高熱で寝込んでいたんです、おなかがすいて当たり前ですね」
柔らかくそう答えた青年は俺の隣に座ると、サイドテーブルに持っていたものを置く。大きな揚げが乗った旨そうなうどんがそこにはあった。
力強く青年に体を起こされると、水を勧められ、それから無言でうどんをすすった。
そうして、いつの間にか、腹の痛みも消えていたが、この時はうどんに夢中で気づいていなかった。
「失礼ながら、家のものを見させていただきました。貴方の名刺を控えさせていただき、会社のほうには私のほうから休みの連絡しています。当分の間はここで過ごしてください」
「それは困る」
「こちらとしましても、お譲りはできません。あの方のお許しが下りるまでは、大きな行動は控えていただきたいと思います」
無視して立ち上がろうとすると、痛めた腹の個所を強く捕まれる。あまりの痛みに顔をしかめる俺を、厳しい顔で青年は見ていた。
「俺が、暮らしていけないんだが」
「食事や金銭に関しては、ある程度、私が準備させていただきます」
そう言いながらも、腕の力を強める男に、俺は諦めてベッドに座りなおす。
「あぁ、わかったよ。お前らが普通の奴らじゃないことも、なんとなくわかるし、逆らわないでおく」
「わかりました」
そういうと青年はにっこりと微笑み、奥からプリンを運んでくる。
…ぐぅの音もでない。
「あんたらは、何を探している?」
腹がいっぱいになって、気分も落ち着いた。寝すぎていたせいか固まった体をほぐしながら、青年にそう声をかける。
「なんとなく、貴方は無関係だと私も感じています」
「話になってねぇ。俺は無関係なのに襲われたってわけか?」
「無関係であれば、なおさら私たちの情報は簡単に渡せません」
「そうかよ」
不意にトイレに行こうと立ち上がるが、ふらつき青年に支えられる。
けれど、それが気に入らず青年を腕をおし、距離を取ってトイレに向かう。部屋は、あの日荒らされた形跡は何もなく、元に戻されていた。
「お前がやったのか」
後ろの青年に声をかける。
「ご迷惑をおかけしました、元の物にすべて取り換えさせていただきました。不便や紛失があれば、手配いたします」
ぼろ臭かったテレビやテーブルは同じ型だが、すべて新品で、ばらまかれたはずの会社の書類も整頓されていた。
「あぁ、すまない」
自然に出てしまった、その言葉に青年が微笑むのがわかる。
「?……!!違う、俺はお前らのことまだ許してないからな」
「いえ、全てが終わるまで恨んでもらっていて結構ですよ」
青年はどこか満足げに、食器を洗いに戻った。
「タブレットを返してほしい」
すべて元通りになった部屋だが、外との通信手段はすべて青年に管理されており、連絡を取り合えないようになっていた。
「ネットへつなげないのなら」
「あぁ」
そんな日々が何日か続けば、それもどうでもよくなる。
タブレットを受け取り、目の前で接続を切れば、自由に触ることは可能だった。
携帯もとられたまま、カーテンは1日閉められたまま。
外にも車が1台止まっており、交代で見張りがされている。室内にいるこの青年、矢島は常に俺の傍にい、時には世間話をしてくれる程度で、それ以外は、パソコンを使い、なにやら仲間とやり取りをしていた。
一度、トイレに行く拍子に玄関から逃げようとも思ったが、すでに察していた矢島が立っており、諦めた。暴れない限りは、食事も出て、仕事もしなくてよいのだ。それはそれで良い環境だと思う俺は、5日近くもこいつと過ごし、いつもと違う非現実な環境に、毒されているような気がする。
ふと静かな空間、バタンと扉が閉まった音が聞こえた。珍しいこともあるようだ。隣の住人が外に出たらしい。
ただ単に家で仕事をしている奴か、引きこもっている奴だったのだろう。ふと、食事はどうしているのだろうか、と考えて、あまりのも平和ボケしている自分の考えに、口端をあげてしまう。
「どうしました?」
目ざとく矢島に見つかる。
「いやいや、思い出し笑いだよ。この生活じゃ暇すぎて、刺激がないからな。元の生活が恋しいんだよ」
「何言ってるんですか、このままでも良いと感じ始めているくせに」
つらーと嘘をつけば、俺の心情を察している矢島が嫌味気にそう話した。
「なんでも、お見通しだな」
そう言いながら、隣の住人のことでまた想像を膨らませる。そうでしか、時間を潰せない。それに、もし、このことが矢島にばれて、隣の住人がどんなのか勝手に調べられて教えられれば、俺の楽しみがなくなってしまう。
隣の住人の些細な物音だけが、今の俺の楽しみだ。って、なんかやっぱり俺は毒されている気がする。
矢島の見張りの中、1週間が経った。腹の痛みは既になくなった。
何が何でも、今日からは出社したいと話すものの、矢島は聞く耳も持たない。昨日、後輩からプロジェクトにいくつか修正箇所がでたと連絡があった。後輩に任せるにしては、少し不安要素が多すぎる。こちらから返信をしようにも、矢島には止められる。
なんでも俺は、怪我をして入院をしていることになっているらしい。もっともらしい嘘だが、誰も面会にいれないのでは、会社で変な噂もたつというものだ。
「矢島」
「無理です、もうすこし長引くと会社に連絡をしてください。私からすれば、別に連絡をせず無断欠勤でも何も被害はないのですけどね」
相も変わらず、性格が悪い。
「探し物は見つかったのかよ」
「いえ。目撃情報は入るのですが、それだけですね」
ため息をついた矢島はちらりとこちらに視線を向ける。ほとんど眠ってもいないのだろう、目の下には隈が出来ていた。
「使えねぇなぁ」
「いっそ、あなたが本当に黒幕で。あなたの場所に探し物が舞い込んで来ればよい話なんですけどね」
「阿保か、お前らが早く無実を証明しろ」
そういいながら、スーツに着替え、出社の準備を始め、そそくさと玄関に向かう。
「だから、今日はまだ駄目ですって」
立ち上がった矢島が、俺の前に立つ。見上げる形となる矢島。一見細そうな腕も、こうして捕まえられてしまえば逃げれない。
矢島といい、前の奴といい。どうしてこうも、俺よりもでかく、力が強いのだろうか。羨ましい。
そんな、恨みを吐き出すかのように、俺は息を吸った。
「なー、隣の部屋の人ー。居るんだろー。助けてー」
そうして、演技にしてもあまりにも下手な芝居で、そう大きな声を出した。
「何をしてるんですか」
呆れた矢島の顔。
「や、この家、玄関だけはなんか作りがもろいんだよな。ここでの話し声は、隣の部屋の奴に声が聞こえるんだよ」
そんな俺の言葉に、より一層いぶかしげな顔をする矢島。
「本当に、助けが来るとでも思っているんですか?」
少しも焦ったそぶりがない、矢島の表情。いや、俺だって、こんなんで助けてくれるだなんて思っていない。ただ、俺が矢島を倒して玄関から出るよりは、可能性が高いと踏んだ。ほんの少しの差だが。
「まー。俺にとってはこれしか今手段がないからな」
ため息をついた矢島に、面倒だから諦めてください、と、猫のように首元をつかまれ、部屋へと戻される。
そんな時だった。
隣の部屋のドアが開いた後に、足音。そしてインターホン。
「あ、来た」
「面倒ですね」
再度ため息をついた矢島が、俺の手足を手慣れた動作で、ベルトで括り付け動けないようにする。口にも物を詰め、同様に結ぶと、何度もなるインターホンの中、ゆっくりとした足取りでドアを開けにいった。
死角となる場所に投げられたこともあり、俺からは、玄関先の人間は見えない。ただ、それはそれで良い。芋虫のように転がってでも、矢島がおいてったパソコンから、何か駆け引きの材料でも取れれば。そう思っていた。
「佐伯さん!?」
突然、驚いたような矢島の声が聞こえる、それからのしのしとこちらへ向かってくる足音。
顔を足音のほうへ向ければ、無精ひげを生やしたYシャツ姿の男と目が合う。襟や袖からは痛々しい傷がいくつも見える。そして、Yシャツに透ける、龍の彫り物も。
「どうした、お隣さん」
「ん”ももも”も”」
とりあえず、話せないことは伝えておく。すると、佐伯と呼ばれた男はおい、と矢島に鋭く声をかける。駆け寄ってきた矢島は、青い顔をしながら俺の拘束を解いてくれた。
「ありがとうございます、お隣さん。申し訳ないですが、俺、仕事の時間が迫ってまして、向かっても大丈夫ですか?今夜必ずお礼をしに向かいます」
ん、と煙草を銜えた佐伯さんは、顎で玄関のほうを指す。行ってもよい、ということなんだろう、いまだに青い顔をしながら、佐伯さんの煙草に火を付ける矢島に、家の鍵を渡すとそそくさと家を出て、会社へ走った。
「やばそうな人だったな……」
面倒ごとは、逃げるに限る。
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