第17話 出立 


 東の空が白み始め、星の光が薄れ始めた頃、騒ぎ疲れた広場に和やかな時が流れそろそろお開きと言った風情である。


「さて、そろそろ空も白む。名残惜しくはあるが立つとしよう」


 月読命がついに席を立ち、天女や天人を引きつれて雲の通い路を昇ろうと輿へ乗り込んだ。薄明かりのなか、仄かに青い空気に浸されてもなお、綺羅びやかな行列が整う。あとは出立の声を待つばかりである。


 その時、つと御簾が少し上がり、その隙間より月読命が姉妹に手招きした。走り寄ると御簾の影より小声で話しかけられる。


「うさちゃん達は私の隣を付いてきなさいね」


 優しく微笑みを向けたあと、お付きの天人へ手を貸しておあげなさいと声をかけた。その声に答えるように、傍らにいた天女が白嶺と黒嶺へ手を差しのべる。広場を振り返れば、たくさんの妖化しと共にお社様が見送りに来ている。

 その人垣に重蘰の姿を探すも見当たらない。


 ついに、出立の声が上がる。

 別れを告げられず後ろ髪引かれる思いではあったが行列は動きだす。白嶺と黒嶺も天女へ手を引かれて雲の道へ踏み込んだ。ゆるゆると空を昇って行く一団を静かに見送る人垣を掻き分けて、その姿を追う者がいる。


 内掛けの裾を持ち上げて寂しそうな瞳で姉妹の姿を追っている。人垣から遠く離れても一団を追って来るその姿を黒嶺が見つけた。


「姉さま、姉さま!重蘰の姉さまがいるよ」


 白嶺に呼びかける声は輿の中にも届いたと見える。

 止まるよう声が掛かると御簾が上がり、月読命まで下を見下ろしている。


「おやまぁ、綺麗だこと。お前も共に来たいのかい?」


 呟きと共にその御手が空を軽くつかみ引くように動いた。

 それは道端に咲く花を思わず摘むような自然なしぐさであった。


 途端に眼下の重蘰がふわりと宙に浮き、輿の方へと引き寄せられて空を舞う。しかし、山を離れ、いよいよ雲の通い路へ連れ込まれる高さへ至ると、何か目に見えぬ紐に結わえられているが如く宙に止まってびくとも動かない。


 月読命は眉を顰め、引く手に少し力を込めた。引っ張られている重蘰の顔が苦痛にゆがむ。


 その時ざっと風が吹き、輿の少し下辺りに、雉虎の狼へ横乗りに腰かけたお社様が姿を見せる。


「月の方、どうかそれ以上力を込めないで下さい。可哀そうな御神木が千切れてしまいます」


「あれま、あの娘は御神木だったの?」


 手の力を抜くと、お社様は見るからに安堵した表情を浮かべた。御神木の非礼を詫びながらそれとなく執り成してくれる。


「申し訳ございません。この重蘰はその姉妹の姉のような母のような存在なれば、離れるのが悲しいのです。されどこの者は御神木であるがゆえにこの山より出る事ができませぬ。御同道出来ぬ事お許しくださいませ」


「残念ねぇ」


 月読命は美しい妖化しが付いて来たそうにしていたので、気紛れに連れて帰ろうと思ったのだが、ご神木とあらば諦めるより他無い。

 姉のような存在とと聞いて、そう言えば宴の席でこの兎の姉妹と仲睦まじくしている姿を可愛らしく眺めたなと思い出す。このまま引き離すのは忍びないような気がした。


「でも、山の方。これはご神木とは言え、樹守りでしょう?」


「それは......」


 ご神木として存在する樹にはいく通りかの姿がある。

 元々樹として生まれ存在し、長い時を生きて神格化したもの。もうひとつは、呪によりまだ若い樹に人柱をたて、人為的に作り出したものだ。


 前者を正当とし、後者は紛い物とされるが、それでも拝み続けられれば神格化する。


 ただ、捧げられた魂はその地へ永遠に結びつけられ、樹が枯れるまで解放されることはない。逆に言えば、樹が枯れると共に死を迎えるのだ。されど、抜け道が無いこともない。他の魂が、その人柱の魂と入れ替わり、身代りになる方法だ。その身代りになった者を樹守りと言う。


 されど、この呼び名は本来秘されるものである。

 その名は自分の社のご神木が正当なものではないと言っているようなものなのだ。


 こうなってしまったのには複雑な経緯があるのだが……。

 お社様の顔が曇る。


「意地悪で言った訳じゃないのよ。それなら私が手を加えられると思ったの。悪くとらないで頂戴ね」


 それにしてもねぇ。と、思案顔の月の神は何か思い付いたように顔をあげた。


「ねぇ、山の方。この前の双六の勝負、ご褒美を保留にしていたわよね?」


 月読命は所望する願いが思い浮かばずに、今度来るとき迄に考えておくと先伸ばしにしていたのだ。このような時に突然なんの話かと思ったが、お社様をはじめ回りの天人まで、嫌な予感に眉尻が下がる。


 ひとつ思い当たったからだ。


「月に一度、望月の晩に重蘰ちゃんをうちに連れていって構わないかしら?」


 お社様が深い溜め息を吐いた。

 また始まった主の我が儘に、天人や天女たちが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。


「もちろん神無月の望月は数には入れないわ。急用の時も無しにしてあげる」


 良いでしょう? と上目使いにお社様を伺っている。


「でも、重蘰の姉さまは山を離れたら」

「命の緒が切れてしまう」


 神様たちの話し合いに口を出してはいけない事はわかる。

 それでも大切な重蘰のことを思うと口を挟まずには居られなかった。


 重蘰は山を離れれば掟違反として即刻死んでしまうのだ。

 その事は姉妹ですら知っていた。心配そうに口々に抗議するさまへ目を細める。


「私は母親似なのかもね。だから心配ないわよ」


 月が死をも司ることを、この兎の姉妹はまだ知らない。

 月読命の瞳の奥にゾッとするような冷たい影が漂う。しかし、すぐに微笑みにとって変わり不穏な空気は跡形もなく払われた。


 長い付き合いであるお社様は、月の神の言い出したら聞かない性格をよく知っていた。これを止められるのは、この人の兄弟くらいのものだろう。


 仕方なく、月が出て沈むまでの間ならと渋々了承する。

 するとその承諾の言葉が終るか終らないかのうち、宙で止まっていた重蘰の耳元に藤の花簪が咲きこぼれる。


 月の神が再び手を引けば、今度は難なく輿の側まで引き寄せられた。雲の道へ立たされた重蘰は、信じられないと言ったようにその眼を驚きで丸くしている。


「東雲が射し、月が姿を隠すまでの間は、未だ満月の内でしょう?貴女も見送りついでに少し遊んで行きなさい」


 月の神が片目を瞑ってみせる。

 眉尻を下げたまま、お社様が敵わないと言ったように肩を少しすくめた。


「重蘰と言ったな? 月までの同道許す。付いて参れ」


 正式の場でしか発揮しない威厳のある様で重蘰に申し渡す。

 その簪の藤の花が散るまでの間月での滞在も許すと。そこまで言うといつもの様子に戻って微笑んで見せる。


「ずっと樹のお守りも大変でしょう? たまには息抜きも必要よね」


 軽口叩いてうっとりするような笑みを向けた。

 重蘰は深々と頭を下げてその言葉をありがたく受けとる。その姿に暫し視線を止め、月読命は言葉なく頷いた。


「さて、決まったならとっとと帰るわよ。時がもったいないもの」


 輿の縁を軽く叩いて合図を送る。

 再び出立の声がかかって、行列が一斉に立ち上がる。その足元で鵺雷が軽く笑い声を立てて、その鼻面で重蘰の脇をつつく。


「よかったじゃねぇか。おっかさん」


 からかいを含めて言ったはずだが、重蘰は涙の滲む瞳で嬉しそうに、珍しく素直に頷いた。いつもの勝気な台詞が飛んで来ないので、鵺雷は肩透かし食らったように驚いている。


 相当に参っていたのだろう。

 鵺雷は労わるように彼女へ頬を擦り寄せた。その頭を重蘰が優しく撫でる。これがいつもなら『気味が悪ぃ』と照れ隠し半分逃げ出す鵺雷だが、今は大人しく目を細めていた。


 月の光に白金に照らし出された雲の道を、幽玄な天人の一行が緩やかに昇る。彼らが通り過ぎる傍から風に散らされるように道が消えた。やがて雲一つない夜空へ懸かる月の中、小さな影と成り光へ吸い込まれ、一行の姿が見えなくなった。


 二羽の兎の妖化しが、月で仕えるようになった事の顛末はこのようなお話があったのである。


 その後、この少女らが、それぞれの赤い糸の先に恋人を見つけることになるのだが。それはそれ、また他の話、もっと先の話しである。


 まずはめでたし、めでたし。



 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白嶺に懸かる月 縹 イチロ @furacoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ