シ=スーのイダイなる種族

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

シ=スーのイダイなる種族 End of contents〝SHI=SU〟


 何のために。

 何のためにわたしは、こんな場所までやって来たのだろうか。

 弾ける波涛、顔にかかる白波の飛沫――そして、押し寄せる


「――嗚呼」


 現実逃避を始めていた脳みそが、ふと正気に返り、わたしはすべてを思い出した。

 そうだ、わたしは。


「わたしは、寿司を食べに来たのだ……っ!」


 時は、逆巻き宇宙のようにまき戻る。


 ◎◎


「寿司が食いたい」


 椅子を蹴立て、そう叫ぶわたしはさぞかしひとの眼には奇異に映ったことだろう。

 とうぜんだ、わたしはそのとき、大手回転ずしチェーン店『女具蛇ニョグタ寿司』の店内にいたのだから。


「へいらっしゃい!」


 威勢の良い店員の掛け声とともに、トウチョクセン的な動きで女体盛りされた寿司がレーンを流れていく。この店では見慣れた光景だ。

 無類の寿司好きを自称するわたしは、変わり種の寿司を求めてこの店を訪ねていた。

 外連味が強すぎるとの評判からこれまで敬遠していたのだが、衝動的すし食べたいショックSSTSに陥ったわたしは、いてもたってもおれず女具蛇の暖簾をくぐったのだ。

 インパクト抜群だと、いい意味でも悪い意味でも有名な店だったが、それはわたしにとってあまりにあっけないものだった。

 寿司がただ、女体盛りされているだけなのだ。

 そんなもの、体温で寿司が温くなって不味いだけではないか。

 一口アカガイを口にしてから気が付いたわたしは、故に叫んだのである。


「寿司が食べたい」


 もっと、美味い寿司が食べたい。

 そうして、わたしの長い放浪生活が幕をあけたのである。

 まずは北の最果て、練功レンこう寿司の源内げんない職人を訪ねた。

 当代随一と謳われる彼の寿司、それをわたしは過去に口にしていた。故に、何らかのヒントを求めての来訪だった。

 だが、店の敷居を跨いだ私を見た瞬間、彼は言った。


「おい、あんたが求める寿司ってのは、この店にはねえーですぜ」


 初めは何を言ってるのかと思った。

 歳を取りすぎてとうとう耄碌したのか、あーこれだからじじいいやだとあざけったぐらいだったが、彼の瞳には正気の色があった。


「あっしには解る。あんたの舌を満足させる寿司は、もはやこの世には、あ、あ、ねぇえーーー、のよぅぅぅー!」


 いきなり歌舞伎風に見栄を切る爺というのもそれなりにショックだったが、その発言の方がよほど深刻な衝撃をわたしに与えた。

 なんだと?

 わたしの舌は、


「いや、前に来たときあっしのギョクを食って苦いって言ってたからたぶん味覚障害じゃ――」


 もはやわたしの耳に、彼の言葉は届かなかった。

 そうだったのか。

 そうだったのか!

 そうか、この世の食材ではわたしは満足できない身体に――そんな高みに達してしまっていたのか!

 その真理、この世のサダメの無常さを悟ったわたしは、ほうぼうを走り回った。

 男魔女ダンウィッチ町の桃色目寿司。

 ブリュン何とかの寿司処『業突木ゴーツウッド』。

 はては、あーなんとかの、あーなんとかヘンリーなんとかとかいう図書館の爺にまで握らせてみたが、しかしダメ。

 源内職人が口にした通り、わたしを満足させる握り手は存在しなかった。

 そもそも、図書館勤めの素人なんかに美味い寿司が握れるわけがないのである。

 そうして、長い長い旅の末に、わたしは一つの噂話を聴いた。

 日本のある漁村では、この世のものとは思えない二足歩行の魚が跋扈しているのだと。

 わたしは、いちにもなくその噂に飛びついた。

 三十分のタブレットによる綿密な調査によって、その漁村が入洲口いんすまうすという名前であり、カステラが一番とか抜かしている島国県の端っこに位置していることを突き止めた。

 わたしは一路、入洲口へと旅立った。

 その足取りは、馬と蝙蝠を掛け合わせた怪鳥の羽ばたきよりも軽やかだった。


 ◎◎


 そして、わたしは辿り着いたのだ、その村に。

 絶えず濃い霧が立ち込め、魚の腐ったような臭いが鼻を突く、切り妻型屋根がたくさんのその漁村へ!

 踏み込んだ瞬間に、わたしは開眼した。

 瞠目して、仰天し、狂喜した。

 いた、いるじゃない、いるんだよ二足歩行の魚が!

 平べったいヒラメ面、目の距離ははなれ鼻はぺしゃんこ、瞼は見えず、手足の指の間には粘液をひく水かきが存在感を示す。首の横には立派なエラまで。

 そいつらは生意気にも服なんて着ていたが、わたしには一目で魚だと見て取れた。

 口の端から、抑えきれなくなったよだれが、ドロリ、たぱたぱと零れ落ちはじめていたからだ。

 そう、そいつは美味そうだった。

 これ以上なく、美味そうだった。

 そして、それを捌きえるものは――

 それを抜き放つとともに地を蹴る。

 抜いたのは白刃、刺身包丁。

 奴らの一人がわたしに気が付き、奇声を上げかけたその時にはもう、包丁は翻っていた。

 パッと、宙に舞うは青い血液。

 間違いない、この世のものではない。

 狂喜乱舞したわたしは、ひたすらに奴らの肉を抉り取り、捌いていった。

 血塗れの喉の肉を、手拭いでさっとふき取り、携帯炊飯器の中で出番を待ち望んでいた酢飯とドッキングさせる。ああ! もちろんすりおろした直後のわさびも忘れない。

 完成した魚人寿司、その第一号を、わたしは口元に運んだ。

 周囲は「ゲー!」とか「アギャー!」とか「ドードー」とかうるさかったが、すぐにどうでもよくなった。

 咀嚼するたびに現れる芳醇な甘み。

 噛むたびにぷつんと切れる歯ごたえの良い肉質。

 なによりも、その奥深くに眠る『旨味』!

 わたしは、えもいわれぬ味を満喫した。

 押し寄せてくる魚人を殺して、殺しては調理し、握りにして喰らい、また殺して。


 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して――殺した。


 気が付いた時、わたしは岸壁に追いやられ、周囲をなまぐさい魚人どもに包囲されていた。

 一瞬、自分が何のためにこの場にいるのか理解できなかったが、すぐに正気に戻った。


 そう、わたしは――美味い寿司が食いたいのだ!


 わたしは、手近にいた魚人へと踊りかかる。

 すきっ腹が一杯になるまで、わたしはすべてを堪能すべく刺身包丁を振るい続けるのだった。



 §§



 ピンク色の甲殻類のような容姿をした紳士が、ひとりの熱心な研究者(これも大凡同じ姿だ)に話しかける。


「どうだね? うまくいっているかね?」


 彼の問いかけに、若者は、はい! と意気よく答えた。


「この星の住人が絶滅危惧種になった原因がようやくわかりました。最後の生存者――あの野蛮な獣の脳味噌を摘出しアナライズしたところ、どうやらこいつがほとんどの生物を食べつくしてしまったようです」

「それは、病気かなにかかね?」


 不思議そうに問う紳士に、若い研究員はやるせなさそうに首を振ってみせた。


「一番たちの悪い病気です。好奇心ですよ。この種は、好奇心で滅んだのです。しかも、文献によると、す、スー……シ=スーとかいう宇宙一の美味を巡っての殺し合いだったようです。それにしても大喰いです。同族すべてを喰らいつくしてしまうんですから。当時は大変だったでしょう、ワイドショーなんかで変質者が――」


 そこまで熱弁を振るった彼は、突如顔を真っ赤にして沈黙した。

 研究職特有の悪いくせだと、自分でも自覚があったからである。

 それを意にも介さず、なるほど、と。紳士は頷いてみせる。


「つまり、さしあたってこの生物群は、こう呼ぶべきなのかな……? シ=スーの」




 シ=スーの胃大なる種族――と。




 それが、その種の終わりの姿だった。

 カンヅメの中に浮かぶ脳みそが、その肉体の終点だった。

 だが、桃色の甲殻類に似た彼らはまだ知らない。

 その種族が、決して絶滅などしていないことを。

 遥か未来で――精神体となってまで、未知なる寿司を求め彷徨い続けていることを。


 そしていま、彼らの背後で、脳味噌がひとりでに動き出したことを。

 ――いまだ、彼らは知らないのだった。



「オア・イソ! オア・イソ!!」

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