『条件』
矢口晃
第1話
ある朝のことです。
一匹のかたつむりが、しとしとと雨のそぼふるお空を眺めながら、つぶやくようにこう言いました。
「ああ、背中のお家が重たいなあ。お家なんて、なかったらよかったのに」
かたつむりは、自分の背中にくっついた大きな殻が、重たくいのでとても嫌いでした。
そこへ、一匹のなめくじが通りかかりました。なめくじはやはりお空を眺めると、誰にも聞こえないくらいの小さな声でこう言いました。
「ああ、寒いなあ。かたつむりさんのように、僕にも背中にお家があったらよかったのに」
なめくじは、かたつむりのような大きな殻が、自分の背中にもくっついていたらよかったと思っていました。
そこで二人は、二人で神様のところへ、お願いに行きました。
「神様、どうか私の背中の大きな殻を取って下さい」
最初にかたつむりがそう言いました。
「神様、どうか私の背中に、丈夫な殻を付けて下さい」
続けてなめくじがそう言いました。
神様は、二人の話をにこにこと笑いながら静かに聞いていましたが、二人の話が終わると、
「よろしい」
と言って、持っていた木の杖でこつんと地面を一度叩きました。何かよい考えが浮かんだようです。
神様は、かたつむりとなめくじの顔を交互に眺めながら、威厳のある口調でこう言いました。
「それでは二人の体を入れ替えて進ぜよう」
それを聞くと、かたつむりとなめくじは嬉しそうにお辞儀をしながら、
「ありがとうございます」
と声を合わせてお礼を言いました。しかし、神様の話には続きがありました。
「ただし、条件が一つだけある」
「その条件とは、いったい何でしょうか」
そう聞き返したのは、かたつむりでした。
「私の背中にお家をもらえるなら、どんな条件でも私は我慢できます」
意気込んでそう言ったのは、なめくじです。神様はちょっと間をおいてから、また話し始めました。
「では、条件を言おう。これから二人の体をわしの力で入れ替えてやるが、入れ替わることができるのは、たったの一回だけじゃ。そのあと、もし後悔をして元に戻りたいと思っても、絶対に元には戻れないが、それでもよいか」
「もちろんですとも」
かたつむりは、大きな声で神様に答えました。
「後悔など、するものですか」
後に続くように、なめくじもそう言いました。
「よろしい。それでは、二人の体を入れ替えて進ぜよう」
そう言うと神様はなにやら口の中で呪文を唱え始めました。そしてしばらくすると、かたつむりとなめくじの体が、突然地面から湧き出た真っ白な煙で包まれてしまいました。二人は苦しそうにげほげほとせき込みました。
「こんこん。苦しいよう」
「げほげほ。煙たいよう」
その白い煙も、やがてきれいに消えてしまいました。するとどうでしょう。さっきまで殻のあったはずのかたつむりの背中からは大きな殻が消え、さっきまで何もなかったなめじの背中には、立派な殻がくっついていたのです。
あまりの嬉しさに、二人は手を取り合うようにして喜びました。
「わーい、これで、重たい思いをせずにどこにでも自由に移動できるぞ」
「わーい、これで、どんなに寒い日でもすぐに家の中に潜ることができるぞ」
神様はよろこぶ二人の様子を満足そうな表情で眺めていました。
「神様、私たちの願いを叶えて下さって、本当にありがとうございました」
「よいよい。礼などよいから、二人とも元気に暮らすのじゃぞ」
何度も繰り返しお礼を言ってから、殻のなくなったかたつむりと、殻のできたなめくじは、意気揚々と神様の前を後にしました。
それからしばらくの間、二人はとても幸せに暮らしました。かたつむりは、長年苦しんでいた背中の重たさから解放されて、すいすいと遠出もできるようになりました。なめくじはやっと丈夫な殻を手に入れて、いつでも安心して眠ることができるようになりました。
しかし、二人の幸せな暮らしも、そう長くは続きませんでした。殻のなくなったかたつむりは、しばらくすると、自分の背中に家のなくなったことがとても不便に感じるようになりました。とても暑い日など、殻のあった頃はすぐにその中に潜って休憩することができましたが、今は休憩するたびに暗いじめじめした場所を探さなくてはなりません。一方なめくじは、殻のない頃はどんなに歩いても疲れませんでしたが、重たい殻のついた今は、少し歩くだけですぐに肩がこって足も前へ進まなくなってしまいます。
二人は体が入れ替わってからひと月もしない内に、再び神様の前にやってきてこう言いました。
「神様、やはり私は背中に殻のあった頃の方がよくなりました。どうか以前の姿に戻して下さい」
かたつむりは困った表情でそう訴えました。
「神様、私もやはり殻のない以前の姿の方がなつかしくなりました。どうか私を、元の姿に戻して下さい」
なめくじは、悲しそうな声で神様に言いました。
神様は、二人の話を聞き終わると、厳しい口調で二人に向かってこう言いました。
「二人の願いは、叶えられぬ」
「えっ、それはなぜです」
二人は、声を合わせてそう叫びます。神様は前と変わらない厳しい口調で言いました。
「わしは前にお前たちにこう言ったはずだ。体が入れ替わった後、どんなに後悔しても、二度と元の体に戻ることはできないと。忘れたか?」
「いいえ、忘れてはおりません」
かたつむりは、声を張り上げて答えました。
「私も、忘れてはおりません。でも、神様の力なら、きっと私たちを元の体に戻すことができるはずです。今回だけはどうか、私たちの願いを聞き入れて下さい」
なめくじも、必死に頭を下げてお願いします。しかし神様は口をへの字に曲げたまま、一向に首を縦に振ろうとはしませんでした。そして最後には、あまりにしつこく懇願する二人を、大きな声でしかりつけました。
「できないと言ったら、できないのだ!」
神様の怒りに触れたかたつむりとなめくじは、慌てて神様の前から逃げ出しました。
さて、とうとう元の姿に戻ることができなかった二人は、それからというもの、毎日悲しくて涙が止まりませんでした。
「背中に殻のあった頃が、恋しいよう」
「背中に殻のなかった頃が、恋しいよう」
二人はこの日から、後悔をして来る日も来る日も泣き続けているのです。ですから、かたつむりとなめくじの通ったあとを見てみますと、二人の通ったあとは、いつでも必ず、涙でびっしょりと濡れているのです。
『条件』 矢口晃 @yaguti
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