ふわふわ王国の良い魔女と悪い魔女

カワシマ・カズヒロ

「良い魔女と悪い魔女」



ある時、ふわふわ王国の国王陛下が風邪をこじらせた。

熱は38度5分あった。

陛下は何時も通り仕事をしようとした。

勿論、そんなことを医者が許す筈もなく、陛下は美人の侍女達によって寝室のベッドに連れ戻された。


陛下は布団を目深に被った状態で物思いに耽った。

陛下は「自分はもうダメかも知れない」と思った。

そして陛下の思考は「自分が死んだらふわふわ王国はどうなるのだろうか」という未来の話にまで飛躍した。

陛下は一人息子の王子殿下を呼んだ。

「息子よ。私はもう長くないかも知れない。私の願いを聞いてくれ」

「父上。風邪くらいで大袈裟な。治りますよ」

「私は不安なのだ」

「……分かりました。私にできることなら何でも致しましょう」


王子殿下は優しい人物だったので陛下の我侭を聞くことにした。


「おお。聞いてくれるか。では、王国のはずれにある森に住んでいる良い魔女にこれからふわふわ王国がどうなるか聞いてきてくれ。森には悪い魔女もいる。そちらと出会わないように注意せよ」

「分かりました父上。では、早速その良い魔女のところへ行って参ります」


殿下は愛馬に跨って城を出た。

殿下が城を出ると城下町に住む殿下のファンが大騒ぎを始めた。

殿下は今は亡き女王陛下に似て容姿性格共に恵まれており、しかも文武両道だった。

人気が出ない筈がない。

殿下は人目を避けて馬を走らせたが、何時の間にか熱気を帯びた群衆に取り囲まれていた。


「殿下! 手を握っていただいても構いませんか!?」

「殿下! どうか息子の頭を撫でてやってください!」

「私の店で作った菓子です! 良ければ召し上がってください! 殿下!」


殿下は人が良いので可能な限りファンの要望に応えた。

ファンは手を握って貰ったり息子の頭を撫でて貰ったり菓子の試食をして貰ったりした。

おかげで小一時間のロスが生じた。

しかし殿下は愚痴一つ零さなかった。

殿下は臣民に見送られながら魔女の森に向かった。


魔女の森は昼間でも薄暗い不気味な場所だった。

殿下は森の中で如何にも魔女が住んでいそうな藁葺き屋根の小さな家を見つけた。

家からは何とも言えない良い匂いがした。


殿下と殿下の馬は良い臭いに吸い寄せられた。

殿下が家の戸口を叩く。


「私はふわふわ王国の第一王子だ。この森に良い魔女がいると聞いて来たのだが、あなたがそうだろうか?」


すると戸口がパタンと開き、中から1人の魔女が出て来た。


「はい。私が良い方の魔女ですが」


魔女は妖艶な美女で殿下はドキドキした。

魔女は黒を基調とした、ところどころ肌が透けて見える衣装を身に纏っていた。

殿下は何だか取って食われそうな気がして魔女から一歩後退りした。


「実は、父上が将来のことを知りたがっているのだ。勿論、父上は自分の寿命が知りたいとかそういう小さいことは考えていらっしゃらない。父上はふわふわ王国の行く末を憂えていらっしゃるのだ。だからもし可能であるならばふわふわ王国の行く末について教えては貰えないだろうか」


魔女は黒い手袋をはめた左手の人差し指を唇の下に置き、目を瞑って少しの間思案した。

殿下は魔女の返答を待った。

しばらくして魔女は軽く頷き、微笑んだ。


「分かりました。ふわふわ王国の行く末についてお教えしましょう。報酬はいりません」

「ありがたい。では早速ふわふわ王国がどうなるのか教えてくれ」


殿下は傾聴する姿勢を取った。

妖艶な魔女は王子殿下にこう言った。


「これはかなり先の未来のことなのですが、ふわふわ王国は海の下に沈むことになるでしょう」


殿下は信じられないという様な顔をした。

魔女は殿下の顔を見てこう言った。


「「信じられない」という様な顔をされていますね。では実際に未来を見に行ってみますか?」

「そんなことができるのか?」

「ええ」


魔女は殿下を家の中に招き入れた。

魔女の家には普通の家には置いていない様な物が大量に置かれていた。


ヒビの入ったドクロ。紫色の水晶玉。羊皮紙製の古い本の数々。バスケットに入れられた鶏の足3本。金色の何だかよく分からない機械。ワインの瓶。フラスコ。キノコ。干乾びたトカゲの死体。ビデオ・テープ。その他色々。


「では少し目を瞑っていただけますか? 殿下」

「分かった」


殿下は言われた通りにした。

すると何やら、殿下が目を瞑る前に魔女がいた辺りで衣の擦れる様な音がした。

それは魔女が身に纏っていた服を脱ぐ音だった。

殿下は目を瞑ったまま魔女に聞いた。


「あなたは今一体何を?」

「着替えです。もう次の衣装に着替えましたから目を開けてくださっても結構ですよ」


殿下が目を開けると目の前には水着に着替えた魔女がいた。

殿下は魔女の胸から目を逸らしながら未来へ行く方法を尋ねた。

妖艶な魔女は殿下に背を向け、部屋の隅に立てかけられていた箒を手に取った。


「これを使います」


魔女は箒を掲げて何やら呪文を唱えた。

すると窓の外が急に暗くなった。

そして凄まじい雨音が聞こえ始めた。

魔女は箒の柄に跨った。


「殿下も私の後ろの「席」に跨ってください。早く」


殿下はうろたえた。

魔女は「席」を右手の指先で軽く2回叩いた。

殿下は遠慮がちに箒の柄に跨った。


次の瞬間、殿下の視界が一変した。


殿下と魔女は空の上にいた。

殿下の股が箒の柄に食い込む。

殿下は歯を食い縛って痛みに耐えた。


妖艶な魔女は風になびく銀色の髪を押さえながら殿下に説明した。


「ここが未来のふわふわ王国です」


殿下は地上を見下ろした。

地上は存在しなかった。

周りは一面「海」だった。

殿下はうっかり身体の一部が魔女の肌と接触しない様に気を配りつつ言った。


「ふわふわ王国には海は無い。これは一体どういうことなんだ?」


魔女は魅惑的な上半身を捩って殿下の方を向いた。

魔女は言った。


「先程言った通りです。ふわふわ王国は海の下に沈んでいます」

「……本当に?」

「本当ですよ」


魔女は箒の柄を持ち上げた。

すると箒は凄まじい勢いで加速した。

加速は魔女が箒の柄の位置を水平にするまで続いた。


「一体この箒はどこに向かっているんだ?」

「国王陛下の城です」

「おお……!」

「しかし中々見当たりませんね。もし城が残っているとすればこの辺りの筈なのですが……」


魔女と殿下は城を探した。

30分の捜索の後、城は見つかった。

ただし城は土台から尖塔に至るまで全て海に浸かっていた。

殿下はとうとう観念した。

王子殿下の心の内にショックがじわじわと広がって行く。


「王国で最も高い場所にある国王の城でもこの有様か……」

「慰めになるかどうか分かりませんが、ふわふわ王国はとても高いところにありますから、海の下に沈むのは他の王国よりずっと後のことですよ」


最早魔女のことを気にする余裕も無い。

殿下は箒の柄の上で魔女に詰め寄った。


「ふわふわ王国が海に沈むことは絶対に避けられないことなのだろうか?」

「避けられません」

「ふむ。そうか……分かった。では元の場所に戻ろう。ありがとう、魔女よ。私には民のためにやらねばならないことが出来た」

「戦争ですか?」

「いや、戦争ではない」


殿下は挨拶もそこそこに大急ぎで国王陛下の城に戻った。

城に戻った殿下は目的を明らかにせず臣下に命じて城の庭に大工を集めさせた。

その様子を自室の窓から見ていた国王陛下は殿下を寝室に呼んだ。


「息子よ。急に大工をあんなに呼んで一体何を作っているのだ?」


殿下は答える前にまず人払いをした。

2人の侍女が部屋から追い出された。

また、部屋の窓も閉め切られた。

そこまでやってようやく殿下は陛下の質問に答えた。


「もしもの時のために舟を作っているところです」

「舟だと?」


陛下は首を傾げた。

ふわふわ王国には海も無ければ幅の広い川も無かった。

陛下は息子の頭の心配をした。

殿下は誤解を解くために魔女から聞いた話を陛下に伝えた。


「それは一大事だ。金に糸目は付けず、なるだけ多くなるだけ大きな舟を作れ、1人でも多くの民を乗せられるように」

「勿論。そのつもりです。それから父上、このことは我々の間だけの秘密にしておきましょう。もし民がこのことを知ればきっと不安になるに違いありません」

「うむ。そうしよう」


2人はふわふわ王国がいつか海の下に沈むことを秘密にしておくことにした。

ところが国王陛下はとても口の軽い人物だったので、秘密について口を噤んでいられるようになるまでに計7回も侍女達に秘密を喋ってしまった。

陛下はその度に彼女達に対し「このことは誰にも喋ってはならない」と釘を刺したが、勿論誰一人として約束を守った者はいなかった。

そしてそれから3日後にはふわふわ王国沈没は民全員の知るところとなった。

パニックになった民が舟に乗る権利を求めて国王陛下の城に押し寄せた。


民の中には武器で武装した者もいた。


「国王陛下ァ! これは一体どういうことでしょうかァァァ!?」

「国王陛下ァ! 王国が海に沈むという話は本当でしょうかァァァ!?」

「舟があるという話を聞きましたぞー!!」


また城の者にも不穏な動きを見せる者が少なからずいた。

殿下は悪人面の大臣が近衛兵相手に何やら密談をしているのを目撃した。

その話を聞いて国王陛下は枕を頭に被って現実から逃避した。

枕を頭に被ったまま陛下は言った。

「息子よ。この状況、どうしたものだろうか」

「毅然とした態度で王国が沈むのはずっと先のことだと説明するしかないでしょう」


2人がどうやって事態を収拾するか相談していると、女性の澄んだ声が話に割って入った。


「お困りの様ですね」


2人が振り向くと、そこには清楚な魔女がいた。

清楚な魔女は自己紹介をした。


「私は森に住む良い魔女です」


王子殿下は訝った。

清楚な魔女は前に会った良い魔女より大分貧相な体型だった。


「そんな筈はない。私は良い魔女に会ったことがある。だからあなたは良い魔女とは別の誰かの筈だ」


清楚な魔女は目を閉じ、溜息を吐いた。


「彼女はいつも自分のことを良い魔女で、私のことを悪い魔女だと言うのです。本当は私の方が良い魔女なのに」

「何と言うことだ……私は騙されていたのか……」


殿下は深く項垂れた。


「ということは、ふわふわ王国がいつか海の下に沈むという話も嘘だったのだろうか?」


清楚な魔女は首を振った。


「いいえ。その点に関しては事実です。しかし今のあなた達に教えて益になる情報では無かった。何でもかんでも他人の願いごとを聞き過ぎてしまうのがあの女の悪いところです」

「これから我々はどうすれば良いのでしょうか?」

「舟の前に全国民を集めてください。後は私が何とかしましょう」

「ありがたい。良い魔女、あなたから受けた御恩は決して忘れません。後で必ずやお礼をさせていただきます」


そう言って王子殿下はまず城門の上に移動し、ヒートアップした群衆をなだめた。


「諸君、君達の気持ちは痛い程よく分かる。私も君達と同じ立場なら同じことをしただろう。だが落ち着いて欲しい。場の雰囲気が落ち着いたと判断できる状態になったら、諸君らを城の中に入れる。ふわふわ王国第一王子の名に賭けて約束しよう」

「私達全員舟に乗れるのでしょうか!?」


城の庭に置かれた舟に乗れるのは今のところせいぜい200人、城門に集まった人々の50分の1も収容できそうになかった。

殿下は慎重に言葉を選んだ。


「確かに普通の方法ではこの場にいる全員が舟に乗ることは難しい。だが良い魔女が我々のことを助けてくれるそうだ。だから安心して城の中に入ってくれ」


そして馬で国中を周り、城の庭に集まるように言って回った。

全てのふわふわ王国の民がその指示に従った。

殿下の人望の成せる業である。

舟の前にふわふわ王国に住む老若男女あらゆる種類の人々が集まった。

清楚な魔女はその様子を舟の屋根の上から眺めていた。

良い魔女は舟の周りに人が集まり切ったことを確認してから、人々に向けて魔法の箒を掲げた。


すると空が一瞬にして暗雲に覆われ、雷鳴が轟き、凄まじい大雨が降り始めた。

いよいよ王国が沈む時が来たかと人々は右往左往した。

大雨で服の濡れた良い魔女が誰にともなく命令した。


「未来のことは忘れなさい」


すると雨は嘘の様に止み、暗雲も瞬く間に消え去った。

その頃には魔女を除く全員が将来ふわふわ王国が海の下に没することを忘れていた。

国王陛下が首を傾げる。


「はて? この舟は何だろう?」


殿下も王家に仕える家来達も群衆も皆一様に首を傾げた。

魔女はその様子を尻目に箒に跨って魔女の森へと飛び去った。




清楚な魔女は森にある藁葺き屋根の小さな家の前に降り立った。

そして清楚な魔女は家の戸口を開けた。

家の中では妖艶な魔女が分厚い魔導書を読んでいた。

妖艶な魔女が清楚な魔女に言った。


「あら、あなた凄く濡れてるわね。早く服を着替えないと風邪を引くわよ」


清楚な魔女は恨みがましい目つきで妖艶な魔女に言い返した。


「悪い魔女、あなたの尻拭いをしたせいです」

「悪い魔女はあなたの方じゃないの?」

「人聞きの悪い。一体何を根拠にそんなことを?」

「群衆を扇動したのはあなたでしょう?」

「国民全員の未来への不安を取り除くためにはああして一箇所に集まって貰った方が確実だったからです」

「あっそう」


それで2人の魔女の会話は打ち切りになった。




ふわふわ王国のはずれにある森には良い魔女と悪い魔女が住んでいる。






「ふわふわ王国の良い魔女と悪い魔女」終わり

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