Chapter9
『 神田 文香 0 』
音は、なかった。
ただ、その初めて出会う感触に、指先、そして体全体が虜になっていくのを感じた。
凶器は、かすかに抵抗を感じさせながらも、静かにその肉体に沈んでいく。
するとそこから水風船に穴が開いたように、赤い液体が吹き出し、自分の体を赤く染め上げる。
控えめに言って、——最高に気持ちが良かった。
何度も、何度も、抜いては刺し、確実に“それ”の生命活動を停止させる。
この日本という国では、疑いようもなくほとんどの人間が体験したことのない貴重な体験。
それを今、自分は経験しているのだ。
それから、何分たっただろうか。
しばらく後、立ち上がり、その「人間であったもの」を、見下ろす。
はたして、そこに殺意はあったのだろうか。
自分は、この人間に恨みはあったのだろうか。
…………おそらく答えは、否だ。
そんなくだらないものなど、自分の中にはなかった。
あるのはただ、この不特定な世界に対する疑問だけだった。
……ああ、ごめんごめん。そろそろ自己紹介をしておこうか。
名前は秘密で、性別も秘密で、年も秘密で、ましてや身長も体重も秘密で、性癖も好きなAV女優も秘密だ。最後のは正直、具体的な名前が出てこないだけだ。というかそもそも私は女だから普通に好きなAV女優なんかいない。
ごめんごめん、君をからかっているつもりはなかったんだ。
……でも、これが精一杯だった。
ほら、ちゃんと君は、全部を知ることになったでしょう?
大事だったのは、私が殺人鬼であることを君に知ってもらうことと、
そして、未だに誰もこの世界の本当の形を知らないってことだ。
————形がわからなきゃ、それを撫でることだって、当然できない。
だから、こんな形でしか、愛を伝えられない。
私が、お母さんにもらったのは、これだけだったから。
さて、……そろそろ行くね。
バイバイ。
○月×日 午後18時頃、〇〇市〇〇区の住宅街の路地で男女3人の遺体が発見された。第一発見者は現場に通りかかった主婦で家に帰る途中3人が路地の真ん中で血を流して倒れているのを発見した。それぞれ遺体に何度も刃物を突き刺した形跡があり、女性の遺体の胸には凶器と思われるカッターナイフが突き刺さっていた。警察は3人の身元を確認するとともに、一ヶ月前に同じ住宅街で発生した住宅街婦女殺人事件との関連を調べている。
ハッピーエンドは殺されていく。 唯希 響 - yuiki kyou - @yuiki_kyou
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