Chapter8

『 神田 文香 4 』






「それが、オマエの言う、世界の本当の形? 笑わせないでよ、……賽秋さいしゅう




 突然、その第三者の言葉が響く。


 私は、この声は知っている。

 振り返ると、いつも通りの姿でそいつは立っていた。

 大きな黒縁メガネ、子供のように無邪気な笑顔、生まれてから一度も染めたことがないような混じり気のない黒髪。

「敦……」

 太宰敦が、そこには立っていた。でも一番驚いたのは、敦に対しての来栖の反応だった。

「…………にいさん」

「……は?」

 いま、この人は、なんて言った? 兄さんだって?

 来栖賽秋が私と同い年ということは、この中学生にしか見えないこいつは、私より年上ということになる。というか、全く似てない。

「ごめんなさい、文香アヤカさん、僕の弟が適当なことばかりいっちゃって」

 あくまで、いつもと同じテンションで私に語りかけてくる。

「え……? え?」

「お前は……何しに来たんだ……」

 困惑する私の横で来栖が、敵意をむき出しにして敦を睨みつける。

「あれれー、おかしいぞー? なんか歓迎されてないみたい。せっかく、弟の間違いを正しに来てあげたのに」

「……間違い……?」

「ドヤ顔で語っちゃって、まだ厨二病を卒業できていないのかな、ね、文香あやかさん?」

「え…………」

「あなたはなんで犯人を殺そうとしたの? なんで警察に突き出さずに自らの手で殺したかったの? ……賽秋、オマエにはその理由がわかるの?」

「…………」

「まあ、それがわかってれば、馬鹿みたいな自己犠牲をするはずがないから、聞くだけ無駄だってわかるんだけどね」

「……何が言いたい……」

「それは、僕より、そこにいる文香アヤカさんに聞いたほうが早いじゃないかな?」

「…………」

「ねえ、なんであなたは、その、来栖賽秋を殺さなければいけなかったの?」

「…………………………敵討ちがとりたかった……から…………」

「……自分の手で殺めないと何か、困ることがあったんじゃないですか?」

「…………」

「おい! デタラメばっか言うのはやめろ!!」

「おー、賽秋が大声を出すなんて何年ぶりにきいたかな、……でも何もわかっていない道化は黙っていてね」

 そういうと敦は素早い動きで私が持っていたカッターナイフを奪い取り、……そのまま、……来栖の、身体に……、突き刺した。

「シュウ!!」

 私だけに聞こえる文香フミカちゃんの悲痛な叫びが響く。

「がぁッ……!」

 その場で倒れてしまう来栖。私は動けない。

「おい、文香アヤカ、どういうことだ、これ!」

 文香フミカちゃんの質問に、私は答えられない。

「ああ、ちゃんとトドメはさしていないので安心してください。あなたがきちんと殺せるように、……そういう約束でしたよね? それと、報酬はあなたの、笑顔だということも」

「……や、やめて……私は、こんなの望んで……」

「あなたは、望みましたよ、きちんと」

「……やめて……」

「あなたの、安心した笑顔を見せてくださいよ」

「…………やめ」

「自分が」

「やめてっっッ!!!!」




「自分だけが救われるためには、賽秋を殺すしかなかったのでしょう」




「…………」



 ……………………。



「ね、文香アヤカさん? それだけが、あなたの笑える未来への道だった」



 …………………………………………。



「どう、……いういみだ……」

 来栖賽秋が、弱々しく起き上がる。

「賽秋、本当にオマエは、この人が、気付いてないと思っていたのかい?」

「な、に……?」

「ねえ、文香アヤカさん、僕がした神田遼子が殺されて得した人間はいますか、という質問、本当は心当たりがあるんですよね」

「…………」

「……まあ、答えなくてもいいですけどね、コナン・ドイルがいなくても、脚本家さえいれば21世紀のホームズは新たに作られたトリックを解いてくれます」

「…………」

「さて、まず、虐待を代わりに受けていたとしても、それは同じ身体なのに、なんで肩代わりしてあげている。なんて思えるのでしょうね? 殴られ、蹴られ、虐げられても、身体はすぐには痛みは引かない。傷も残る。それが大きいものであればあるほどに。それなのになぜ、そんな無意味な行為を自己犠牲なんて呼ぶ事ができるでしょうね」

「……そ、んな、こと……、なあ、文香アヤカ、気付いてない…………な?」

「…………」

 文香フミカちゃんは、問う。私は、答えない。

「目覚めて、虐待の記憶はないのに身体が傷付いている。そして、自分の中に夜だけ活動できる自分を大切に想ってくれる、もう一つの人格。少し考えれば分かる事、ですよね?」

「…………」

「でもそれでも自分が直接虐げられる事に比べれば、何倍もマシだった。悪意の矛先が向いてるその瞬間は眠っていられるのですから。そして、その事実を隠そうとするもう1人の人格がいて、だからあなたは、気づかないふりをするよう決めた。そうすることで、とりあえず虐待は受けずに済む」


 …………。


「…………しかし、母親は殺された。さあ、ハッピーエンド。……と言いたいところですが、文香アヤカさんにとって、それが"一番の誤算"だった」




 ……そう、それこそが、一番の、間違い。




「母親が殺されて、本当に一切の虐待がなくなった日々、それはおそらく文香アヤカさんにとって、何か大事なものが欠落したものだと感じたのでしょう。殴られたその瞬間の記憶がなかったとしても、虐待を受けていたのは紛れもなく、文香アヤカさんの身体です。今まで当たり前にあったこと、それが突然途絶えてしまう。たとえ虐待だったとしても、当たり前の毎日として過ごしてきてしまった文香アヤカさんは、虐待がなくなった日々を、どうしても受け入れる事ができなかった。唯一の弊害である、直接的な痛みは、他人に押し付けていたのに、あなたは喪失感を感じた。大切な何かを奪われたと感じた。……もっと、欲しかったと、感じてしまった」

「なんだよ……それ……」


 ………………。


「だから、あなたは憂さ晴らしがしたかった。敵討ちでも、正義感でもなんでもなく、喪失感のはけ口として、人を傷つけたかった。ただ自分にあいた穴を埋めるために。そして、もしバレても、世間からは母親が殺された恨みで犯行したと思われる。まあ、罪には囚われるでしょうけど、世間からは同情される、悲劇のヒロインとしては、結構なものですよね」

「なあ……文香アヤカ……なんとか言ってくれよ……、否定してくれよ……」


 ………………。


「だからあなたは、必死で犯人を探した。探して、自らの手で殺し、欲望の穴を埋めるために」

「…………」



「世界の本当の形の答え合わせは以上です。さて、だれか質問がある人はいますか」



 ……誰も、何も言おうとはしない。



「さあ、約束ですよ」

 敦、……いやもうどうせ偽名である事は分かっているんだけど、一応ね。敦はそういうと、私にさっきのカッターナイフを返してきた。

 来栖のものである血液が、べったりと付着している。それはとても綺麗な赤だった。どんなものよりも綺麗で、私は、それをもっと見てみたいと思った。

「今は5時ちょっと過ぎなので、あなたの身体の所有権が文香フミカさんに移るまで1時間です。それまでに、済ませてくださいね」



私は今、どんな顔をしているのだろうか。



「……僕に、とびっきりの笑顔を僕に見せてください。狂気に満ちたあなたの、ただ純粋な笑顔を」




























私は、少しだけカッターの刃を伸ばした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る