Chapter7

『 瀬戸 文香 3 』




 18時。その時間を境に12時間、つまり朝の6時まで、あたしとあの子は入れかわる。




■ ■ ■



 母親はあたしを痛めつけると、そのまま眠ってしまう。その後に家を出て徘徊するのがいつものあたしの行動パターンだった。

 理由はよくわからない、母親と一緒にいたくなかったのかもしれないし、昼間自由に動けない分動き回りたかったからかもしれない。まあ、多分なんとなくなんだけど。

 そんな時に出会ったのが彼、来栖賽秋、シュウだった。

『あ、文香アヤカだ』

 シュウは、最初あたしの姿を見て、幼馴染の神田文香アヤカなのだと思っていた。信じてもらえないだろうし、説明するのも面倒だったから最初はあたしも文香アヤカとしてシュウと接していたが、ある日、シュウがこんなことを言い出した。

『ねえ、文香アヤカは、本当に文香アヤカなの?』

 あたしは、目を丸くして驚いた。まだその頃は、シュウも中学生だったから、まさか見破られるとは思っていなかった。

『え……、え、どういうこと?』

『なんか、文香アヤカ文香アヤカじゃない気がして』

 あたしは彼に自分が神田文香アヤカの二重人格のもう1人の人格だということを話した。信じてもらえるはずがないと思っていたのだが、シュウは簡単にそれを受け入れた。



『……じゃあ、君の名前は、なんていうの?』



 そうなってしまった理由も聞かず、未知の存在への軽蔑もせず、特別に扱うこともせず、全てをすっ飛ばして、まるで、ただ、普通の1人の人間に初めて出会った時のように、彼は、あたしに名前をきいた。



 その瞬間、本当の意味で、あたしはこの世界に生まれたのだと、そう思った。



 ただの、暴力から逃れるための防空壕のような、実像のない存在のあたしを、ただ1人の人間として初めて扱ってくれた彼に、あたしはいつのまにか恋をしてしまったのだ。

文香フミカ……、瀬戸、文香フミカって、呼ばれてる』

『そっか、これからよろしくね、文香フミカ


 次の日からの虐待は、心なしか、痛みが少なくなったような気がした。







 

『そんな、……そんなの君がやらなきゃいけないことじゃないじゃないか!!』

 シュウに、本当のことを全部、つまり虐待を神田文香アヤカの代わりに受けていることを伝えたのは中学を卒業した頃だった。

『……でも、あたしにしかできないから。それに、あの子は何も、悪くない』

『でも……』

 あの子以外に、あたしをあたしとして認識してくれるのは、世界でただ1人シュウだけだった。

『あたしは、アンタがそれを知っていてくれれば、それだけで……』

『だめだよ、そんなのダメだ……そんなの、美しくない』


 そいつは成長をして、かなり捻くれてしまったけど、でもずっとずっと、優しかった。あたしのために、そして、あの子のために、自分が罪をかぶってしまうほどに。




 その計画を初めてきいた時、そりゃもう全身全霊で反対をした。

『何も、そんな自分を犠牲にしなくても!!』

『そうかもしれないね。…………でも、その台詞、君にだけは言われたくないかな?』

『そ……それは…………』

 ……そんなことを言われたら、何も言えないじゃんか。卑怯だ。

『だから、僕に任せて、きっと悪いようにはしないよ』

 薄気味悪い、でもあたしが一番好きな笑顔で、彼はこういった。

『きっと、君たちを救ってみせる』

『シュウ……』


『僕は、こんな形でしか、君に『愛』を伝えられないから』




■ ■ ■






文香フミカ…………文香フミカ……」

 あたしの一番大事な親友が、その事実に怯えている。

 突きつけられる現実は、ただの1人の女の子には大きすぎるものだっただろう。

 後悔してもしきれないかもしれない、文香アヤカはあたし自身だ。それでも別の人格であるあたしには、それを想像してあげることしかできない。

文香アヤカ……、アイツの言った事は本当だ……でも、聞いてくれ、あたしが勝手にやったことで、あんたは悪くないんだよ」

 あたしは彼女の体の中から、意識を通して直接伝える。

文香フミカ……、ごめん、なさい、ごめんなさい」

 最初からあんたを恨んでなんかいないんだ。あんたが、可愛くて、守ってあげたくて、だから、だから……。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「いいんだ、全部、全部終わったんだ……」


 文香アヤカが傷付いている。その時にもしもあたしに身体があれば、彼女を抱きしめることだってできたのに、2人がひとつではなく、ふたつであったのなら、あたしが母親を殺してあげることもできたのに。

 でも、それは許されなかった。だから、身体がない自分にしかできないことをしただけなんだ。


 このあたしだけの、大事な友達には、笑っていて、欲しかったんだ。



 この世界では誰だって、自分が可愛いんだ。他人を大切にするのにだって、限界がある。だからこそ、あたしはあたしアヤカを守り続けた。全部自分のためで、これは、自己犠牲なんて、綺麗なものじゃない。あたしは、そんな綺麗な存在なんかじゃない




「……さあ、母親を殺された事実は、変わらない訳だけど、キミは、僕をどうするのかな?」

 シュウが口を開いたと思ったら、文香アヤカに向かって、そんなことを言い始める。何を馬鹿なことを言っているんだ。挑発して殺される気か。そんなの、まるで自殺じゃないか。

「さて、早くしないと、身体の主導権を瀬戸文香フミカに取られてしまうよ?」

「………………殺さないよ、…………殺せる訳ないじゃん。文香フミカを助けてくれたのは、君なんだから……」

「…………そうか、命拾いしたな。……じゃあ、お言葉に甘えて僕はもう行くよ」

「……これから、どうするの」

 立ち去ろうとするシュウに文香アヤカが問いかける。


「さあ、まあろくな暮らしはできないだろうね、殺人鬼な訳だし」


 彼はそんなことをいいながら笑う。それはいつものニヤけ顏じゃなくて、ただの純粋な、多分あたしたちを安心させるための、そんな笑顔だった。






























 この話が、ここで終われば、どれだけ、良かったのだろう。

 でも、あたしたちの人生は簡単に平穏になることはなく、ハッピーエンドは殺されていく。

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