Chapter6

『 神田 アヤカ 3 』




 事件から一ヶ月が過ぎようとしていた。

 犯人の手がかりも一切なく、私は普通に大学へ行って帰ってきて、いつもとかわらない生活を続けていた。


 でも、そんな日常が続いても物語は、前触れもなく終わる。


 その日も、私はいつものように大学からの帰宅路を辿っていた。

 夕焼けが、私の影を長く伸ばしていて、その影を眺めながら歩いていると、その影が誰かに踏まれた。

 顔を上げるとそこには、馬鹿みたいに大きなフード付きパーカーを着た、多分……男が、突然私の前に立ち塞がっていた。

「…………」

 深く被ったフードからニタァ、と笑う口元だけが見えた。

「………………誰?」

「……まあ、一応。初めまして、と言っておこうかな」

 そういうとそいつは、その黒いフードを脱ぎ、素顔を露わにした。

「…………」

 そいつの顔には、見覚えがあった。


「話すのは、小学校以来になるのかな、……神田アヤカさん」

 そいつは、幼稚園から、今の大学まで、ずっと一緒だった幼馴染だ。でも、母親が離婚してから、もっというと母親の虐待が始まってから私はフミカ以外の人とは話さなくなってしまったから、交流があったとは言い難い。

「一応、覚えづらい名前だから自己紹介をしておこうか、僕の名前は来栖 賽秋くるす さいしゅう。そうだな、シュウくんとでも呼んでくれればいいよ」

「…………わ、私になんの用……なの……」

「うーん。まあ、多分薄々わかっているとは思うけど、僕のこの物語での役職は悪役。つまり、君のお母さんを殺したはんに——」


 その言葉を聞いた瞬間、私はポケットに入っていたカッターを取り出しそいつに飛びつき突き立てようとした。


「……あぶないあぶない、その物騒なものはとりあえずしまってもらおうか。実に用意周到だけど、でもキミがそれを持ち歩いている事を知っている人間には通じないよ」

 しかし、私の狙いは外れ、来栖はその一撃を避けた。

「お前は……、お前はぁ!!! なんでお母さんを!!!!!」

「別に、僕は君に殺されること自体、吝かではないんだ。ただ、その前に一つだけ、答え合わせをしようじゃないか」

「……答え、合わせ……?」

「そう、商品は、温泉旅行でも、世界一周クルージングでも、なんならたわしでもなんでもいいけど、問題は、キミの世界の本当の形についてだ」

「世界の……形……?」

「そう、この世界に生きている人は、みな虚像を見て、それが実像だと思い込んで過ごしているんだ。例えば正義と悪は、多数派と少数派でしかない、しかし、人間はそれに気づこうとしない。人はみな平等に生きていると思い込んでいるが、そんなこと少し考えれば嘘だと気づく。そして、」


 そして、来栖は、こう続けた。


「——自分の母親を殺されることが、不幸だと思い込んだり、ね? ……さて、それは一体、何故でしょうか」


 なんなんだこいつは、知ったような口をきいて……。母親が死ぬのが幸福だって? そんなの……、そんなことは、

「確かに、私は虐待されていたかもしれない……! けどそれはもう過去のことで、私は、お母さんとやり直せるなら、それでよかった!! 過去のことを、いつまでも引き摺ってなんかいられない! 私はお母さんをこれから好きになっていければ良かったの!」




「…………ああ、素晴らしい回答だね。でも不正解。……本当に、そう思うかい?」





 来栖は、不気味に笑って、続けた。

















「————まだ、虐待は続いていたのに?」

 



 




















 

『 来栖 賽秋 1 』




 彼女は、言っている意味が理解できていないというような顔で、僕を見つめている。


 ……そう、神田遼子の虐待は終わることなどなく、続いていたのだ。だけど、じゃあ、何故彼女はそれを認識していないのか、それを紐解いていこう。


「……なにそれ……、わ、私は虐待なんかされてない!!」

「……そうだね、キミは、されていないかもね、でも、キミ以外にも虐待されるおそれがある子が、いるんじゃないかい? 神田アヤカさん」


 いや……、神田、文 香アヤカさん?


「…………それ、って……」

「よく考えれば分かることだろう?」


 解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがい


 馴染みがある言葉で言うなら多重人格障害。

 彼女、神田文香アヤカはそれに該当する。


 別の人格というのは生まれてくる過程で、何かしらのきっかけがあることが多い。

 彼女の場合はそれが、虐待であった。

 幼かった彼女はその耐えきれない苦痛から人格を切り離し、忘却することによって逃れた。しかし、不幸だったのはその切り離した人格が成長し自我を持つようになってしまったことだ。


 それが通称、瀬戸 文 香フミカだった。


 神田文香アヤカの人格が活動するのは主に朝から夕方にかけて、虐待が行われていた時間、具体的には夜、瀬戸文香フミカはその身体に宿り、神田文香アヤカの代わりに虐待を受けた。

 あろうことか自分勝手に生み出された瀬戸文香フミカは、それでも親友である神田文香アヤカをかばい続けたのだ。


「キミは、たったひとりの親友に痛みを押し付け、それでのうのうとくらしていたわけだ」


「そ……、そんな、そんな、はず……」


 神田文香アヤカは、驚き慄いている。神田文香アヤカが目覚めている時に限り、瀬戸文香フミカは意識として存在できるが、逆に瀬戸文香フミカが身体の使用権を得ている時はそれができない。それは彼女にそれを悟られないよう瀬戸文香フミカによって仕組まれたことだった。

「まぎれもない事実だよ、それ知らずに今まで君は、母親とやり直そうなんて考えていたわけさ」

「う……そだ」

「君のお友達に聞いてみたらどうだい? 起きてるんだろう? 瀬戸文香フミカさん」





「うそだ…………。うそだうそだうそだうそだうそだうそだ……」



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