Chapter5

『 神田 アヤカ 2 』




 お母さんを亡くしてからあの日以降、私の毎日には、色がなくなったようだった。そのせいかやけに時間が過ぎるのが早い気がする。気がつけば学校にいて、気がつけば授業が終わって、気がつけば帰りの電車の中にいた。

 そんな毎日に、『異色』が現れたのは、学校帰り、またしても駐輪場へ向かって歩いている途中だった。



「あ、あの……っ!」


 私の背後で響いたその声。幼い、少年のような声だった。

「あの! お姉さん!」

 必死に誰かを呼び止めるその声には、あどけなさを感じ、誰だこんな律儀な声を無視するお姉さんは、と思っていたのだが、次の瞬間、肩を叩かれた。

「——は?」

 振り返るとそこには、大きな黒縁メガネをかけた中学生ぐらいの少年が立っていた。

「よかった、やっと気づいてくれた」

「…………え?」

「どうかしました?」

「……私?」

「はい!」

 断じていう、見覚えなどなかった。…………強いて言うなら。

「…………もしかして君、体が縮んで子供になっちゃう薬とか飲んでる?」

「あはは、それ、よく言われます。でも飲んでないですよ、もともと僕は僕です」

 その江戸川くんは無邪気に笑いながらそんなことをいう。

「ああ、すみません! 申し遅れました。僕は太宰敦だざい あつしっていいます。こんななりですけど、探偵をやっています」

「……本当に薬飲んでないの……?」

 ……どうしよう、明らかに偽名だ。しかも偽名の作り方もまんま江戸川コ○ンだ……。気付かないふりしたほうがいいのかな……。

「で、そのコナ……、じゃなくて太宰く……、さんは私になんの用なの?」

「ちょっとバカにしてませんか……? まあ、いいか。……単刀直入に言います」

 一気に真面目な顔になり、江戸川くんは続ける。






「——犯人、捕まえたくないですか?」






 時が止まったのかと思った。


「…………え?」

「先月の住宅街婦女殺人事件についてです。お姉さん、神田アヤカさんは、被害者、神田遼子の娘、そうですよね?」

「……そ、そうだけど」

「そして、犯人を追っている」

「…………」



 なんなんだこの子は。私はその場に立ち尽くすことしかできない。

 犯人を捜してることなんてフミカにしか話してないし、っていうかフミカ以外の人とまともな会話なんかしてないから誰かが知っているわけがない。



「僕にも、協力させてもらえませんか?」



「…………え?」

 見た目は中学生ぐらいにしか見えないのに、その目にはまるで全世界を見てきたかのように迷いのない、強い眼差しだった。

「えっと……、」

 どう応答するのが正しいのか全くわからなかった。

「もし、僕が必要ないというなら、それでも構いません」

 太宰敦が一瞬笑ったように見えた。

「しかし、そうなっても僕は必ず犯人を特定し、そして……警察に突き出しますよ?」

「そ、それはダメっ!!!!」

 それだけは、ダメだ。警察なんかに渡したら私が手を下せなくなる。

「……信用できないのはわかりますが、僕を味方につけても損はないと思いますよ? あなたには危険が及ばないように、そして、最終的に犯人をあなたの目の前に突き出すことを約束します」

「な、何が目的……?」

 多大なお金など要求されても、私に到底払えるとは思えない。

「報酬なんかいいですよ。……そうですねぇ、強いて言うなら」

 敦の目は、まっすぐ私を見据えて、そして言った。









「——あなたの、笑顔が一番の報酬ですかね?」









 なんなんだこいつは。全く何を考えているのかわからない。

「いただきます!!」

 私の家に上がり込んだ太宰敦は、いま、私が作ったご飯を食べている。どうしてこうなった。

「美味しいですこれ! アヤカさんはいいお嫁さんになりますよ」

 太宰敦は、一文無しであった。「いや、いつもは持ってるんですよ!? たまたま今は厳しくて……ご飯にありつけなかっただけで!!」と主張し、なし崩し的に私がせめて、とご飯を振舞うことになった。……こいつを本当に信用していいのか、第一こいつ何歳なんだ。まあ、単に食事が目的とかなら急に脅威感が薄れて小物感がでてくるんだけど。

「あ、ちなみに本当の年だけは教えられませんのであしからず」

 ……それが一番気になるんだけど。

「んで、本当に犯人を見つけてくれるの?」

「任せてください! あなたの協力があればそう難しいことではありませんよ」

「私に何をしろと……」

 敦は私が作ったチャーハンを平らげ、言った。

「とりあえず、何点か質問させてください」

「う、うん」

「まず一つ目」

 敦は人差し指を立てて続けた。

「ほんの僅かなことで構いません。お母さんが殺された理由に心当たりはありませんか?」

「………………ううん、やっぱり思いつかない。お母さんが私以外の人と関わっているところは見たことないし、仕事も随分前に止めていたから、心当たりなんて……」

「そうですか。では次の質問です」

「…………」








「——神田遼子が死んで、得をした人物はいますか?」

















『 太宰 敦(仮) 1 』




 彼女は、その質問にNOと答えた。

 けど僕は見逃さなかった。僕がその質問を口にしてから、彼女が否定の言葉を告げるまでの間、その間に僅かなタイムラグがあった。

 しかし、問題なのは、タイムラグが存在したことじゃない。

 人は、人とコミュニケーションを取るとき、頭を空っぽにしているわけではない。どう返答するか、どう受け答えるか、常に考え続けながら会話を続けている。

 故に、普通の人間は今のような重要な質問をされると、たとえ心当たりがなくとも思考をしてしまう。無意識に可能性を探ってしまう。例えば、一個目の質問に答えた彼女のように。

 しかし、二つ目の質問に対して彼女が返答に要した時間は、ほんの僅かであったのだ。


 まるで、考えることを放棄したように。





 まるで、返答が遅れることで、

 その答えが嘘だと疑われないよう、努めているように。






「……そうですか」

「ねえ、今の質問になんか意味があったの?」

 情報は揃った。

「まあ、軽い情報収集ですよ」

「へえ……」

「とにかく、すぐに犯人を特定してみせますよ。大船に乗った気持ちで待っていてください」

 ——本当は、犯人を探す気など、これっぽっちもない。

「まあ、しすぎないようにはするけど、期待しておくよ」

「はい! 任せてください!」

 探すまでもなく、すでに犯人はわかっている。

「まあ、ご飯ぐらいなら食べさせてあげるから」

「それは助かります!!」


 あくまで無邪気に努めながら、僕は一字一句発言する。









 ……神田アヤカ、世界の本当の形を、見せてあげるよ。


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