温泉デートの誘い

RAY

温泉デートの誘い


「RAYさんは……温泉、好きなんですか?」


 クライアントへのプレゼンが終わって帰社する車中でのこと。

 運転をしていた、営業担当の佐藤くんが助手席のボクに話し掛けてきた。少し躊躇ためらいがちに。どこか緊張した面持ちで。


「唐突な質問だね。誰から聞いたの?」


「RAYさんの下にいる幸田さんです。僕たち同期入社なんですよ」


 同じ部署の幸田こうだ若菜わかなは入社三年目の二十三歳。少しドジなところはあるけれど、誠実で真面目なタイプ。人当たりが良いことでクライアントからの評判も悪くない。


「若菜ちゃんと同期ってことは、ボクがやらかした大失態や武勇伝が筒抜けってことね。印象、最悪ってこと?」


「そ、そんなことないです!」


 佐藤くんは動揺したように声を荒らげる。


「――幸田さんからは、RAYさんは素晴らしい先輩だって聞いています。仕事でもプライベートでもすごくお世話になってるって……今回いっしょに仕事をさせてもらって彼女の言っていることが理解できました。今日のプレゼン、お世辞抜きに素晴らしかったです!」


 力説する佐藤くんの顔を流し目で見ながら、ボクは前髪を無造作に掻きあげる。


「流石はやり手の営業マン。口が上手だね。でも、そんなにおだてたって何も出ないよ」


「そんなんじゃないです! ホントにそう思ったんですよ! 嘘じゃないです!」


 どこか焦ったような言葉と同時に、身体に不快な振動が伝わる。車が路肩に寄り過ぎてタイヤの側面が歩道の段差に接触したようだ。


「わかったから、ちゃんと前見て運転しよう。せっかくプレゼンが上手くいったのに帰り道で事故ったなんて知れたら、もう声が掛からなくなっちゃうよ」


「すみません……」


 佐藤くんは前を向いたまま申し訳なさそうに頭を下げる。

 車内が静かになったことで、FMラジオから流れるポップス調の曲が耳に入ってくる。


「それで? 温泉がどうかしたの?」


 佐藤くんをフォローするようにボクは笑顔で問い掛ける。

 すると、それが何かの合図であるかのように、沈んでいた顔がパッと明るくなる。気持ちの切り替えが早いのは、流石やり手の営業マンだ。


「実は、先日営業に行った帰りに温泉を見つけたんです。会社の裏門から出て国道を東に十分ぐらい走ると、ユニシロと古野家のある交差点があるのご存知ですか?」


「車線が狭くなるあたり?」 


 唇に人差し指を当てて問い掛けるボクに、佐藤くんは「うんうん」と首を縦に振る。


「そうです。一車線になってすぐの交差点を右折して、二つ目の角を左に入るんですよ。あのあたりはまだ開発中で人通りもほとんどありません。でも、すごく良かったですよ。その温泉」


「実際に入ったんだ」


「もちろんです。そうじゃなければ、こんな風に勧めたりはしません」


 佐藤くんの声のトーンが上がる。心なしか得意気な表情が浮かんでいる。


「――屋内の温泉も悪くありませんが、露天風呂がお薦めです。浴槽も上屋もヒノキ造りなんですよ。

 水深が浅いので寝そべるようにしか入れませんが、それがかえって良かったです。ヒノキの感触が心地良かったのと、星が見えるシチュエーションが最高でした。平日の夜ということで客も僕だけでしたしね。

 ヒノキの香りが漂う温泉にゆっくりかりながら、今にも落ちてきそうな、満天の星空を独占できるなんて、すごく贅沢ぜいたくな気分でしたよ」


 表情を緩ませながら、饒舌じょうぜつに語る佐藤くん。そんな彼の気持ちが乗り移ったかのように、車の動きもとてもスムーズ。


「それで? 『良い温泉を紹介してくれてありがとう。今度行ってみるね』でいいのかな?」


「ええっと……それは……」


 ボクの意地悪な質問に佐藤くんの顔に戸惑いの色が浮かぶ。

 シートベルトを少し緩めると、ボクは運転席の方へ身体を向ける。


「話の流れからすると『お勧め』じゃなくて『お誘い』に聞こえるんだけど……違う?」


 上目遣いのボクをチラリと見ると、ゴクリと唾を飲み込む佐藤くん。少し間が空いて躊躇ためらいがちに口を開く。


「……ぜひRAYさんといっしょに行きたいと思って、駄目元で誘ってみました。ダメ……ですか?」


「どうもありがとう。うれしいわ」


「えっ? じゃあ……OKしてくれるんですか?」


 佐藤くんの顔が、その日一番の笑顔に変わる。


「条件付きでもイイ?」


「条件付き……ですか?」


 ボクの一言に、佐藤くんは眉毛をハノ字にしていぶかしい表情かおをする。


「実はね、その温泉、行ったことがあるの」


「そうなんですか……!? 失敗したなぁ……せっかくサプライズを狙ったのに……」


 佐藤くんは「はぁーっ」と深いため息をつく。

 車のスピードが落ちていくような気がした。


「結構サプライズだったよ。だって、ヒノキの温泉は男女のお湯が別々になっていないから」


「えっ……?」


 佐藤くんは目を丸くして、驚きと戸惑いがいっしょになったような表情を浮かべる。


「……し、知らなかったんです! RAYさんの裸が見たいとか、そんなよこしまな気持ちがあったわけじゃありません! 信じてください!」


 車の動きが不安定になった気がした。

 佐藤くんがかなり動揺しているのがわかる。


「大丈夫だよ。そんなこと思ってないから」


 ボクが笑顔を見せると、佐藤くんは神妙な顔つきで頷く。


「そこで条件ね。いっしょに温泉には行くけれど『服を脱がない』ってことでいい?」 


 ボクの条件提示に佐藤くんは眉をハの字にして首を傾げる。


「それって……水着で入るってことですか?」

 

「そんなわけないじゃない」


 ボクは口元に手を当てて声をあげて笑う。


「でもね、そんな条件を出すのはボクだけじゃないと思うよ。だって、あそこの温泉、混浴じゃないもん」


「えっ……? だって、RAYさん、さっきヒノキ風呂は男女いっしょだって……それって混浴ってことじゃ……」


 佐藤くんは狐につままれたような顔をする。

 そんな彼に、ボクは穏やかな笑みを投げ掛ける。


「佐藤くんが入ったのは、確かに混浴。ただ、服を着たままでOKの混浴。一般的には『足湯』って呼ばれてるよ」



 おしまい

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温泉デートの誘い RAY @MIDNIGHT_RAY

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