休日

 とある一軒家のキッチンに、一人の女性が立っていた。小さく鼻唄を歌いながら、小気味良く包丁でトントンと音を立てている。

「おはよ~……ママ……。ふわ~…………」

 キッチンに面したリビングから一人の男の子が顔を出す。小学校に入って間もないようなあどけない表情の男の子が、挨拶をしつつ口を大きく開けて欠伸をした。

「おはよう、健太ちゃん。もう少しで出来るから、お父さん起こしてきてくれる?」

 にっこりと挨拶をして、母親はキッチンに向き直る。

「は~い…………」

 男の子は眠たげに目元を擦りながらリビングを出ていった。まもなく、父親を連れてリビングへ戻ってきた。

「おはよ~………」

 父親も、子供と同じように間延びした挨拶をしながら、目元を擦っていた。

「もう、二人とも本当に朝に弱いんだから」

 母親は半分呆れたような顔をしながらも、幸せそうに頬を緩めた。

「さ、お待ちどうさま。朝御飯の出来上がりですよ~」

 三つの皿をお盆に乗せてキッチンからリビングへ運ぶ。父親と男の子の二人は既に座っていた。

「それじゃ、頂きます」

 父親の声に二人も続き、行儀よく手を合わしてから食事に取りかかった。

「やっぱり、いつ食べても彩月の料理は美味しいな。な? 健太」

「うん! ママの料理はすごく美味しいんだって、いつもみんなに自慢してるもん!」

「あはは、そんなに言われたらママ、もっと美味しいのを作りたくなっちゃ………こら、健太ちゃん。トマトも食べなくちゃダメでしょう?」

「そうだぞ健太。ちゃんと残さず食べないとおっきくなれないぞ?」

「ご、ごめんなさい…………。他のはすっごく美味しいんだけど、トマトだけはやっぱり僕、たべられないよ…………」

「しょうがないな…………ほら、皿を寄越しなさい。父さんが食べてあげるから」

「ダメよ亮さん、甘やかしちゃ。好き嫌いはできる限り直してあげないと。ほら、健太ちゃん、パパとママの子でしょ? がんばって食べよ?」

「ううん…………わかった……」

 健太は、泣きそうな顔になりながらも、意を決して、皿に盛られた四つのトマトのうち、三つを一気に口に運び、咀嚼もそこそこに一気に飲み込んだ。

「よし! それでこそ俺の子だ!」

「良い子良い子。健太ちゃんの欲しがってたおもちゃ、近いうちに買ってあげるからね~」

「ホント! わーい! やったあ!」

「ははははは。さて、それじゃ俺はそろそろ会社に行かないと」

そう言いながら、亮が席を立とうとした途端に、


「ダメ!!!」


 母親が突然、そう叫んだ。

「び、びっくりした…………。 どうしたんだいきなり」

亮の言葉に我に帰ったのか、彩月はすぐに落ち着いて言葉を続けた。

「ご、ごめんなさい…………そ、そうよ、昨日亮さん、明日は久しぶりの休みだからゆっくりできるって言ってたじゃない。それを思い出したのよ」

「ん? ああ、そういえばそうだったかな。最近休みなく出勤してたからな、ついうっかり忘れてたよ」

「もう、今日はゆっくりお家でのんびりするって昨日話したじゃない。ね? 健太ちゃん」

「うん! いっつもお仕事忙しくて、全然パパと遊べないんだもん! 」

「うむむ・・・・・・、よし! 今日は一日家族サービスの日だ! 折角だし、今日のお昼御飯は健太とパパで作るか!」

「え~、この前パパが作った料理、ぜんぜん美味しくなかったのに…………」

「あ、あの時はママが居なかったから仕方なく作っただけで…………きょ、今日は大丈夫だ、ちゃんとママにアドバイスしてもらうから! な! 彩月?」

「ふふふ、手取り足取りおしえてあげちゃうわよ~」

 そんな家族の他愛のない会話をしていると、ピンポーンと、チャイムの音が玄関から響いてきた。

「あ、僕が出るね!」

 そう言って健太が玄関に走っていこうとすると、


「ダメ!!!!!」


 さっきにも増して大きな声で彩月が叫ぶ。突然の叫び声に驚いて健太は振り向く。

「ど、どうしたのママ? すっごく怖い顔してるよ…………?」

健太の心配そうに見る顔を見て、また突然、何かを思い出したようにすぐに落ち着いた。

「ほ、ほら、最近変な人が多いって学校でも注意されてたでしょう? ママが出るから、健太ちゃんは早く残りのトマト、食べちゃいなさい」

「む~~………、わかった………」

  健太は、幾分肩を落としながら椅子にもどった。そして彩月は、無言で玄関に向かった。


 「……………………」

外れているチェーンロックを取り付け、ゆっくりと玄関を開けた。そこには、中肉中背の若い男が立っていた。

「おはようごます、朝早くからすいません。市の福祉課のものなのですが」

「はい? 市の職員の方が家に何のご用です?」

 男の物腰は柔らかいが、対して彩月は如何にも不機嫌そうに、つっけんどんに言葉を返す。

「それがですね、近所の方からご連絡がありまして。ちょっと訪ねさせてもらったのですが…………」

「…………別に騒音もなにも立ててませんし、他人にどうこう言われる謂れなんてないつもりですが」

「いえいえそういうことでは。ただ、最近あまり外出をされていたようなので、ご心配した近所の方が市の方へ電話してくれましてね」

「それこそ、他人にとやかく言われる筋合いなんてありません。さあ、他に用事がないならさっさとお帰りください」

 そう言って彩月は玄関を閉じようとする。しかし男は扉の間に靴を差し入れ、閉じさせないようにして更に言葉を続けた。

「ちょ、ちょっとお待ちください。見たところだいぶ体調も悪いようですし、たまには外に出て、気分転換でもされたらどうでしょうか?」

 その言葉を聞いて、彩月は体をビクンっと震わす。

「ずっと家に閉じ籠っていては体を壊してしまいますよ。もしそんなことになったら、お二人」


「うるさい!!! うるさいうるさいうるさい!!!」


 彩月は男の言葉を途中で遮ぎって突然叫びだし、小さく開いたドアを、隙間に差し込まれた男の靴に叩きつけるように何度も何度も開閉し、ガンガンと打ちつけた。これには男も堪らず、すぐに足を引っ込め、ドアは激しく音を立てて閉まった。

「はあ……はあ……はあ……」

 彩月は荒い息を立てながら、玄関前にへたり込んだ。眼は潤み、今にも涙がこぼれそうになっていた。

「ママ? 大丈夫?」

「彩月?」

 彩月が顔を上げると、そこには心配そうに顔をのぞきこむ健太と亮がいた。彩月はすがる様に二人に抱きついた。

「おっと、今日は本当にどうしたんだい? さっきから妙に様子がおかしいけど」

「…………ごめんなさい。何故だか、こうしていないとあなたたちが何処かに行ってしまうような気がして…………」

「なにを言っているんだ。今日は一日家でゆっくりするって言ったじゃないか。彩月一人を置いて、何処かに出掛けたりなんかしないよ」

「そうだよ! 今日は一日、ずっと一緒だよ!」

「そうね……そうよね……」

 彩月は、二人に抱きついていた腕をほどき、あふれそうになっていた涙を拭った。

「さて、それじゃあ早くお皿片付けてちゃいましょうか。せっかくの休みなんだから、時間は有意義に使わないとね」

 そう言って二人を引っ張りながら、彩月は笑顔でリビングに戻っていった。



……………………………………………………………………………………………………



「………………」

 追い返され後も離れず、玄関からする声に耳を傾けていた男は小さくため息を一つつき、肩を落としながら近くに置いておいた車に戻ろうとした。

「…………どうでした? 彩月さんの様子?」

 その男に、隣の家の壁から顔を出した年配の女性が不安げな顔で男に声を掛けた。

「どうにもこうにも…………あの様子では説得は難しそうですね…………」

「そうでしょう…………。私が訪ねても、すぐに追い出されちゃうのよ。外には全く出ようとしないし…………」

「お顔もすごく痩せ細ってましたし、食事もほとんどされていないようですね」

「もうこの家に戻ってから一週間ぐらいは立つと思うけど、もう食べ物なんてほとんど残ってないはずよ………。できる限り早く、なんとかしてあげてくださね……」

「もちろんですよ、市役所に戻ったらすぐに作業を始めますので。どうかご心配なさらないでください」

「おねがいしますね…………。それにしても、本当に彩月さんが不憫ふびんでならないわ、一晩で旦那さんと息子さんを両方失うなんて…………」

「強盗犯、まだ捕まっていないみたいですね」

「不幸中の幸いで彩月さんはたまたま友達と食事に行ってたから助かったらしいけど…………あの状態じゃあ、幸いもなにもないかしらね…………」

「…………彩月さんの中では、お二人はまだ生きているようですね」

「私の家からだと、彩月さんが一人でしゃべってるのが聞こえてくるから、胸が痛くておちおち窓もあけられないのよ…………」

女性は、深く溜息をつく。

「では、私はこれにて」

「どうぞ、よろしくおねがいしますね」

「…………」

 男は返事をすることなく車に乗り込み、去っていった。



……………………………………………………………………………………………………




 とある一軒家のリビングに、一人の女性が長テーブルの隅の席で笑っていた。

 机には三つの皿が。二つの皿には何もなく、一つの皿には、ちいさくしなびたミニトマトが一つだけ置かれていた。

「さあ、あとひとつだけよ! がんばって! 健太ちゃん!」


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ホラーSS 日暮ススキ @hikurasi

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