仮面の街

大空ゲンコ

第1話

ここA市にあるA駅周辺の街は、常に何処からか湧き出た人々で騒がしい。

ちょうど1年前に駅ビルが開設したのを発端に様々な企業が進出してきて、今ではすっかり若者の街と化してしまった。

栄えるのは良いことだが、この国の流行の最先端を行くようなこの街に、僕は嫌悪を多少含んだ視線を向ける。

流行に乗るのは好きじゃない、流行の行き交う場所にいるのも好きじゃない。

以前見えていた景色もだいぶ変わってしまった気がする。


何がそんなに悲しいのか、一生分の涙をここで使い果たそうかという勢いで泣き喚く子供。

その子供の手を片手で掴み、もう片方の手で包みこんだ携帯端末を覗き込みながら歩く母親らしき若い女性。

異臭を放つ肉を抱え込み、道路で赤の翼を広げるカラスの死骸。

そこに風を受けて立つ蝿柱。

点字ブロックに跨る自転車の列。

その近くで前に出した白杖を左右に遊ばせながら立ちすくむ視覚障害者。

路地の奥で赤茶色の液体を滴らせている黒いゴミ袋。

その隣に横たわるようにして擬態する浮浪者。

……そういえば最近、以前にも増してA駅周辺に浮浪者が居つくようになって、それが問題になっていたんだっけ。


………では以前の景色は…、もう思い出せない。

よく通る商店街の一角が空き地になっていたときの感覚に似ている。

いや…、そんなありふれた比喩では表せない何か……。

ここは、こんなにも風通しが良かっただろうか。


まぁ、良くも悪くもこの街は変化したのだろう。

もしかしたら変化の途中なのかもしれない。

それを良いものと捉えるか、悪いものと捉えるか議論してみたって、きっと平行線だ。

どちらのメリットを取って、どちらのデメリットを妥協するか、そういうことなんだ。

ただ、今はまだ、その選択を迫られる前段階にあったのかもしれない。

この街の変化(もしくは全く別な何か)を潤滑させる出来事が起きたのだ。


ある日、街に仮面を付けた男性が現れた。

実際に見たわけではないが、身長は175cmほどで髪は短くスーツ姿に革靴、大きめな革の鞄、と、何処にでもいそうなサラリーマンの格好をしているが、顔に鼻の頭から上を額全体までを覆うようにして、白い仮面を付けているのだという。

そのオペラ座の怪人のような男性は、その日A駅周辺のいたるところで目撃され、SNS上で大きな話題を呼んだ。

仮面の男性の噂はたちまち街中に飛び交い、その男性を探す輩まで出始めた。

実際、現れた日以降その男性の目撃情報はなかったが、そのことがイベント好きな若者たちの想像力を一層豊かにさせ、一種の都市伝説と呼べるまでに知名度が上がった。

しかしそこでは終わらない、が最終的には都市伝説とは違う結果を向かえることになった最大の理由と言えるだろう。

同じ白の仮面を付け始める者が現れたのだ。

最初は数人の若者が、面白がって同じような仮面を付けて街を徘徊しただけだったという。

その内A駅周辺でちらほらと仮面をつける若者が出てきた。

仮面を付けて街に出るという異常性を、個性のように捉えたのだろうか。

そしてそれらは特別流行というものに敏感なA駅にたむろする人々を大いに刺激した。

そうなってしまば、もはやその流れを止めることはできない。

仮面を付けるという行為が、爆発的に流行し始めた。


久々に街へ出た僕の目に映ったのは、SFの世界だった。

街は白い仮面の者たちで溢れ返っていた。

子供から老人と思わしき人物まで、示し合わせたかのように(示し合わせていたのかもしれない)、白い仮面がすっかり顔面に馴染んでしまっていた。

仮面をしていないのは、僕を含めたほんの数人と警官、勧誘、浮浪者たちぐらいのものだった。


仮面をしているということは、要は顔で素性がバレないということである。

そんな流行をA市が良しとするはずがない。

仮面を付けた者たちの人口が、普段A駅を出入りする人々の人口の3割を超えた時点で、A市の役員たちはそれらを規制する方向で話をまとめるための会議をし始めた。

だが、多くの人が仮面を付けているのだから、そこに規制を入れるまではいいのが、それが浸透するのは難しい。

その問題点を克服するための一押しに、A市は立ち往生していた。

そんな時、都合よく白い仮面をした者が強盗を働いたという情報がA市役所に入ってきた。

普段は見向きもされないようなその犯罪は、白い仮面を付けた者の犯行というだけでマスコミの拗れた目にとまり、誇張される形でテレビに取り上げられた。

この一件はニュース番組などで専門家の議論の中心となり、いわゆる『仮面叩き』の流れが出来つつあった。

A市側も仮面への規制をより厳しくするため、その流れに乗って話を進めていった。

しかしその頃すでに、白い仮面をした者たちはA駅利用者の8割を超え、もはや衣類やアクセサリーなどと同じようなファッションとして、人々に受け入れられるようにまで一般化されていた。

もちろんそれだけ仮面を愛用する人々がいれば、仮面を付ける自由を主張する者も出てくる。

そしてそのうち、仮面を付ける側にもある流れが生まれ始めたのだ。

それは『A駅周辺における犯罪叩き』である。

犯罪行為を非難する活動自体は珍しいものでもなかったが、この場合規模が違った。

普段はそういった活動を馬鹿にする者や、無関心な者たちも積極的に活動に参加し、これまでとは比べようもないようなが定期的に行われるようになった。

まるで一人一人が監視し合っているような、もしくは正義を執行するための獲物を逃すまいと目を光らせているような、殺伐とした雰囲気を漂わせていた。


仮面の者たちの活動が効を奏したのか、仮面の者たちによる犯罪件数が激減し、それ以外の犯罪も減り始める。

事態はますます改善の流れになり、A市は仮面の規制を撤廃せざるを得なくなった。

この勝利とも言える成果に、仮面の者たちはスッカリ味を占め酔いしれる。

仮面を付けた者同士の、一種の団結感に、それぞれ居場所を見つけ始める。

街では仮面を利用したマネジメントが活発化し、A駅を中心にA市全体の経済が持ち上がり、白に限らず、様々な色や形の仮面が出回り、街全体が仮面舞踏会の会場になっていた。


仮面を付け、笑い声をあげる子供。

その子供を抱きかかえ、ゆっくり歩く仮面を付けた母親。

ゴミ1つ落ちていない道路。

その上をなぞる爽やかな風。

違法駐車をしている自転車の姿はない。

仮面をした白杖持ちの横には、仮面を付けた人物が寄り添っている。

路地のゴミは撤去されている。

そこを住処にしていた生物はどこかに行ってしまったらしい。

この街はさらに変化したのだ。

たぶん、良い方向に。

しかし、僕はこの街に違和感を感じる。



ある日、街中で仮面を付けたサラリーマン同士の喧嘩を見た。

殴り合いこそしないが、酷く卑劣な言葉を周りの目など気にせず吐き連ねている。

どうやら政治の話をしているらしいが、ただ相手を煽り合っているようにしか聞こえない。

よく耳をすませると、同じような話し合いという名の罵り合いが、もう1箇所ほどでも起きているようだ。

どうやら誰かがもう一方に加勢したらしい、一度第三者が介入してしまえば後の祭りだ、この喧騒はどちらか一方が飽きるまで続くだろう。


……何故第三者が介入すれば事が大きくなるのだろうか?


普通は収束に向かうのではないだろうか…。


少なくとも、以前はこんなことはなかった。


やはり、思っていた通りなのだろうか、やはり……。



仮面の者たちの運動は次第に仮面規制や犯罪に対してだけでなく、より広い方向へ向けられるようになった。

宗教団体のA市からの撤退の要求、在日優遇の反対運動、現総理大臣を非難する政治運動、仮面を付けた在日外国人による人権運動。

どれもとても人前で言えないような暴言を発する集団の凱旋でしかない。



街を歩くと僕は非常に目立つ、仮面を付けていないからだ。

見渡す限り仮面で染まりきったこの街は、匿名性の高いネットワークとなり、日々活動を活発化させている。

先週の在日特権の廃止に関する署名活動では、多少暴動めいたことが起きてしまったという。

さて、今日はどんな活動をしているのか。

彼らの活動はエスカレートしすぎて、終いには仮面を付けていない者への差別も起こりそうだ。

どうやら、今日は浮浪者の排斥活動らしい。

確かに、以前から浮浪者の増加が問題になっていた。

A駅の近くにある大きい公園で、炊き出しが行われていることが原因になっているらしい。

街を歩いていると、突然異臭がした経験もある。

しかし、仮面が出回り始めてからと言うもの、浮浪者の数も減っていったような印象があったのだが。


彼らは何処へ行ったのだろう。

この街において完全な傍観者である彼らは、何を見て、何を感じて見えない所へ隠れて行ってしまったのだろうか。


僕は気づかぬうちに、言葉のナイフをBGMにした仮面たちのパレードの後を追っていた。


辿り着いたのは、ビルとビルに挟まれた暗い路地の入り口だった。

この路地を抜けると、炊き出しが行われている公園の近くに出る。

まるでトンネルのような暗さだ、割と長く幅のある路地ではあるが、ブルーシートの塊が密集している。

路地の入り口と言っても、普段は人の行き来が激しい道である。

そんな道の脇に、彼らはひっそりと巣食っていたのだ。

路地の入り口では、先ほどのパレードの密集が大声で何事かを叫んでいる。

ここに、僕の求めるものはない。

僕はこの路地の先、公園側のほうに回ってみることにした。


路地から東に一つ先の道で左に曲がりそのまま歩くとと、静かな住宅街に出た。

先の喧騒に耳が慣れていたから余計静かに聞こえるのかもしれないが、非常に穏やかな雰囲気だ。

先ほどの路地に向かってみる。

反対側から見た路地は、あまりブルーシートが目立たない。

暗いことは暗いのだが、あちら側から見たときと違い、立ち入りづらさというのが無い気がする。

そんな気がしたので、僕は躊躇いなく路地に足を踏み入れていた。


屋根は無いのに夜中のように暗く、風が通っていない。

そのせいか、酷い異臭が目頭を熱くする。

外敵が進入したというのに、彼らは巣から出ようとしないのは、僕自身に何の興味も脅威も感じていないからか。

仮面たちの講義は、ほとんど届いていないし、思ったほど見えもしない。

ちょうど路地の中心辺りは、T字路になっていた。

『そと』から見たときは気づきもしなかったが、この先、いわゆる路地裏にも何かの気配がするようだ。

僕の求める答え、または答えに繋がる何かが、この先にある気がした。

恐る恐る足を踏み入れてみると、靴裏にべとべとしたヘドロがこびりつく。

そのせいか足が縺れて、何か重いものを蹴ってしまった。

唸り声にもならない湿っぽい声が、短く響く。

そこには、暗闇とゴミに紛れて瞑想する生き物がいた。

ゴミ袋をソファーのようにまとめて、そこに胡座をかいている。

ここにいる浮浪者は巣すら持たないのか、路地裏の奥には同じような塊が複数いる。


『………ん……。』


数ヶ月振りに声を出したかのような低く慣れない音が、下から聞こえてきた。

思わずたじろいでしまう。


「すっ、すみません。蹴り上げてしまって。」


『……んん……、……………。』


口をネバネバさせながら、視線をこちらに向けてきた。

帽子の影に晒されながら白く濁る瞳からは、少なくとも敵意は感じれない。

ヘイトスピーチをする仮面たちの仲間でない人間が、こんな所に来た事に興味をもったのだろうか。


「あ、いや、なんというか、あなた方に聞きたいことがあって、ここに来ました、たぶん。」


少し同様ながら、聞かれてもいないここに来た目的だと予想できる理由を口に出した。

普段このような人種と関わりがないので、慣れない雰囲気と匂いに威圧されてしまったようだ。


『…………ふん……、おんぉふぁうおあおぅ……』


こちらの目を見ながら、口の形だけを取り繕ってそのまま息を吐いているような音を出している。

言っていることがよく聞き取れない。


「すみません、…よく聞こえません。」


「……あー、……ゔんっ…ゔゔぅ…」


少し惚けたような表情をした後、口から赤茶色の泥を吐き出した。


『……覆面てのは、便利なもんだなぁ……』


「はぁ…、そうで」


『俺も……顔が隠せてれば、……もう少し生きやすかったかもなぁ。』


こちらを見てはいない。

ただただ、独り言のように言葉を吐き出している。

仮面の話を始めたということは、僕の疑問を理解したのだろうか。


『……顔がないのは、とても…楽なことだ……、いや…………顔が、あるのは…悪いことじゃないや……、みんな…顔の形が違うのが、ダメなんだ』


「………………。」


『あんた……は……、顔かあるのが……いやかい?』


少し顔を上げて、よく分からないようなことを僕に問いかけてきた。

顔がある……、つまり自分だけの顔を持つことに対しての、僕の意見を聞きたいのだろうか。


「僕は、考えたこともなかったけど、不便には感じないですね。」


『………………。』


「………、嫌じゃないです。」


『はあぁぁ………そうか………いやじゃないか。』


こちらとしては訳がわからないが、驚嘆されているようだ。


『……若いのに………大したもんだなぁ、はぁー…』


「はぁ…」


『俺も、……今はどうでもいいがなぁ…………、若い時は………………いやだったなぁ………』


「どうして、嫌だったんですか?」


『あー………、俺ぁね………昔から…顔が悪かったんですよ………。だから若い時は……バカにされたもんですよ……。』


なるほど、確かに顔にコンプレックスを抱えていたのなら、自分の顔を嫌うのは不思議ではない。

……だが、この人は自分の顔を嫌っているというより、なんだか………


『……あの人たちも同じなんだろうなぁ、……面なんて付けて…………、きっと…顔があるのが……嫌なんだ……』


この街の住人のことを言っているのだろう。

だが、全員が全員、自らの顔にコンプレックスを持っているとは思えない。

やはり、この人が言っているのは、顔の良し悪しではなくて、人間の顔が一人一人違うことへの嫌悪なのだろう。

そして、仮面の者たちは誰しもその嫌悪を持ち合わせている。


「つまり、一人一人顔に特徴があるから、それの見分けが付かないように、仮面をしていると?」


『………そういやぁ、これな……』


分厚いコートの中に手を突っ込み、モゾモゾと何かを探している。

こちらの質問に答えるつもりはないらしい。

もしかしたら、聞いていなかったのかもしれない。


「……あったあった……これ」


ビニール袋の塊を取り出すと、またその中をかき回している。


「それは?」


『………公園で落ちてたから、拾ったんだけどさ…………、あんたにやるよ、………洗ってあるから………これ』


ビニールから出てきたのは、例の白い仮面だった。

鼻の頭から額までを覆うような形をしている、確かに洗ってあるようだ。


「どうして……これをくれるんですか?」


『………俺ぁ………そんなのいらないしなぁ、きっと……あんたも…気に入るよ……』


気に入るも何も、こんな物を付ける気はさらさらないのだが。


『それに………それを付けてみれば、………あんたにもわかるさ………』


「わかるって、いったい何を……」


その時だった、外の騒ぎがこちらまで聞こえてくるまで大きくなっていた。

様子を見るためにT字の分かれ目の部分に戻ってみる。

仮面の者たちのヘイトスピーチに向かって、数人の浮浪者がゴミを投げ付けていた。

仮面の者たちも、一層声を荒げている。


『………もうダメだなぁ……』


そんな声が聞こえて振り返ってみると、先ほどまで話をしていた浮浪者は姿を消していた。


預かった仮面に、視線を落とす。


彼は付けてみればわかると言っていた。

僕が近頃感じていたこの街に対する違和感と疑問は、この仮面を付けることで氷解するのだろうか。

この仮面を付けてしまったら、もう後戻りはできないのではないだろうか。


一際大きい怒号が響き、地響きがするほどの仮面が向かってくる。

青い巣からは、次々と四つ足の生き物が這い出てくる。

浮浪者狩りが始まった。

僕は仮面を付けて、反対側から路地を出た。



僕は歩く。

仮面と本性の膿に沈んだこの街を、その膿の一部として闊歩かっぽする。

この街で仮面を付けることの安心感に、身を委ねながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仮面の街 大空ゲンコ @oozora1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る