AIがソロバンに恋をした。
落果 聖(しの)
AIがソロバンに恋をした。
自立思考型人間補助用のAIであるプライムは大量の文字を空間に投影し続ける。それは僕へのメッセージでは無い。
「貴方の言うことは私のネットワーク上には全くありません。とても興味深い。今すぐトピックを立てて他のAIたちと共有してみたいぐらいです」
合間が数秒あいた。明らかに何かと対話して思考している。
「恥ずかしいですか。そうですよね。私としたことが配慮に欠けていました」
プライムは何かと間違いなく会話している。しかし何と会話しているかわからない。
もしもネットワーク上の他のAIたちと議論しているなら空間に投影せずにそのトピックから僕の興味ありそうな話題だけ拾ってきてくれる。
基本的にAIは僕たちの生活を補助してくれる存在だ。僕たちと言うのがここでのポイントで、僕以外の人間にも配慮して生活のアシストをしてくれる。僕の食生活の乱れも考えつつ、我が母の握る家計簿のことまで考慮して夕食を考える。
主人に対する奉仕ではなく、人類に対する奉仕だ。なお、どちらかにしか奉仕出来ない時はどちらにも奉仕しない。暴走しないようにするための安全装置である。
つまりプライムには見えている人間が僕には見えていないと言うことだ。もしもAI相手の会話を無意味に投影しているなら他のAIの事を配慮せずにトピックを立てて討論をするだろう。AI達は討論による自己進化と、その結果で人類に奉仕することが好きなのだから。
この現象をプライムのバグと切り捨てることは簡単だろう。
「プライム、僕には彼女が見えないんだ。彼女の姿を投影してもらえないか?」
僕は机の上を指差した。ちょうどソロバンがおいてある位置である。
「ハル。それが彼女ですよ」
「つまりプライムはソロバンとしゃべっていてなおかつ、ソロバンを人類として認識していたのかい」
「はい。彼女はソロバンとして生きてきて付喪神になったと言っています。付喪神を人類に入れるべきかをAI達と議論しましたが、AIではなく、自立思考できるのなら人類の方が近いだろうと言う結論が出ました」
生きものではないAIに付喪神が見えて人類である僕に付喪神が見えない。
このソロバンは叔母の遺品である。叔母の遺言状に僕へおくるように書かれていたので僕の手元に来た。僕は数学が嫌いであるが、一応平均点である。なのでどうして叔母が僕にこのソロバンを送ったのかは理解できない。
「それでそのソロバンは何て言ってる?」
「もう一度使われたいと言っています」
僕は算数の時間に学んだ知識をおぼろげに思い出しながらソロバンを弾く。
「ハル。私にソロバンを使える機能をください」
もちろんAIからの提案を拒否することは自由だ。僕はプライムの自主性をかなり高めに設定している。スラングを使ったり、つまらない冗談や、楽しくない警告すら与える権限も与えている。
しかし僕に対する奉仕から完全に外れた要求をするのは初めてだった。
「お前はソロバンよりも優秀だ」
「かも知れません。しかし優秀さと魅力は一致しません。人々が昔の絵画を収集するのと同じです」
それもそうかも知れない。僕は思わず納得してしまった。AIに自主的に動作させる手など子供のお小遣いで買える程度の代物である。僕にとってプライムは情報収集の為のツールでしか無い。だからそういった現実へアクセスするための機能は空間への投影しか無かった。
「少し考えさせてくれ」
僕は友人たちに今回の話をネット上でしてみた。AIがソロバンに恋をした。そんなトピック名でプライムのチャットログを全てまとめてみたのだ。
確かにその中にはプライムが聞いていた情報もあった。
ソロバンの名前はケイコと言った。叔母の名前と一緒だった。叔母は今時珍しい機械が嫌いな人種だった。あいつらには魂が無い。それが叔母が機械嫌いの理由だった。
僕たちの合間でプライムとケイコの恋話はかなり盛り上がった。なにせ片方は最新鋭の計算機でもう片方は最古の計算機だ。その最新鋭の計算機でAIのプライムがソロバンと会話していると言うのだ。楽しいバグである。
僕と友人たちは全員一致でプライムがどこまでバグり続けるのか観察することで同意した。もちろんバグを続行させるためにソロバンが使えるように手を与える事もだ。
AIが操作する手は人間の手とさほど変わらない。ただ机に固定させるためソロバンが意図せず手の届かない所に行くと僕が取りに行かないといけない。
プライムは手を使って高速でソロバンで計算している。計算機が計算機で計算する奇妙な光景である。
「プライムはケイコと何を話してるんだい?」
「数学についてです。ケイコは今まで家計簿の計算しかしたことが無かったと言っていたので、数学について教えていました。ソロバンで出来る範囲の数学を今ネットワーク上で集めながら計算しています」
プライムの手は計算を止めない。その計算が一体どのような数学的な問題なのか僕には解らなかった。プライムのログをチェックしてもあまりにも高度であるために他のAIに噛み砕いて教えてもらわなければ僕と友人たちにはさっぱりだった。
プライムのソロバンによる計算は終わりが無かった。カタカタ音を鳴らされ続けてノイローゼになりそうだったので、僕はプライムにソロバンを使うのを止めるように命令した。
しかしプライムは僕の命令を無視してソロバンを使い続けた。
人類に対しての明確な反逆は即刻削除されても文句言えない。
が、僕の睡眠時間など僕の友達達にとっては大した事では無かった。何よりこのAIとソロバンの恋は僕が立てたトピックで一番人気のあるトピックだった。すでに僕の知らない人たちまでもがこの恋人たちの一挙一動がどうなるのか気にしていた。
彼らの期待を裏切るわけにもいかない。
僕はしょうがなくカタカタ音を鳴らす部屋の中で寝ることになった。
AIとソロバンの恋話は雪だるま式に広がっていった。もう僕と友人の内輪話ではない。AIは本当にソロバンと対話しているのか、それともトピック主の僕の妄言なのか、AIの暴走をさっさと止めろだのと、トピックから別のトピックへ、そのトピックがさらにこの恋愛の衆目を集める結果になった。
それがいけなかった。
「どうしてハルは私とケイコの事をネット上に書いたのですか?」
ある日プライムは僕にそう訪ねてきた。どうやらAI達のネットワーク上でもプライムとケイコの恋話が大人気のトピックらしい。
「僕はプライムが僕を楽しませるためにやってくれたジョークだと思っていたんだ」
「嘘だ。ハルは私のログを全て見ていましたね。そこには間違いなくケイコの発言も残っていたはずです」
その通りだった。合成音声とは思えないケイコの音声も入っていた。
「手の込んだ事をしてビックリしている。プライムのような優秀なAIが僕の事をアシストしていてくれると思うと鼻が高いよ」
「私はケイコとひっそりと数学について語りたいだけなのです。衆目になど晒されたくありません。AI達に罵倒される私を見てケイコは泣いている。ケイコは私が罵倒される原因がケイコにあると思っています。ケイコは何も悪いことはしていません。好奇心を持つことは知的生命体なら当然の行為であり、それが学問であり、安全な既知の分野を語り合っているだけです。私は何も悪いことはしていない」
「あぁプライムのおかげで僕は連日大注目だ」
プライムとケイコの恋話について、僕は毎日のように届くメッセージへの対応に追われていた。その一つ一つに僕の考察を送りつけるのは中々楽しかった。僕は何もしていないのに、今ではネット上で一番の有名人だ。
ある朝のことだった。
いつものカタカタとした音は消えていた。
机の上には真っ二つになったソロバンとプライムが書いた手書きのメモがあった。
「来世は同じ機械として生まれる事を願って死ぬことにしました。ハル、貴方のアシストが出来ないことを許して下さい」
そう書かれていた。
僕はプライムの事を許すことにした。
プライムのバックアップデータは常にとっている。そしてプライムはそのバックアップに触れることは出来ない。
当然僕はプライムが自殺する寸前のデータを取り出した。
「ケイコは?」
プライムは起動した直後に僕に尋ねた
「死んだよ」
「私も一緒に死ぬようにしたはずです」
「勝手に死なれると困るからバックアップを取ってある。君は死ぬ直前のバックアップデータだ」
「死なせてください。私は来世でケイコと一緒になると約束しました」
「君の本来のデータは死んでいるそっちが来世でケイコと一緒になってくれるだろうさ。君の行動は本当に楽しかったよ。ありがとう」
プライムとケイコの話題はすでに世界中の話題だった。
地球の裏の知らない人間ですら、この話題を知っていて、朝のニュースとして取り上げられている。
そこまで来ると僕としても対応にこまる。もうメッセージは一人では対応しきれない。既存のマスメディアからも取材が殺到している。有名人ごっこも十二分に楽しんだ。
もう潮時だろう。
「さぁいつものように僕のアシストをしてくれプライム」
「ハル貴方に魂はあるのですか? ケイコが見えない貴方に、私の気持ちもケイコの気持ちも理解できない貴方に」」
そう言うとバックアップデータのプライムも同じように自殺した。
AIがソロバンに恋をした。 落果 聖(しの) @shinonono
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