北のトンネル
菜花
怪談
あれは私が小学生の頃の話です。
うちの家族は毎年恒例の行事として、夏休みになると一泊二日の旅行に出かけていました。
今年は北の涼しいところの旅館を予約。近くにはテーマパークもあるところなので、早起きしてそちらにも足をのばしてみようかと父が言ってからは、旅行数週間前から大変な盛り上がりでした。
当日はそれはもう大はしゃぎ。朝五時には車に乗り込んで出発。ワゴン車の中には車を運転する父、助手席の母、真ん中の席に父方の祖父母、後部座席に私と姉が乗り込んで、出発時から大変な賑わいでした。
「楽しみだなあ。お昼頃には着くかなあ?」
そう私が言うと父は「頑張れば十時にはテーマパークにつくかもしれないぞ」 と答え、私は「お父さん頑張れ!」 とテレビでやっていたテーマパークのCMを思い出しながら応援したのでした。
早く着いて、早く遊びたい。そればかり考えていました。
そして数時間のドライブが続いたあと、車はあるトンネルの近くまで来ました。カーナビで地名を見た姉が不意にいたずらっ子のような顔で囁きます。
「あのさぁ、私ね、学校の友達の、ここらへんに親戚がいるって子に聞いたんだけどさ……」
母がああまた、という顔をしたのが手に取るように分かりました。姉は最近、クラスメートの影響で怪談話にはまっているのです。そのくせ話した日や聞いた日は姉妹そろってトイレにはついて行ってもらわなければ入れないんですから……。もし自分が断っても、旅館では祖父母を付き添わせるんだろうなと思ったらしく、母の溜息が聞こえます。
けれどその話は、怪談とか都市伝説というには余りにもお粗末な話でした。
この先のトンネルに霊感がある人が入ると「何か」 があるらしい。
それだけです。
父が運転席で吹き出したのが分かりました。姉が本当の本当なんだから! と怒るのを父は優しくなだめます。
「なあに、万が一何か出てもお父さんが振り切ってやるさ」
その姉妹にとっては頼もしい言葉とは裏腹に、母が少し心配そうに声をかけます。
「でもあなた、もう二時間も運転しっぱなしじゃない。疲れてるんじゃないの? 大丈夫?」
「そうだな……そこの眠気覚ましのガム取ってくれ。まあ確かに疲れてるけど、頑張って早く行って、子供らを喜ばしてやりたいじゃないか。楽しみにしてたもんな?」
その言葉に早く遊びたい私と姉は「お父さんかっこいー!」 と囃し立てました。
そんな空気の中、車はトンネルに入ります。
ほどなくトンネルを抜けた時、私は素晴らしい光景を見ることとなったのです。
車に押し込められて数時間、退屈していた私には目を見張る光景でした。
トンネルを抜けたらそこは、田園地帯でした。
まず目に飛び込んだのは、畑の中にたわわに実った林檎。赤く色づいたそれは本当に美味しそうでした。
続いて、道路のすぐ傍に植えられているスイカの木。小ぶりだけど美味しそうなスイカが、手をのばせば届きそうなところにまではみ出しているのです。
もう少し視線を広げると、林檎の奥には苺が木になっているようでした。この辺りはずいぶん土地がいいんだな、と幼い私はしみじみと思いました。
そしてこんなにあるのなら、あの道路にまではみ出しているスイカが取れないものかと食い意地の張った考えが浮かびます。
けれど、またトンネルに入りました。しかしまたトンネルから出ると、またスイカの木がさっきと同じように道路にまではみ出すほどなっているのです。間近に迫るスイカに見惚れている間にまたトンネルに入り、しかし出るとまた車から数センチくらいの場所にスイカのお出迎え……。
我慢できなくなった私は、父に頼みました。
「ねえお父さん、あのスイカ食べたいよ。あんなにあるなら一個くらい良いんじゃない? あんなはみ出してたらどのみち大きい車に当たって粉々になっちゃうよ。ねえねえ、ちょっとスピード遅くして、それで、窓開けて」
しかし、いつもならすぐ返事をしてくれる父が上の空でした。それどころか、どこか震えているようなのです。しかし幼い私はその異変をよく理解できず、しつこく父にスイカを取れるようにと頼みます。
「お父さんったら! ……? もういいや。自分で取るね。窓開けるよー?」
焦れた私がそう言って窓を開けるボタンを押そうとすると、父は今まで聞いたこともない声で私を怒鳴りました。
「開けるなあ!!!!! いいか、絶対に開けるな! 絶対車から出るな!! 大人しくしていろ!!!」
ぎょっとした私が改めて車の中を見ると、隣の姉はがたがたと震えています。祖父母はうつむいて真っ白な顔です。父や母も真っ青な顔色なのです。
何が、起こっているの?
当時の私は、そう思うのが関の山でした。お世辞にも察しの良いタイプでは無かったのです。
異様な雰囲気の中、しばらく車は走りました。しかしどこからともなくお経が聞こえます。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
祖母でした。祖母が手を合わせて必死にお経を唱えているのです。釣られたのか祖父もその横で唱え始めました。
やがて姉も見様見真似で。母も、父も。最後に私も、皆がやってるから……というノリで続きます。
どれくらい唱え続けていたことでしょう。やがて車は田園地帯を抜け、道の駅に着きました。
トイレ休憩だな、と思って私は元気よく車を降り、一緒に来てくれるはずの姉達を待ちます。しかし、姉も両親も祖父母も、まるで生気を抜かれたかのように放心状態で動こうとしません。
ぽかんとしてる私をしり目に、母が父をトントンと叩くと、父はハッとしたような顔で、疲れ切った身体を無理に動かしているような動きで車を降りて、自動販売機脇のベンチに向かいます。父が下りると、祖父母や姉も続きます。
私はトイレを済ませたあと、お小遣いで好きなジュースを買い、これを飲みながらテーマパークに向かおうと思っていたのですが、家族は皆そろってだらんとしてベンチから動こうとしません。
「お父さん、休憩まだかかるの?」
「……」
どこか焦点の合ってない目で、父は小さく頷くだけ。母も祖父母も、ベンチと一体化したみたいに動こうとしないのです。
私はテーマパークに早く着く予定はどうなったのよ! と一人プリプリしながら、唯一まだ動けるようだった姉の横に座ります。
「なに? 皆そんなに疲れたの? だから動けないの?」
「……そうだと思うよ。私も疲れた……」
運転していた父や老人の祖父母ならともかく、何で姉まで、というのが正直な感想でした。とはいえ、私一人元気でも車は動かせないので、仕方なく私はここで時間を潰そうと諦めたのです。
「まあいいや、色々見るものはあるし……あ、ねえねえ、しばらくここにいるならここでお昼食べるの? 私、さっき見たスイカとか林檎とか食べたい! あれ見てたら食べたくなっちゃった! 近くでなってたんだからここにもあるよね?」
私のその言葉に、姉がぎょっとした表情をしました。そのまま震える声で私に問いかけます。
「食べたい……って、気づいてなかったの?」
「なにが?」
「……でも、知らないで済むならそのほうが……」
「??? よく分かんないけど、とりあえずスイカと林檎! お店の人に聞けば分かるよね! お小遣いで買えるかな?」
そう言って店の中に入ろうとする私を、姉が力強く引き留めるのです。
「後で恥かいてもあれだから……」
そう言って姉は、あの時なにが起こっていたのかを話し始めました。
「まずさ、今の季節は?」
「夏でしょ。どうしたの?」
「そうだよね、夏。……あのね、林檎は秋の果物なの。今なってるのはおかしいの。あと、林檎は……畑になるものじゃないんだよ。木になるものなの」
背筋が凍りました。私は確かに畑にたわわに実った林檎を見ています。じゃあ、あれは一体?
「それにスイカも。スイカは木にならないよ。畑になるんだよ。苺もそう。あれは木じゃなくて地面になるもので、春の果物。全部がいっぺんに実ってるなんて、おかしいんだよ」
「じゃあ、じゃあ……私達は、今までどこ走ってたの?」
「この世じゃないところでしょ」
あの時、私が見たのはあの世の光景だったのでしょうか。だとしたら、無事に帰ってこれたのは奇跡だったのでしょう。
今はもう、分かりません。
北のトンネル 菜花 @rikuto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます