女子光線

赤星士輔

第一話 女子光線


 幼馴染みが眼からレーザーを放てるようになったのは三年前、手術の被験者になったせいだ。


 病名は失念してしまったが視力が急速に落ちていき、半年で失明するという病気を彼女は患っていた。

 小学生だった当時、彼女の両親は治すためにほうぼう手をつくし、視力を次第に失っていく娘を前にしてその筋では高名な天才医師から新しい手術の提案をされたのである。


「この手術は世界で初めての試みなので、費用は一切頂きません。ただし術後、副作用が起きるかもしれません」


 そして現在。手術を終えて視力を取り戻した彼女は健やかに成長し、恋多き女子高生となり、学内で絶大な人気を誇るイケメン桜井先輩と向き合っていた。

 使われなくなった旧校舎へと繋がる渡り廊下。そこに桜井先輩から呼び出され、先日された告白の返事をしに行ったのである。彼女は溢れる情念に身を任せ、恋人として付き合う了承をした。


 季節は初夏。雨上がりの天気は雲の切れ間から新しくできたカップルを祝福するかのように、ヤコブの梯子を幾つも下ろしていた。その一つが、彼女の破顔した表情を捉えてしまった。するとどうだろう。彼女の髪がゆっくりと乱れ、セーラー服がはためき、先輩との間の空間に歪んだ様な波紋が幾重にも生じていった。

 そして、するどい閃光が渡り廊下から旧校舎を突き抜け、遥か空の彼方へと消え去っていった。



 さて、前述したとおり幼馴染みの彼女はレーザーを放つようになった。

 その為には二つの要因が必要となる。


 一つ目は、陽の光が彼女の瞳に当たっている事。

 二つ目は、その時彼女の感情が昂ぶっている事。


 彼女が放ったレーザーを躱しきれず、頭部に傷を負ってしまった桜井先輩は、偶然通りかかってくれた保険医によって衛生兵よろしく水道水で濡らしたハンカチをネクタイで頭に巻きつけられていた。

 額から赤い血飛沫が舞う惨劇に、彼女は狼狽えているだけだった。肩を担いで搬送した先の保健室で、彼女は悲痛な声で何度も先輩に謝っていた。



 その日の夜。夕方から川辺に座って釣りを楽しんでいる僕の所へ、幼馴染みは猫のようにやってきた。

 経験上、彼女が来ると途端に魚が釣れなくなるので、幼馴染みというよりかは不運を見舞う疫病神でしかない。毎回、彼女が来る度に魚が逃げると言って嫌な顔をしているのだが、僕のいうことなんてお構いなしである。


 しばらく彼女は座っている僕の傍で黙って立っていた。

 可愛い幼馴染みのわたしを労ってくれ。もしくは早く察してくれ、という無言の圧力で思わずため息が漏れた。


「それで、昼間はゴーグルを付けろと散々忠告していたにも関わらず、君は告白してくれた桜井先輩に向けてご自慢のレーザーを照射してしまったと」

 釣り糸に付いた丸い浮きを見ながら僕は辛辣に言った。

 陽の光を増幅してレーザーにするのは解っていた。ならば遮光性の高い溶接用ゴーグルを普段から装着すればいい。雨の日に傘を差すのと同じくらいシンプルな話だった。


「頭をかすっただけだよ」と彼女は反駁したが、僕は首を横に振った。

「問題はそこじゃないよ。野次馬と一緒に保健室を覗いたけど、あの様子じゃ傷跡が禿げちゃうだろうな桜井先輩。いや、禿げただけで済んで良かったと喜ぶべきか」と僕はいった。

「天気が曇ってたから、大丈夫だと。ええ、油断していましたともさ」と、彼女は自分の非を認めた。

 一応、反省はしているようだった。喉を傷めている訳じゃなく、ハスキーな声が耳に届く。掠れてるため、耳を澄ましてないと聞き取りづらく感じる時もある。

 彼女のレーザーはブロック塀を容易く貫通し、綺麗に切断する。下手したら桜井先輩も切断されていたのかもしれないのだ。


「それにカワイクないんだもん」

「何が?」と僕が聞くと「ゴーグル」と彼女は小さく答えた。

 そんな理由で折角のイケメンが禿げてしまったのでは、先輩があまりにも可哀想だ。


「ピンク色に染めただろ?」

「デザインがダメなの。もっと制服に似合うようなカワイイデザインがいいの」

 高校へ入学する前、銅で出来たフレーム部分を僕が綺麗に塗装してやったというのに。

 時々彼女には理不尽さを感じる時がある。

 以前、溶接工が使うヘルメット型のを勧めたのだが、こんなの恥ずかしくて学校に持っていけないと却下し、ついでとばかりにスチームパンク好きな僕の趣味さえも否定した。

 思い出してみれば眼の病気が彼女に起きた時も、ひどく振り回された記憶がある。

 動物園、植物園、水族館、プラネタリウム。色々な場所に連れ回され、この世のすべてをその眼に焼き付けようとしていた。

 カラオケで歌詞を見なくても歌えるように暗唱を何度も繰り返し、あまり上手くないのにピアニカの伴奏をさせられた事もある。


 僕はやりたい事が特にある訳もなく、ただ、なんとなくで彼女と一緒にいた。自主性があまりないという僕の個性を彼女は自分の好いように弄んだ。

 それから彼女が手術をして、眼が見えるようになると、僕は思春期特有の気恥ずかしさが出てきたのか、幼馴染との距離をなんとか空けようとしていた。

 彼女は彼女で学校の女子との友好関係を広めていたし、お互いに調度いい距離感が掴めかけていた。そんな時だった。

 手術を終えて初めて迎えた夏の日。海水浴場の浜辺で、初めてのレーザーを彼女は出したのである。


 それから幼馴染みに泣き付かれ、レーザーが出る要因を二人して模索するうちに彼女との関係がなんだかんだと戻ってしまっていた。腐れ縁というのは恐らくそういうものなのだろう。


 手応えのない釣り糸をリールで巻き上げ、立っている彼女の方を見上げると、彼女の双眸が猫のように光り輝いていた。

 夜空に浮かぶ星々や街灯の光、水面にある僅かな反射光を吸い込み、瞳の中で増幅させていく。


 索敵必殺サーチ・アンド・デストロイという物騒な言葉が頭に浮かぶ。いまは命の危険はない。そう願いたい。

 これも手術による副作用だった。本当は治すためではなく生物兵器か何かの実験だったのではと僕は疑っているのだけど、彼女を手術した医者はあれから行方知らずだ。真相は分からない。


「再生医療での成功例がドイツで出たらしいよ」

 静かに煌々と光っている幼馴染みの瞳をしげしげと見つめると、そう言って僕は立ち上がった。

「手術はもう二度としたくないな」と彼女は瞬きして答えた。

 確かに。鋭利な刃物を眼に入れるなんて想像するだけで慄然ゾッとする。それに、包帯に窶した幼馴染みの姿はとても痛々しかった。

 いまでは昔の様に僕が困った顔をしているのも、彼女にはきっとよく見えている。

 彼女が見えていようと見えてなかろうと、結局使う言葉に毎度困りながらも気休めを言うしかないのである。


「桜井先輩なら大丈夫だよ。左手を失った僕と違って、すごく寛容な人らしいから」

「そうだといいんだけど」

「それから、彼氏が出来たんだから僕の所にはもう来ない方がいい」

 魚も逃げるし。と心の中で付け加えた。

「寛容なら一緒に居ても大丈夫なんじゃない?」

「人の優しさに甘えるなって言ってるんだよ」

 寂しい気持ちなど皆無である。幼馴染みの色恋沙汰より、ひとりで釣りをする方が大事だった。

 それにいくら家の近所とはいえ、女の子が夜中に出歩くのはよろしくないだろう。

 三尾だけ入っている魚籠びくを彼女に持たせ、家に帰ろうと歩きだした。


「そういえばレーザーを出してる時って、どんな感じなんだ?」と僕はなんとなく聞いてみた。

「眩しくて、なにも見えなくなるだけだよ。世界を見失うだけ」と彼女は正直に答えた。

 謂われてみればその通りだ。光が眩し過ぎて自分じゃ何も見えないに決まっている。

 そんな当たり前の事象に気づかないでいる僕自身も、世界を見失っているのかもしれない。



 翌日。登校すると旧校舎が見事に倒壊していた。

 夜中に崩れてしまったらしい。主要の柱が彼女のレーザーによって切断されたのが原因だとすぐに気がついた。

 崩れた旧校舎の周りには立ち入り禁止の黄色いテープが赤い三角コーンにいくつも連なっていた。その前で、旧校舎の教室に無許可で居座っていた同好会の生徒十数名が瓦礫の山を絶望した表情で見つめていた。

 青春の終わりはこの世の終わりと等しいというのが彼らの顔から読み取れた。後々聞いてみると、私物のアニメグッズやらなんやらが巻き込まれただけだったと判明したのだが、それでも居場所を失うのは辛いだろう。


 なにはともあれ、夜中に倒壊してくれたおかげで生徒に死傷者が出なかったのは幸運だった。


 校内では崩れてしまった旧校舎や不届きな同好会なんかよりも、学内で絶大な人気を誇るイケメン桜井先輩に彼女が出来た事、そして怪我をさせたのがその彼女らしいという話で持ちきりだった。

「先輩のこと、好きだったのに」とクラスの女子グループの中で顔を両手で覆って泣いているのを見かけた。

 悪いことはしていないのだけれど、先輩の彼女が僕の幼馴染みなだけに複雑な気分だった。


 放課後。掃除当番でゴミ置き場へゴミを捨て、ゴミ箱を教室に運んでいると、廊下で桜井先輩と幼馴染みにばったり出会した。

 相変わらずイケメンの桜井先輩は、巻いた包帯をニットキャップで隠していた。対して隣りにいる先輩の彼女で僕の幼馴染みである彼女はというと、ピンク色した溶接用ゴーグルを顔にしっかりかけていた。

 見慣れてしまっていたが、確かに制服姿でそれは可愛くはないかもしれない。


「これから先輩とカラオケ行くんだ」と彼女は嬉しそうに先輩の腕を組みながら言った。

「おう」とだけ僕は応え、桜井先輩に軽く会釈してすれ違った。

「誰?」「あたしの幼馴染み。気になる?」「いや、全然」という会話をしてるのが後ろから微かに聞こえてきた。

 嫉妬されても困るのだが、特に険悪な空気もなく恋人同士らしい仲の良さで、心配する必要はなさそうだった。



 掃除が終わった誰もいない教室にゴミ箱を置くと、なんだか取り残された気分になった。

 早く帰って釣りにでも行こう。そう思いながら自分の席に戻り鞄を手にすると、涼しい風が頬を撫でていった。

 空いた窓の方を見ると、すっきりとした夏の青空が広がっていた。

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