はたして一番のクズは誰か。

道草屋

第1話

天国に一人の天使がいた。

ある日神から、人間がどんな生き物か自分の目で確かめてくるようにと言われた。


天使はとりあえず、初めに目に留まった家に降り立った。

天使の姿は人間には見えない仕様であるから、あしからず。

一つだけ灯りのない窓を見つけそっと覗き込むと、胸を押さえて悶える男がいた。額には汗を掻き、食いしばった歯の隙間からうめき声が漏れている。

天使はしばらくその様子を見ていたが、やがて立ち去った。

半人前の身でしてやれることは何もないと判断したからだ。


天使が次に訪れたのは海だった。

空と同じであってそうでない青色とその壮大さを甘受していると、大きな船がやってきた。

港に集まった男たちが、売られる子牛のような面持ちで次々と乗り込んでいく。どうやら戦争に行くらしかった。

一組の男女が人混みから抜け出てきた。

男が跪き、女の手に指輪をはめた。女の目から大粒の涙がこぼれた。

天使はそれが地面に落ちる寸前でキャッチすると小瓶に収めた。彼女がいかに男を愛していたのか、その証明であるからだ。


天使が最後に立ち寄ったのは、今まさに息を引き取ろうとする老人の枕元だった。ベッドの周りを家族が取り囲んでいた。

部屋の調度品は豪奢なものばかりで、老人の横たわるベッドも相当に値の張るものと一目で分かった。

老人が息を引き取った後も天使はその場に留まっていたが、おもむろに翼を広げると神のもとに帰っていった。


神はさっそく、天使がどんなものが見たのか尋ねた。

天使は数枚の写真を取り出した。どちらも被写体が同じだった。


「これはある人間の部屋にあったものです。同様の写真が部屋の壁一面に貼ってありました。住人と思しき男は写真を胸に抱いてひどく興奮した様子でした。先にいただいていた情報通り、ストーカーとみてまず間違いないでしょう」

「その人間は胸を患っているらしいと聞いたが」

「たしかに重い症状でしたが、問題があったのは心臓ではなく心ですね。とりあえず地元の警察に連絡しておきました」

「さすがは天使、いい行いだ」


おだてられてもちっとも嬉しくなかったが、幼女の姿を収めた写真を舐め回すような人間が豚箱にぶち込まれるのを想像すれば少しは気が晴れた。


「そういえば、涙の鑑定はどうなりましたか」

「もう結果は出ている」


預かった小瓶の中身を分析した結果、大量の暗黒物質が検出された。

特に人を騙し私腹を肥やす輩の体液から検出されるものが目立ち、対照的に愛情に関する物質は僅かばかりだった。


「やはりそうでしたか」


神の説明を聞いて天使は呆れる思いであった。

男は気づいていなかったが、女の目は獲物を捕獲した捕食者のそれであったからだ。


「他の者に調査をさせたところ、複数人の男を相手に結婚詐欺を働いていることが分かった。全員が公務員であるあたり小賢しいものだ。最近では戦地に送り出される男ばかりを狙っているらしい」


そう言いながらも神はどこか楽しそうだった。


「それで、もう一軒訪ねたのだろう?」

「はい。しかしこちらも似たり寄ったりなものです」


老人が息を引き取った後始まったのは、残された家族による『遺産相続』ならず『遺産争奪』であった。

金目のものを片っ端からひっつかんではポケットやバッグに押し込み、あげくの果てには遺体の指輪さえ抜いてしまう有様だった。

それが終わると今度は遺産分配について会議が開かれたのだが、これもまたひどいものであった。

皆目を血走らせ、自分が最も多く金を得る正当性を一斉に主張した。

あまりの騒々しさに死者が目覚めるのではないかと心配したほどだ。


天使はふと言伝を思い出した。


「あなたの使いの方がやってきて、老人の魂を導いていきました。家族が家族なら、と言ったところでしょうかね。あの老人も相当あくどいことに手を染めてきたようで、即地獄行きだったそうです」

「それはいいことを聞いた、我らは罪人の魂を責めるのが仕事であるからな」


神は頬を歪めた。


「で、初めての人間はどうだった?」

「予想外の連続でしたね」


天使は改めて、椅子にふんぞり返る神と向き合った。

天国の神が持つ荘厳さの欠片もないが、不思議な魅力がそこかしこから漂っている。


「思った以上に、救いようのない奴らばかりですね、人間というものは」

「はっ、どの口が言うか」

「あなたが悪いんですよ。純粋な天使をそそのかして、人間の汚いところばかり見せて……」


ある日突然天使の前に現れたのは、悪魔に組する神だった。いわゆる邪神というやつである。

邪神は未熟な天使を甘言で惹き込み、人間の本当の姿を見たくはないかと囁いた。口伝でしか人間を知らない天使は誘惑に勝てなかった。


「そそのかすのが我らの仕事よ。無理やりに引きずり込まず、あくまでそそのかすだけというのがミソよ」

「ころりと堕ちてしまうのは相手のせいというわけですか、見事なもんですね」


そのちょろさが、人間が救済されるに値するという根拠でもあったのだが、今となってはなぜそんなことを当然と思っていたのか、天使には分からなくなっていた。


「だがおかげで、神と天使が謳う『救済』とやらがいかに陳腐なものであるか分かったろう。誰も責めるでないぞ、悪魔に堕ちるのは一瞬のことなのだから」


人間も天使も同じだ、とは言わないでおいた。












―――以下、とある堕天使の独白。


「まあ、天国だって悪魔が悪さをしなくなったらお役御免で給料もらえないわけだし、神様もそれを分かってるから、天使が悪魔堕ちしても見て見ぬふりをしてるわけなんですけどね。

僕ですか? 僕は自分の力で天使の鞍替えに成功したと思ってる邪神を掌で転がして、うまい汁を啜ろうと企んでいるだけですよ。……そんなの誰だってやっていることでしょう、何が悪いというんですか?」

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はたして一番のクズは誰か。 道草屋 @michikusa

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