エピローグ、もしくはプロローグ

──ヘルメス侯国の動乱、クロウがヘルメスを去った後


 その日は、とある来客が訪れるまで何事もない日常だった。ディアゴスティーノの前に街の住人が訪れそして相談するという、地域の顔役としての日課のようなもので、その日の最後の相手は知り合いの老婆だった。彼女の娘の夫がろくでなしで、酒を飲んでは娘と子供に暴力を振るうのだという。ディアゴスティーノは、その夫をのして・・・二度と妻子に手を挙げられないようにしろ、とランドに命じた。

 老婆は何度も感謝を述べ、謝礼はどうしたら良いのかと訊ねたが、ディアゴスティーノは老婆の誕生日祝いなので謝礼などはいらない、と笑顔で応えた。その老婆はディアゴスティーノの親戚ではなかったが、ディアゴスティーノはただ一言、同族ならば当然だと言った。

 老婆が出ていった後、ディアゴスティーノはため息をついて、橋の上で出会った女・エレベッタに窓を開けるよう頼んだ。

 窓から入ってくる風を感じながらディアゴスティーノは言う。

「もう完全に秋だな。……エレベッタ、今日の予定はこれからどうなってる?」

「以前から募集していた新しい秘書の件ですが、いま志望者の方が下にお見えになっています」

 書類に目を通して話すエレベッタ、彼女はあれ以来、ディアゴスティーノのところで仕事を与えられ、今では雑務をこなしていた。

「そうか……。」ディアゴスティーノは椅子に深く座る。「もちろん、フェルプールなんだろうな?」

「それが……」

「おい、どういうことだ? 同族を優先しろって言っただろ?」

「そうなんですが、気になることがありまして……。」

「なんだ?」

 エレベッタは脇に抱えた書類の中から、一枚を取り出してディアゴスティーノに手渡した。

「……っ」その書類に目を通したディアゴスティーノの表情が変わった。

「それと……」エレベッタは言う。「“吟遊詩人について話がしたい”とも仰っておりました」

 エレベッタはその言葉の意味が分からないようだった。何かのいわくのある隠語のようにも感じられる。

「……分かった、通せ」

「はい……」

「悪いが、オメェはその間外しておいてくれ」

「……分かりました」

 エレベッタが出ていってから間もなく、部屋の扉をノックする音がした。

「……入れ」

「よろしくお願いします、シャチョーさん」

 扉から現れたのは、奇妙な人間の女だった。顔は病的に白いメイクで、かつ灰色の瞳の周りにはくま・・のようなアイシャドウが施されている。水色の口紅が塗られた下唇には、リング状のピアスが通されていた。首には犬のような赤い首輪もあった。緑色のメッシュの入った黒髪はボブカットのように切りそろえられているが、寝癖なのかスタイルなのか、ところどころが跳ねていた。

 女の服装も独特だった。黒の半ズボンに網タイツ、足には黒のブーツを履き、黒のレザーベストを直に着用して、その上から深い朱色のレザーコートを羽織っていた。

 女をひと目見て驚いたディアゴスティーノだったが、すぐにいつもの様子を取り戻した。それは書類にあった彼女の名前だった。

「リザヴェータ・、この名前をこの国でかたることがどれほどの罪になるか、知らねぇわけじゃあるまい」

 女・リザヴェータは困ったような顔をして下唇に人差し指を当てた。

「騙ると言われましても、ホンミョーだから仕方ないんですけどぉ」

 ディアゴスティーノは目を細めて、様子をうかがうように女に訊ねる。

「オメェ、“最初の子”か……? 最初に生まれたにしては、知り合いよりも若い気もするが……。」

「それはセーカクではありませんね、わたしは時期が早いというだけじゃなくって、オトーサマが特に大事になさっていたジョセーの子供なんです」

「……へ、そうかよ」

 知人に転生者の妾がいるディアゴスティーノからすると、面白い話ではなかった。

「で、今日はどういったゴヨームキだい? そんなお偉い方が、こんな辺ぴな場所のフェルプールの秘書になりてぇってやって来たわけじゃねぇだろ?」

「そりゃそうですよ」リザヴェータは笑う。「今日は、シャチョーさんが探してらっしゃる、吟遊詩人についてお話しに来たんです」

「……ああ、それか」ディアゴスティーノは足を組んで手を組んだ。「吟遊詩人の男が金借りたままバックレやがったんだ。結構な額の上に女にまで手を出しやがったからな、けじめをつけさせなきゃいけねぇ……。」

「意外と嘘が下手なんですねぇ」リザヴェータは子供っぽい笑顔を浮かべる。

「なに?」

の存在は、わたしもヒジョーにユーリョしております。彼らがどれほどの大きさなのか、どれほど危険なのか、それすらも分からないんです。ヤクザ屋さん程度なのか、それともひとつの侯国のお殿様くらいなのか……。」

「……。」

「だからわたしたちもタイコーして、色んな人たちとお友だちになって、それで彼らのことを探ろうって動き出したんです」

「ずいぶん勝手に話を進めてくれるじゃねぇか」

「事態は絶え間なく流れていきますからね、ユーチョーにはしていられないんですよ。それに、このお話には、シャチョーさんにとってお断りすべきじゃないリユーと、受け入れなきゃいけないリユーがあるんです」

「ほう……」ディアゴスティーノは姿勢を変えた。「……“断るべきじゃない理由”ってのは?」

「まず、わたしが“最初の子”だということです」

 リザヴェータの瞳がオパールのような虹色に輝いた。

使ってわけか」ディアゴスティーノは言う。

 リザヴェータは肩をすくめて「へへ~」と笑った。

「ならよ、“受け入れなきゃいけない理由”ってのはなんだ?」

「それは、わたしたちが“最初の子”だということです」

 転生者の子供たち、その多くが市井しせいに散らばっていたが、一方で一部は五王国の政治の中枢、王宮や軍隊の要職にも就いていた。その差は“最初の子”であるかないかだった。そしてリザヴェータの言うように、転生者の寵愛を受けた女性の子どもで、さらに国家のトップに君臨する彼らに逆らうということは、五王国すべてを敵に回すのと同義だった。

(ったく、面倒な問題持ち込みやがってよぉ……。)

 ディアゴスティーノはクロウを呪いながら天井を見上げた。

「リーズって呼んでくださいっ」

 女は首を傾けて笑った。

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ファントム・クロウ~転生者の娘~ 鳥海勇嗣 @dorachyan

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