※)読者企画〈誰かに校閲・しっかりとした感想をもらいたい人向けコンテスト〉参加作品としてレビューします。
〈まず通常レビューとして〉
探偵が、依頼人に成り代わって「家族の一員」として数日を過ごす、しかしそれでいて、夫であること父であることを疑われない、という奇妙な物語だ。
純文学とタグ付けされているが、確かにテーマそれ自体は哲学的ではあるものの、その実装がミステリー的、ないしはSF的であって、その点をこわがる必要はない。
いやむしろ、少し古い時代のSF風味が懐かしく感じられる作品となっている。人間性への問いかけとは、いつかのSFが得意としていたテーマなのだ。
テーマに触れることがネタバレに通じるのであまり書けないのがもどかしいが、純文学というタグに怖じ気づかずに、気軽に読んでみて欲しい。『奇妙な味』のある作品になっている。
※この改行・空白はレビュー一覧にネタバレ言及が載るのを避けるためです。
〈以後本格的に、ネタバレもありで〉
前述レビューに、昔のSFの匂いがすると書いたが、これは偽りのないところだ。作品から「センス・オブ・ワンダー」を感じるからだろう。一人称による探偵の語りっぷりが、当時のそれに似ていると感じたことも。
純粋に純文学とするには、他ジャンル(大衆小説)の中でそれこそ“記号”的役割を持つ、探偵という語り手は出さない方が良かっただろう。別に会社関係の友人知人、であっても物語は成立したのだから。
読者に対する“記号”の役割として(作中と現実での共鳴を狙って)探偵を配した、とも考えられるが、それにしては実際のところ、探偵があまり探偵らしくはないところが弱含みだった(どちらかというと便利屋の仕事だったし)。
「別人と入れ替わっていても気付かない家族」という要素は、面白く、先を楽しみに読むことが出来た。このアイデアは、エンターテインメント的大衆的ではあるもののとても良かったと思う。第二章の末尾の時点で、ある程度の期待感を持って読み進められていた。
――のだが。
残念ながら、それを第三章でぶち壊しにした感があるのだ。『あの時の依頼は失敗していたということに他ならない』というのであれば、第二章を読みながら感じた「センス・オブ・ワンダー」もまた、まがい物だったのか、との思いに囚われた。第二章で、この先どんな終着点へ連れて行ってくれるのか、と感じた期待が霧消してしまったのだった。
最終的には、超越者のような存在を仄めかしたり、誰もが入れ替わっていて……といった別の解釈へ、一応の着地を見せてはいるものの、それもどこか空々しい。
それは、ムカイサチコが「全容を知っている」ものとして描かれてしまったからだった。夫の行いどころか、『誰かが記号をいれた』と、自分たちを包含する大きな存在ですら既知としてしまった彼女。その存在感は、記号を入れた『誰か』に並ぶほど大きかった。
なぜなら彼女は、『記号』による入れ替わりを可能とした中で、『記号』が通じずに入れ替わりを見破っていたことになるのだから。
ムカイサチコが「理解」を示してしまったことで、物語の中で起こっていた「不可思議なこと」は、実は不可思議ではなく人間の理性と知性で咀嚼できる範疇のことだった、と読めてしまうのだ。
ここに、「センス・オブ・ワンダー」の着地点としていささかの残念さがあった。ムカイサチコを騙せなかったそれは、すでに「ワンダー」ではない。
この結末が、「ワンダー」を殺さないような、それでいて『記号』というものの“怖さ”のようなものを読者に植え付けるような内容で描けていたら、良作とするに躊躇のないものになっていたかもしれない。惜しまれる次第だ。
そうした結末の弱さを助長する結果になったかもしれないのが、第二章の描写の弱さだったろう。
第一章のおそらく半分程度の分量か。ここで、いかに探偵が「怪しまれないか」を打ち出すことで、『記号』の効力を読者に見せつけるべきところを、肝心なそこを避けてしまったように思われた。第一章ではタバコのことなど、細々と描写してきた語り手が、第二章でムカイ家に入った途端、ほとんど内面描写マシンと化して行動を語らなくなる。語られなかった行動、すなわち彼が担ったはずの『父としての記号』『夫としての記号』としての部分こそ、読者に見せるべきものだったのではないだろうか。それとも『記号』とは、身に付けたスーツであり香水といった、外部的な要素でしかなかったのだろうか。
せめて第二章で「記号とはいかなるものなのか」を読者に具体的に提示することが出来ていれば、今の結末の弱さを救うことが出来たのかもしれない。
同様の観点から、こちらは逆に書きすぎになっているのが第一章と序章の部分だ。
極端に言ってしまえば、第一章は書かなくても良い内容ではないだろうか。第二章のようにいきなりムカイ家の前に立った探偵が、「奇妙な依頼を受けた。それは――」と述懐し、進展に応じて短い回想・記憶の反芻を挟めば足りてしまうはずである。その方がツカミも良い。
その部分が、作品全体の半分を占めている。構成上、アンバランスさを感じるところだ。描写も、この第一章では比較的詳細なものの、以降があっさりしたものになってしまい、これまたアンバランスだ。描写の質を作品中で変化させる技法はありえるものの、本作の場合、第二章以降を密にする方が読者への効果を考えた場合に正しいと思われるが、いかがだろうか。
また序章は、現時点ですでに意味があるようには思えなかった。主たる内容は第三章で繰り返されてしまうし、ここで人物の描写をがんばっても、直後の第一章は過去の話にシフトしてしまうのだ。あまり有益ではない。
最後に校閲的に気になった部分を幾つか挙げておきたい。特に序盤に集中するのだが――
『ゴルバチョフの由来』、四十代後半ならゴルバチョフ書記長のことは記憶にあるだろうし、テレビでそれを調べるほどのこともなかろうかと思われる。「なぜ書記長の名前なのか」が分からないと言う意味なのだとしたら、そのように書くべき。
『その頃の俺は以前の事務所から独立して自分の興信所――』のくだり、まるで、初めて探偵という職に就いたかのような述懐になっている。それは以前の事務所時代に思っているはずのことで、独立後に感じるものではないだろう。
『その日は、一昨日に連絡をもらった依頼者――』にある“一昨日”は、本日この時を基準にした物言いなので、『その日は』と回想形式で書かれているここでは、前々日と書くのが相応しい。
『老婆が二人と常連だろうか、初老の男がカウンターで店主らしき男と話しているだけだった。さらに――歳は30代後半ぐらいだろう、――多分こいつが依頼人なんだろう』
「だろう」3、「らしき」1で、狭い範囲に推測の用語、しかも同じ三音の語が密集している。言い回しを工夫して推測の語を減らすか、一部「三十代後半か」などとリズムを変えて、単調さを防ぐようにしたいところ。
『ある程度の目星をつけた』ここでは、その人物が依頼人か否か、ゼロサムの判断なので、『ある程度』という程度問題で語るのは違和感がある。
『然も当然』字義が重なってしまうし、『然も』は「しかも」とも読めるのでやや混乱する。この場合なら『さも当たり前』が自然か。
なお、第一章のみ、章立ての数字が漢字になってしまっている。
これも校閲的に、純文学、というかそうした区別がなかった時代には言われていなかったものの、現代では常識とされる日本語長文のルールについて。
×「まさか貴女から話しかけてくるとは。」
↓
○「まさか貴女から話しかけてくるとは」
台詞の閉じるカッコの前に、句点はいらない。
×「あれからどうなりましたか?その……」
↓
○「あれからどうなりましたか? その……」
文中の「!」「?」記号の直後には、全角スペースをひとつ挿入する。これは台詞、地の文とで共通したルール。