遺品

ゆえ

遺品

 ガタゴトと田舎道を走る馬車の中、スコット・モートン氏は帽子を脱ぎ、白髪の増えた髪を撫でつけながらため息をついた。

「まさか、今更こんなことが起こるとはね…」

 その笑い顔とも泣き顔ともつかない表情を見て、向かいに座っていたトーマス・パーカーは気遣わしそうに頷いた。

「本当に、お気の毒なことですモートンさん。それにしても…」

 トーマスははっとして口をつぐんだ。モートン氏はトーマスの雇い主であり、親子ほど年の離れた紳士だった。

 トーマスの様子に気付いたモートン氏は鷹揚に手を差し向けながら

「いや、いいんだ。どうか気を楽にしてくれたまえ。こんな奇妙なお願いをするんだから、当然私に聞きたいことがたくさんあるだろう」

そう苦笑交じりに言った。

「あ…ええ…では」

トーマスは膝の上で両手を握りしめた。

「もう一度、お話をお聞かせいただいてもいいですか。僕はあなたの会計士で、帳簿のことなら多くのご提案を差し上げることができると思うのですが、こういった…その、風変わりなお話は初めてで…」

「そうだろうね。君のお婆さんなら何かご存知かもしれないが…私も最初は夢だと思ったんだよ。奇妙な悪夢を見た、とね」

 モートン氏は頷き、かすかに唇を震わせながら語り始めた。


 モートン家は田舎貴族と呼ばれてはいても、広大な領地を持つ由緒ある家系だった。

 20年以上前になる。

 その末裔であるスコット・モートンが赤毛の村娘を妻にすると言い始めた。

 当然一族は大騒ぎだ。

 しかし強情な先祖の血を濃く受け継いだスコットを説得できるものはおらず、果ては名を捨て先祖の土地も捨て、メアリと旅に出るとまで言い出す始末。

 赤毛のメアリは晴れてモートン家の妻として迎え入れられた。

 それからの数年は、スコットにとって人生最良の幸福な時だった。

 野の花のように笑うメアリはスコットの太陽だった。

 ある日、雷のように突然、メアリが倒れた。

 スコットは国じゅうの名医を呼び寄せてメアリを診させたが、ついぞその病の原因をつきとめることはできず、メアリは若く美しい姿のまま世を去った。

 スコットは悲しみのあまり、彼女と過ごしたカントリーハウスを閉ざし、本来は公務のための短期滞在を主としていたタウンハウスを居とし、猥雑な町の暮らしに身を任せた。

 そして気がつけばやもめのまま50を超えた。

 がむしゃらに続けていた公務にも疲れていたスコットは、叔母たちの勧めもあって20年ぶりに懐かしいカントリーハウスへ戻ってきた。

 それが、ひと月前のことである。

 埃を払い、家財を運び入れ、ようやく落ち着いた日の夜。

 居間で読書をしていたスコットの耳に、かすかな声が聞こえた。それは歌うような囁くような、甲高い奇妙な声だった。

 ふと窓を見たスコットの目に、赤い服、赤い帽子の小人の姿が映った。

 驚いて立ち上がったスコットの膝から、読みかけの本が落ちた。

 ドサッ、という音とともに、小人の姿は消えた。

 見間違いだ。引越しの疲れが出たのだ。

 数日間そう自分に言い聞かせ、ようやくあれは夢だったのだと実感出来るようになった頃、スコットの前にふたたび小人が現れた。

 今度は昼間だった。

 赤いとんがり帽子、赤いチョッキ、しわだらけの醜い顔、長い耳。

 明るい午後の日差しの中、庭を散歩していたスコットの前に唐突にその姿を見せた小人は1匹ではなかった。

「メアリ、メアリ、我らの与えたものを返せ」

 しわがれた甲高い声であったが、はっきりとそう聞こえた。

 数匹の小人がスコットの周囲を囲み、歌うようにそう繰り返した。

「メ…メアリは、もういない。死んだのだ」

 スコットはそう言ってみた。

 小人は歌うのをやめない。次第にスコットと距離を縮めながら、ますます声を張り上げて歌い続けていた。

「な、何なのだ?お前たちがメアリに与えたものとは」

 スコットは己の内の威厳を振り絞り、低く鋭く小人に問うた。

 ぴたり、と小人たちの動きが止まり、そしてスコットの正面にいた小人が赤い口を開いてニタリと笑った。

「ちから」

 そう言うと、突然強い風が吹いた。舞い上がった砂埃に目を伏せた寸の間の後、小人たちの姿は消えていた。


 語り終え息をついたモートン氏は、すこしばかり興奮しているようで、白い頬がわずかに上気していた。

「…そ、それで、メアリさんに与えられたものは、何だったのですか?」

 トーマスはモートン氏の様子を気にしつつ、好奇心を抑えられずに尋ねた。

「ふむ…それがね…」

 モートン氏は馬車の窓から外を眺めながら、ぼんやりと答えた。

「…こんなことを言って、気が違ったと思われると困るんだが…」

 しばしの迷いの後モートン氏は振り返り、にっこりと笑いながらトーマスに言った。

「メアリは、魔女だったんだよ」

「…え…?」

 固まったトーマスを見て、モートン氏はぷっと吹き出した。

「…え…あの…?」

「いや失礼。魔女だ、というのは嘘でも冗談でもない。彼女は不思議な力を確かに持っていた」

「は…あ…」

 どう返答してよいか迷っているトーマスを穏やかに見つめながら、モートン氏は朗らかに続けた。

「魔法と呼ぶにはあまりにささやかだがね。枯れた花を再び咲かせたり、突然の来客を予言したり。使用人たちには黙っていた。なんでもないことで大騒ぎするから」

 トーマスは同意を示すために頷きながら、ならば自分は使用人たちとは違うと思われているのだろうか、と考えた。

「もちろん、君は彼らとは違うさ」

「えっ?」

「彼らは学がない。君は不可思議な現象と現実とをきちんと分けて考える分別がある。そうだろう、トーマスくん」

「…モートンさん、いま…」

「そう。メアリの力はいま、私の中にあるのだよ。彼女が死んだあと、その力を受け継いだのだと知った時はさすがに驚いたけれど」

 今ではすっかり使いこなしている、と話すモートン氏の表情は急速に蔭った。

「では、小人は…力を返すとは…」

「そこなんだよ、問題は。気づいたら、私の中に力はあった。だがこれを誰かに移したり、なくしたり出来るものなのだろうか」

 モートン氏は弄んでいた帽子を頭に乗せた。

「もうすぐ屋敷だ。ともかく何か手がかりを掴みたい。私一人では心が挫けてしまいそうだし、滅多な者には頼めなかったんだ。礼は用意してあるよ。君の婚礼と新生活に必要なだけね」

 トーマスはかぁっと頬を染めた。

 隠し立てするようなことではないのだが、話してもいないプライベートなことをいきなり指摘されるのは気分の良いものではない。

 しかし報酬もさることながら、この貴族の言いつけに逆らって今から1人で町へ帰るなど、とてもできない相談だ。

 そんなことをすれば食い扶持も信用も全てなくなってしまうのだから。


 やがて馬車は門を抜け美しい庭を通り過ぎて屋敷の前に着いた。

 陽は傾き、空は茜から藍へと色を変えていた。


「早速で申し訳ないんだが、夕食の前にメアリの持ち物を改めるのを手伝ってもらえるかな」

 トーマスは馬車の一件でモートン氏の言動を怪しく感じていた。

 だからといって、モートン氏の問いかけは半ば命令だ。頷かざるを得ないこともわかっている。トーマスは、はいと頷き、荷物を御者にまかせてモートン氏の後に続いた。

「彼女の持ち物は、持ってきたものも、ここへ来てから買ったものも、すべてこの部屋に収めてある」

 モートン氏は廊下に置いてあった燭台のろうそくにマッチの火をうつしながら言った。

 そこはかなり奥まった部屋で、重厚な扉には鍵がかかっていた。

 モートン氏は腰の鎖に繋がった鍵束から一つを取り出し、愛おしそうに眺めた後、それを鍵穴に差し込んだ。

 両開きの大きな扉の片方を、燭台を手にしたモートン氏が、もう片方をトーマスが、それぞれゆっくりと押し開いた。

 …と、部屋の中で何かが動いた気配がした。

 トーマスはびくりと動きを止め、暗闇に目を凝らした。

「使用人たちも入らせていない。中にあるのはメアリの遺品だけだ」

 モートン氏はそう言うと、先に立って部屋の中へ入っていった。

 ろうそくの光に照らされた部屋はさほど広くなく、壁にそってタンスやドレッサー、ベッドなどが整然と置かれていた。

「彼女の物はここにあるのが全てだ。文字が読めなかったので本はないが、コンパニオンに代筆させた日記の類がいくらかあるはずだ。あとは、まじないめいた小物でもあれば…」

 モートン氏は家具類の中から小さなテーブルを引っ張り出し、そこに燭台を置くと、メアリの遺品をひとつずつ引っ張りだし始めた。

「あの、モートンさん…」

「なんだね」

「明日、にしませんか?窓からの明かりもないし、こんな暗い中では日記を見つけても読めないのでは…?」

 モートン氏は首を横に振った。

「だめなんだよ、今日でなければ。そう、もっと早く君に相談すればよかったかもしれない。実は…」

 その言葉が終わらないうちに、部屋の隅からキイキイと奇妙な鳴き声が聞こえてきた。暗がりから、次第にその声は近づいて来る。

 思わず入り口を振り返ったトーマスの目に、閉ざされた扉が映った。

「い、いつの間に…モートンさん、扉が…あっ!」

 トーマスから、小さなテーブルを挟んだ向こう側、ワードローブを背にしたモートンの足元に膝ほどの背丈の小人が数匹、じりじりと距離を詰めていた。

「モートンさん!」

「スコット、スコット、力を奪ったスコット、スコット、スコット、我らの敷物にしてくれる」

 金属を擦り合わせたような、しわがれた甲高い…小人の声だったのだ。

 小人たちはトーマスには目もくれず、モートン氏を追い詰めていた。トーマスはぎゅっと拳を握りしめ、テーブルの上の燭台を取ると、ゆっくりと小人に近付いた。

「ちがう…奪ったのではない…奪ってなど…」

「敷物!敷物!スコットは敷物に!」

 モートン氏は迫る小人から逃れるように、背後にあったワードローブにしがみついた。

 飛びかかろうとする小人、小人を止めようと駆け寄るトーマス。そこへ、モートン氏もろともメアリのワードローブが倒れこんできた。

「メアリィィィィ!」

「モートンさん!」

 ワードローブの内側に取り込まれるように倒れたモートン氏の叫び声と、押しつぶされた小人の悲鳴が部屋に響いた。

 トーマスは慌ててワードローブを起こそうとしたが、生き残った小人たちはうつ伏せになったワードローブの上に飛び乗り、ますます興奮した様子で足を踏み鳴らした。

「やめろ!」

 トーマスは燭台を持ったまま、片方の手で小人を払いのけようとした。が、振り回したその腕に、1匹の小人が飛びついてきた。

「スコットは敷物、スコットは敷物!」

 呪文のように唱えながら小人はトーマスの腕に噛み付いた。

「ゥアァッ!やめろ!」

 トーマスはぶんぶんと腕を振り回すが、小人は離れない。その上、他の小人もトーマスの方へ集まり始めていた。

「くそっ!」

 トーマスは燭台の火を小人に向けた。小人は激しい悲鳴を上げながら腕から飛び退いたが、それを見ていた小人たちがトーマスに飛びかかってきた。

 顔、手、足に取り付いた小人たちは鋭い牙でところかまわず噛みついてくる。

「ああああ!」

 瞼を食いちぎられ半狂乱になったトーマスの手から燭台が落ちた。

 トーマスとモートン氏との間にじわじわと炎が広がる。

 と、倒れたワードローブが動いた。誰も手を触れていないのに、ひゅっと浮かび上がり、もとの位置へとん、と戻ったのだ。

 倒れているモートン氏の上には、白い服が1着だけ被さっていた。

 床を舐めるようにモートン氏に近づいた炎が、それへ燃え移った。

 瞬間。

 ブアァァッ!

 何かに引火したように炎は激しく燃え上がり、部屋は昼間のように明るくなった。

 モートン氏の傍に、ウェディングドレスを着たメアリがオレンジ色の炎に巻かれて立っていた。

「メアリ!メアリ!返せ!返せ!」

 トーマスを襲っていた小人の1匹がメアリに気づくと、他の小人たちも一斉にキーキーと声を上げ始めた。メアリに向かって駆け出す小人たち、そこへ炎の玉が降った。

 メアリの姿をした炎は吹き上げ、天井にぶつかり、小人たちに狙いを定めて落ちてくる。

 1匹、2匹、炎の玉が小人を潰して消えた。最後の1匹の小人へ放った炎だけは青白く、小人はそれを受け止めた。

 炎のメアリは次第に光を失くし、同時に部屋をなめ尽くしていた炎も消えていった。

 青白い光を受け取った小人は、恨めしそうにギイギイと唸りながら、部屋の隅の暗がりに消えた。


「本当に、何も覚えてないんですか?」

 眩しい光の注ぐ庭で、トーマスはモートン氏の車椅子を押しながら尋ねた。

「覚えてないも何も、小人なんてお祖母様のお伽話だろう」

 はは…とモートン氏は力なく笑った。

「それにしても、会計士の君に幻想作家の素質があったとはね」

「でっ、ですから…創作ではなく…」

 トーマスとモートン氏は屋敷の使用人によって発見された。

 メアリの遺品を収めた部屋には小火の痕があり、トーマスとモートン氏は火事を消そうとして倒れてきた家具や家財で怪我をした、ということになった。

 さすがに医者に話すのは憚られると感じたトーマスは、ようやく傷の癒えたモートン氏と面会できた今日、あの日の出来事を残らず語ったのだが…。

「そういえば、私は久しぶりにメアリの夢を見たよ。あのオレンジ色の燃えるような髪がいっそう美しくてね。私に微笑んでいた」

 嬉しそうに話すモートン氏を見て、ため息をひとつつきながらトーマスは

「メアリさん、何かおっしゃってましたか?」

と聞いた。

「うん、そういえば…返しておきます、と言ってたな。何のことだか」

 …説明、すべきだろうか…。

 不思議そうに顎を撫でるモートン氏を見つめながら、しばし悩むトーマスだった。

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遺品 ゆえ @kazetsuki

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