全裸ニートの超然術

血血本与血

第1話

 32歳の夏、大学多多多浪人生だった私は、両親からの勘当宣言を機に大学進学を断念した。

 本棚に収まり切らず、直接床に積まれている参考書たち(通称、数研タワー)をダブルラリアットで薙ぎ倒し、

「これで、自由になったのだ!」

 と高らかに宣言する。

 時刻は深夜2時。

 外には夜のとばりが降りて久しい。

 自分の姿がカーテンのないガラス窓に、くっきりと反射して映っていた。


 よわい、32歳にして、改めて自己の姿を見つめなおす。


 毛深い男が、両腕を広げて、やや腰を捻り、さながら前衛ダンスの踊り手のようなポージングで、学習書籍の海の中に突っ立っている。


 俗物的な、あまりにも俗物的な姿だった。


 32歳、職歴なし、彼女なし、扶養家族なしという、圧倒的なテータスからは想像もできない、異様な俗物臭さが醸し出されているではないか。


 これはよくない。

 実によくない。


 何を隠そうこの私、生粋の超然主義者である。


 そんな私が焦燥している。

 焦燥は、俗物の所業である。

 社会に属さず、家族からも見放されたエリート世捨て人としては、大変恥ずべき醜態である。


 この焦燥は、漠然とした不安に因る。

 不安は常に、克服されなければならない。


 それが、超然主義者の作法である。


「エイッヤーッ」


 手始めに、私は自分の胸毛を毟り取った。

 そしてそれを部屋中にばら撒いた。

 私の胸毛は大変剛毛で、毛根もしぶとく、ちょっと引っ張ったくらいではびくともしない。

 それを、千切っては投げ、千切っては投げ、さながら塩を撒く力士の様に雄々しく腕を振りながら、自室の中を徘徊する。


 たちまち部屋内がオランウータンの飼育小屋みたいに毛だらけになった。


 ほんの少し超然性を取り戻せた気がしたが、こんな程度では全然足りない。


 足りないのである。


 屋内だけじゃ物足りなくなってきた私は、自分の姿が映るガラス窓に体当たりする(ちなみに、私の部屋は2階である)。


「フンッ」


 ガラスが砕け散り、私は外に身を投げ出す。


 自由落下。

 夜風が心地よい。

 なんて感想を抱くも、一秒と待たずに地面にキッス。

 やや遅れて鋭利なガラス片が全身に降り注いだ。

 

 だが、体毛が濃すぎるので全く怪我をしなかった。


「だめだ、無傷なんて、俗物丸出しじゃないか!」


 またしても、私は己が醜態に憤った。

 超然主義者は、傷だらけであることがデフォルトなのである。無傷であることは、自分の俗物性を吹聴して回るような物なのだ。温室育ちの若人は覚えておくといい(しかしマネはするな)。


 克己の精神に衝き動かされた私は、ガラス片だらけの地面でゴロゴロとローリングを繰り返した。


 それでも、全くの無傷。

 恐るべし、我が体毛。


 けれども、体毛に無数のガラス片が絡まって、街灯の下に立つと、全身がキラキラと煌めいていた。

 それはそれで超然としている……といえる気がした。

 怪我の功名ならぬ、無傷の功名という所か。


 にわかに自信を取り戻した私は、スキップしながら住宅街を駆け抜ける。

 国道を横断し、更に向こうへ。


 途中、交番の前を通り過ぎる。無人だったのか、私を制止する公僕は居なかった。

 またしても、彼奴らが税金泥棒であることが証明されてしまったわけである。

 しかし、私は超然主義者。

 税金の使い道なんて気にしない。

 そもそも、納税したことなどないのであるから。


「滅びろッ、福祉国家ッ」


 そんなことを呟きながら深夜の湯河原温泉に到着。

 奇しくも、升添マスゾエ氏が旅館にエントリーする瞬間であった。

 何たる奇遇。


 いや、運命と呼ぶべきか。


「もしもし、ミスター。すこし話がある」


 背後から話しかけると、氏はギョロロロンと瞳を煌めかせ、振り向いた。

 氏は若干驚いたかのような表情をしたが、小物らしく悲鳴を上げたりはしなかった。

 むしろ、威圧するような調子で

「何者だ貴様! 第三者を呼ぶぞ!」

 というのだから、大したものである。


 私は彼に、超然の素質があると見て取った。


「私がその、第三者だ」


 私は手短に自己紹介を済ますと、ガラス片塗れの肉体で、升添(マスゾエ)氏に大しゅきホールドを喰らわせた。

 胴体を足でホールドしつつ、髭面で氏の禿頭に頬ずりする。


「こら、待て! チクチクするよッ、チクチクするよッ、あんた!」


「それはあんたが俗物だからだ。

 そんなあんたに、超然を教えてやる」


「あっ、がっ」


「ほーれほれほれ」


「アアッ! 私が悪かった! サツキ! 許してくれ!」


「ほーれほれほれ」


「お”っ、お”っ」


 ……。


 10分後、

「ゾエッゾエッ」


 言葉を失った氏の姿がそこにはあった。


 氏はもはや、「ゾエ」と泣くだけの動物になっていた。

 なんとも無様な姿であるが、それはそれで、超然である。


 一仕事終えた私は、道中の疲れを癒そうと、温泉に浸かった。

 湯河原の湯は、大変良い塩梅であった。

 鼻歌交じりに夜空を見上げると、満天の星が煌めいている。

 まるで私の体毛に散りばめられたガラス片の様に、神々しくトゥインクルしている。

 うとうとと微睡み、目を閉じる。

 そして、これからのことをぼんやりと考えた。


 父のこと、

 母のこと、

 就職のこと、

 年金のこと、


 おっと、いけない。


 またこれだ。


 すこし気が緩むと俗物思考に陥ってしまう。


 まだまだ精進が足りていない。

 早急に超然とする必要があった。

 のんびり温泉に浸かっている場合ではない。


 バッシャン(with the Passion)。


 私は温泉から飛び出した。

 水柱が立ち昇り、一瞬、視界が覆い尽くされる。

 再び視界が開けると、目前には升添氏。

 しかも四つん這いでスタンバイ。

 おまけにチャイナドレス姿と言う念の入りようだ。


 なるほど。

 超然としている。


 私は氏の超然に応えるべく、颯爽とその背中に跨った。

 無論、衣服は来ていない。

 衣類はすべて、実家とともに捨て置いてきた。


「いくぞ、升添マスゾエ!」

「ゾエッ!」


 かくして私たち二人は、途方もない冒険の旅へとファーラウェイしたのであった。

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