第7話
爺様のあとをつけて行ったんだ。あとで、着物に血が飛ぶといけねえと思って、店先にかかっていた藁の蓑をかぶってさ。で、しばらく行って、角を曲がったところで、ふと、あたりを見ると、誰もいねえんだ。気が付いたら、おいら、そこに落ちていたでっけえ石ころを拾って、爺さんの頭を、後ろから、目一杯殴りつけたんだ。いやあな音がして、爺様はそこへぶっ倒れちまった。頭から、真っ赤な血がどくどく出てきて、おいらもう怖くて、怖くて、爺様の懐から銭の入った袋を引き抜くと、着ていた蓑を掘割へうっちゃって、店まで駆けて帰えってきたんだ。店っつぁきでがくがくしながら、とってきたお足を数えてみたら、十一両あった。で、番頭の見てねえすきに、お店のお足入れにこっそり銭を入れて、店の帳面も、十一両合うように、ごまかしたんだ。それから、おいら、これで、お父っつぁんも、なんとかなるかあって、思ったんだ」
「お前、それは、みんな本当なんだね」
せんは、言い終わってうなだれる油吉の額に白い手を当てながら、改めてそう問うた。
油吉は、黙ったまま深くうなづいた。
せんは、また大粒の涙を両の目からこぼしながら、
「なんて、馬鹿な子なんだろうねえ。お父っつぁんとおっ母さんのために、こんなことをしちまうなんて」
と、苦しそうな声で絞り出すように言った。
せんは、油吉の手を引いて、縁吉の眼を盗むようにしながら、店の外へ出た。そして、油吉が蓑を投げ捨てたという場所まで案内をさせた。
そこには、確かに水浸しになった蓑が一つ、木の葉に紛れて浮掘割に浮かんでいた。それは、水面を覆う落葉の色とよく似ていたため、一見しただけでは気が付きにくいものであった。
店に戻ってからも、油吉は魂の抜けたようにぽかんと立ち尽くしたなり、もう口を聞く気力も、謝る気力も失ってしまったようになっていた。
せんは、寝床に使っている部屋に油吉を座らせると、
「じゃあ、いいかい。お父っつぁんに、話して来るよ」
と油吉に言い残し、部屋を後にした。
じりじりとした時間を、油吉は、薄暗く隙間風の通る部屋で、正座で待った。もう、父からどのような仕打ちを受けようとも仕方がないと、油吉はおよそ子供らしくない覚悟を、この時すでに心の中にしていたようだった。
家の中は、不気味なほどに静かだった。こめかみを通う血の音さえ響いて聞こえるほどの、しんと静まり返った時間であった。
しばらくして、縁吉が障子を開けて油吉の前に現れた。その途端、油吉は両手を畳につき、その上に額を押し当てた。
「油吉」
低く静かな声で、縁吉が油吉へ呼びかけた。
「はい」
油吉は、父の前へひれ伏したまま、小さく返事をした。
少し間をおいて、
「おっ母あから、みんな聞いたぞ。おめえの言ったことは、みんな本当だな」
と、縁吉が淡々と油吉に問うた。
油吉は、同じ姿勢のまま、
「はい」
と、しっかりとした口調で返事をした。
「ふう」と一つ腹から息を吐いた縁吉は、かしこまる油吉の前に来て、胡坐をかいて座った。
「顔を上げな」
縁吉にそう言われ、油吉は恐る恐る額を上げると、父の顔を下からのぞき見た。
縁吉は、目の前のわが子になんと声を掛けたらよいか、思い悩んだような表情で、兎のように細かく震える油吉の顔を、しばらくの間じっと見つめていた。
そして、そのあと、ぐっと油吉の瞳に見入るように目に力を入れると、
「ったく、おめえって野郎は」
と、吐き捨てるように、一言そう言った。
紺屋(こうや)の年越し 矢口晃 @yaguti
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます