第6話 100万回生きたねこ
正直、非常に好きな作品である。
何も愛さないまま百万回も生まれ変わり、そのことだけを自慢するネコ。そして、彼は百万回目にして、ようやく真に愛するもの、つまり最高の伴侶を見つけ、長い輪廻に終止符を打つ。
じつに深い話である。その生まれ変わりの暗示するものを感じて、大人でも涙する人が多いと聞く。
だが、ちょっと待っていただきたい。
私が問題にしたいのは、この百万回、という回数である。
ネコの起源は、リビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)である、とされている。
このことは、分子系統学等によっても裏付けられている。アメリカ・ドイツ・イギリス共同による研究では、世界のネコ九七九匹のミトコンドリアDNAの解析を行った結果、現在飼育されているすべてのイエネコの祖先は、十三万と千年前の更新世末期に、中東の砂漠に生息していたリビアヤマネコであるとされた。
また、ネコの飼育を始めたのは、紀元前三千年のエジプト人である、とされている。信頼できる最古のネコ飼育の記録は、約九千五百年前のキプロス島の遺跡にあるのみである。
ここまで来れば、賢明な読者の皆様は、私が何を言いたいのかお分かりであろう。
そもそも、人類がネコを飼育し始めてから一万年そこそこしか経っていないのだ。たとえ飼われていなかったとしても、『イエネコ』の祖先と呼べるものが生じたのが、約十三万と千年程度前のことである。
では、この主人公のネコ。いったい、どうやって百万回も生まれ変わることが出来たのであろうか?
ネコの成長は早い。仮に、どの人生でも一年と経たずに死亡したのだとして、平均して年に二回程度ずつ生まれ変わったとしても、五十万年は必要なのだ。
五十万年前、といえば北京原人の生息していた、とされる時期である。
マンモスがシベリアに現れるのが、それから更に十万年の後であり、二十三万年前になって、ようやくネアンデルタール人が出現する。
最初の人類であるホモ・サピエンスの登場は、それから三万年の後、今から二十万年前のことだ。史上もっとも長いとされている愛も、一万年と二千年前からであることが確認されているに過ぎない。
五十万年前に、存在もしないネコが、存在もしない人間に飼われていたはずもなく、つまり、誰かの飼い猫として、百万回も生まれ変わることはほぼ不可能なのである。
では、どうやってこのネコは百万回も生きたのか?
疑問を解き明かすべく、息子のサイエンス図鑑をめくっていた私は、ここで、興味深い記述を見つけた。ネコの原種、リビアヤマネコの更に祖先となる生物は、六千万年前のミアキスという中型肉食獣である、という内容である。
しかも、このミアキスは現在のネコと大きさや習性が非常に似通っていたと考えられているのである。
なるほど、もしかするとこの主人公のネコは、ネコがネコとなる以前から、生まれ変わり続けてきたのではないか。
六千万年前から輪廻転生が可能、となれば、一年以内に死ぬ必要もない。
絵本の中では、老衰で死ぬ場面もあるのだから実際もっと長生きしたであろう。それぞれの人生、いや猫生において、平均して十年程度ずつ生きたと仮定しても、一千万年もの幅がとれるではないか。
では、そのころの飼い主は一体何者だったのであろうか?
ここで私は、『ム○』という、とある月刊雑誌に書かれていた内容を思い出すことになる。
そう。『超古代文明』の存在である。
だが、かのアトランティス文明ですら、一万二千年前のこととされる。一千万年前となると、さすがに……と思っていたら、あるある。
北アメリカのパラクシー川流域の化石発掘現場において、なんと恐竜と人の足跡が、同所で多数発見されているではないか。
恐竜絶滅が約六千六百万年前とされているはずだから、そのくらい前には超古代文明はあったと考えて差し支えなかろう。
つまり、この百万回生きたネコは、超古代文明から先史文明にかけて、何度も生まれ変わったのであろう。その間には世の中の価値観も常識も変わり、それどころか、人間以外の生物、あるいは「
むろん、その間にはネコという存在そのものもまた、変わっていったに違いない。
だが、彼はその間も孤独であり、誰も好きになることはなかった。何故か?
それについて私は、以下のような仮説を立ててみた。
白いネコを最後の伴侶として選んだところを見ると、そういう個体が彼の好みであったのだろうと思われる。しかし、先祖ミアキスの時代にも、原種リビアヤマネコの時代にも、そんな白い個体は、突然変異でもない限り存在するはずもない。
では、彼はどうして会ったこともない、白い個体を自分の好みにしたのか?
いや、それを好みとしたということは、会ったことがないわけはないだろう。
彼は、遙か過去に白い個体に会っているのだ。
そう考えると、すべての謎が解けてくる。
答えは、前述した突然変異だ。色素のない白色個体は、数万匹に一匹ではあるが、どんな生物でも現れる可能性のある突然変異なのだ。
彼は、その個体を見たことがあるのだ。そして、その個体に尋常ならざる執着を抱いた。
しかし、それは配偶者としては選択できない個体であったのだ。
何故か?
答えは簡単である。それは彼の血縁者であったからだ。
それが、母親であったのか、姉妹であったのかは分からない。だが、遙か一千万年前、彼は白い突然変異個体に愛情を注がれ、そして愛情を抱いた。
生まれ変わっても、その思いは変わらなかったが、周囲にいるのは野生色のバリエーションを持つメス個体ばかり。たとえ百万回生まれ変わろうとも、再び白い個体に会える確率は極めて低かったのであろう。
白い個体に並々ならぬ執着を持つ彼が、野生色個体を伴侶として選ぼうはずがない。
現代に近くなると、家畜化されたイエネコの中に、真っ白なネコもバリエーションとして固定された。では何故、現代に近くなっても、彼は白い個体に巡り会えなかったのか?
本文を見ると船や部屋に閉じこめられ、孤独に飼われていた場合が多いようだ。偶然、外で出会う別個体にも、白い個体はいなかったのであろう。
ある時、誰の飼い猫でもなくなったことで、自由にメス個体を探す機会に恵まれ、ついに白い個体と巡り会い、生涯の伴侶を得ることが出来た、と考えるのが自然なのではないだろうか。
こう読み解くと、この作品が非常に暗示的な作品であることがわかる。
百万回の生まれ変わりは、人生の目的を捜す旅であると同時に、マザコンなのかシスコンなのかは分からないが、男が幼少期から執着する性的な象徴を探す旅でもあったのだ。
ユングの仮説によるところの、男性が自分の中に作り上げる、永遠にして理想の女性性を持つ『アニマ』。
仕事や生活などの現実を無視して、それに延々と執着し続け、時間を無視し、自身の生命すら投げ打って、ストーカー的に理想の女性を探し求め続ける男。
それを暗示しているのが、この、百万回生きたネコの真の姿であるのだろう。
心の琴線に触れ、これに涙する大人が多いのも分かる。
たしかに、素晴らしい作品であるが、この作品を愛するあなたに敢えて言いたい。
もっと大人になれ。
現実はそう甘くない。
理想の女性など、あなたの心の中か、二次元にしかいないのだ。
現実にそんな女性に出会えた、というあなた、注意するがいい。その女性は演技をしている。あなたに合わせているだけだ。
大人の男ならば、もっとありのままの、そう、野生色のミアキスのような女性を、ありのまま愛そうではないか。
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