第3話 そらまめくんのベッド


 ソラマメ=種子に意思があるとしたら、それを産み出す植物体は、はたして何なのであろうか?

 これは、この作品を読んだ誰もが突き当たる疑問だろう。

 登場するのはソラマメだけではない。落花生、枝豆、小豆など、様々な豆が登場し、すべてが歩き、しゃべり、動く。

 彼等はただのマメ科植物の種子ではなかったのか?

 彼等に意思があるというのなら、マメのツルには意思はあるのかないのか?

 さらにもう一つの驚愕は、彼等が『ベッド』と称して保持している『さや』の存在である。動物で言えば子宮に当たるその器官を、親植物体からちぎり取り、持ち歩くのだ。

 しかもここで気づくのは、彼ら種子が一種類あたり、それぞれ一個しか登場しない。という点だ。

 ご存じの通り、豆科植物のさやには通常、複数の種子が収められている。

 ところが、さやを保持し、私物化しているのは各種一個ずつの種子達なのだ。

 彼らの兄弟である、同じさやから生まれた他の種子はどうしたのか?

 たしかにいたはずなのに、今はいないということは…………

 そこにさやを巡っての、血みどろの奪い合いがあったであろう事は想像に難くない。そして、おそらくその奪い合いに敗北した『兄弟』は、彼等の手で土に埋められ、発芽の時を待っているに違いない。

 それだけの戦いを経て、勝ち取ったものであるからだろうか? 彼らのその『ベッド』に対する執着は、異常とも言えるものだ。

 種子が熟し、さやから出てしまえば、本来であれば種子にとってさやは不要物だ。それを持ち歩き、そこで就寝するだけでも異常なのだが、さらに他種のさやにまで興味を示し、それに収まりたがるなど、正気とは思えない。

 主人公である「そらまめくん」が、他のマメ達の要求を断るのは至極当然といえる。

 ところが事件は起きてしまう。

 そらまめくんの『ベッド』すなわちさやは、何者かによって盗まれてしまうのだ。

 これを、いい気味だと噂し合うマメ達。異常の極致である。何故なら、もともと借りてもどうしようもないものを、貸せ、と迫っていたのは彼らなのだから。

 考え直して、彼に自分たちの『ベッド』を貸してやろうとする行動も意味不明だ。

 さやは彼らの『ベッド』つまり寝具なのである。

 ならば、そらまめくんにさやを貸した場合、彼らはどうやって就寝するのか?

 その辺で就寝できるのであれば、さやなどもともと必要ないはずだ。

 あるいは、全員がグルになってそらまめくんのベッドを隠し、彼を体に合わないベッドに寝かせておいて、自分たちはそらまめくんのベッドで寝ようとしているのではないか? などと、あらぬ疑心の湧いてくる読者もいるだろう。


 だが、そう考えるのは、少々早計である。

 彼のベッドを奪っていったのは、ウズラであったのだ。

 これを、ウズラの習性からしておかしい、と感じる方もおられるかも知れない。巣も作らずに、さやに卵を産むなどあり得ない、と。

 だが、この点について私は、疑問は感じない。

 何故なら、ウズラは地面のくぼみに枯れ草などを集めて敷き、そこに産卵する習性があるからだ。つまり、植物体から離れて時間の経ったソラマメのさやを、枯れた植物、とみなして巣材にする事は、全くあり得ない話ではないのだ。

 だが、この時産んでいる卵を見て、別の大きな疑問がわき起こる。

 産まれていた卵は、なんとたったの二個なのだ。

 ウズラは通常、7~12個もの卵を産むのが普通なのに、である。

 これは一体どういう事であろうか? 

 ウズラのような地上に巣を作る小型鳥類には、天敵が多い。ワシ、タカ、フクロウ、カラス、キツネ、タヌキ、テン、アナグマ、イタチ、ヘビ……そしてもちろん、人間。

 ざっと思いつく限りでも、これほどの捕食者がいるのだ。

 卵が産み落とされてから、まだ飛べない雛の期間、彼らはこうした捕食者の脅威にさらされる。飛翔できるようになるまでの約二十日間、隠れ、逃げ、耐えて育つのだ。

 仮に、七個~十二個もの卵を産み、それが無事孵化したとしても、無事に成鳥にまで育つのはほんの一握り。これが厳しい自然の摂理なのである。

 もし彼らが、たった二個しか卵を産まないのであれば、すぐにも滅びてしまうだろう。

 だが、ここでもう一度考えてみよう。何故卵が二個だったのか? そして、何故ソラマメのさやを必要としたのか? もしかすると、この物語の裏に恐ろしい事実が隠されているのではなかろうか?


 じつは元々は産卵数が、二個ではなかった、としたらどうだろう?

 実際には、十個前後が産卵されたのだ。

 それも、枯れ草を敷き詰めた正常な巣に。

 ところが、それを襲ったヤツがいたのではないか。それはカラスだろうか? キツネだろうか? 特定は出来ないながらも、姿の見えないこの恐るべき天敵について、少しばかり考察してみよう。

 ウズラの抱卵期間は十六日~二十一日である。たしかに、そらまめくんがうずらを、どの程度の期間見守っていたかは、明確には書かれていない。だが、奪われてから何日も探し回り、さらに発見してからも数日、となるとおそらくは約二週間あってもおかしくはない。

 つまり、ウズラはベッドを奪ってベッド上に産卵したのであって、すでに産卵してあった卵を、ベッドに乗せたのではないのではないだろうか。

 では、何故たった二個を、ソラマメのさやに産み付けなくてはならなかったのか?

 おそらく、ウズラは産卵した卵を、いったんすべて何者かに捕食されてしまったのだ。

 しかし、鳥類は一度に卵を産むわけではない。何個かずつ、数日を掛けて産卵する。その時点で卵をすべて産みきっていたわけではなかったのだ。そして体内にあった残り二個の卵を無事に孵化させるため、そらまめくんのベッドを必要としたと考えられる。

 要するに、最初の巣を放棄する必要があったのだ。

 再度敵が襲って来る可能性を考慮して、最初の巣を放棄し、ありあわせの材料の上に産卵するほど親鳥は焦っていた。相手はそれほどまでに執拗で、狡猾な捕食者であったのだろう。

 これだけのことでは、捕食者を絞る事は出来ない。上記の捕食者達は、どれもそれなりに頭が良く、また獲物に対する執着が強いからだ。

 だが、ここでウズラが選んだ場所を見ていただきたい。

 周囲を背丈の低いエノコログサに囲まれた、かなり開けた草原である。

 そして、植生が非常に貧困である事にも注目したい。見受けられるのは、コマツナギと思しき黄色い花を付けた豆科植物、オオバコ、カヤツリグサ、メヒシバ、カラスノエンドウらしきもの、スベリヒユ、ノシバである。それ以外はまだ特徴が見られない芽生えばかりだが、イネ科もしくはスゲ科、カヤツリグサ科などの単子葉植物ばかりだ。

 不思議な事に、こうした開けた草地に必ず見られる外来種、セイタカアワダチソウやヒメムカシヨモギ、ブタナなどはまったく見当たらない。

 つまりこの場所は、比較的頻繁に草刈りの行われる乾燥した草地であり、オオバコやコマツナギなどから見て、かなり人間による踏みつけも多い事が推測される。

 このような環境下に避難してきた、ということは捕食者はこのような環境には現れない、もしくは現れにくいものではないかと推定できるのだ。

 つまり、上空から餌を探すカラスや、草刈りを頻繁にされる河川敷にもよく見られるキツネ、タヌキ、イタチ、ヘビは除外できる。また、もっぱら雛や親鳥を狙い、卵には見向きもしないワシ、タカ、フクロウも除外していいだろう。

 残るはテン、アナグマである。

 ただ、テンは里山にも現れるが、どちらかと言えば深い山林に多く見られる。このような人の多い場所近くに住み、新しい巣を襲ってきそうもない敵といえば、アナグマの方であろう。つまり、ウズラの巣を襲ったのはアナグマである可能性が高い、といえよう。

 もちろん、上記の生物以外にもアライグマやハクビシン、ネコ、イヌ、人間など、考え得る捕食者はまだ他にもいる。それらでない、とは言い切れないが、アナグマである可能性は非常に高いのではないだろうか。

 こうして考えていくと、ウズラの周囲にはいかに多くの捕食者が存在し、産卵から無事巣立つには様々な障害をくぐり抜けなくてはならない事が分かる。

 そらまめくんは、彼らを孵化まで見守ってやるわけだが、彼が見送った後二羽の雛が二羽とも何事もなく、無事に成鳥になったとはとても思えない。

 あのように厳しい自然環境下に、種子むき出しで生きるそらまめくんも、もちろんそのことを理解しているだろう。立ち去る母ウズラと、一瞬見つめ合ったそらまめくんとの間には、我々人間には計り知れない思いの交錯があったと思われる。

 そうしてみると、最後の豆達の大宴会は、ウズラたちの無事を祈る壮行会であると同時に、失われた十個の卵に対する鎮魂歌でもあったのではないだろうか。

 そらまめくんは最後に、他の豆達を自分のベッドに招待してともに寝る。

 種子として生まれながら、発芽する事を拒み、種子として存在し続ける事を選んだ仲間との熱い絆を、改めて深く感じた彼なりの友情の表現であったのではないか。

 乾燥し、ひび割れるしかない、明日なき豆達の目には、厳しい環境下でありながらも、明日をつないでいくウズラの親子のは存在は眩しく、そして美しく映ったのではないか。

 安らかに眠る豆達の寝顔を見ながら、私はそのように思いを馳せずにはいられない。

 この作品は、そらまめくんという不思議な存在を通して、このようにウズラとその天敵の関わりを表現しながらも、天敵との闘いという残酷な場面を一切見せずにそれを想像させる事に成功しているのだ。

 文学的側面だけでなく、自然科学的、生態学的にもまた忠実で示唆に富んだ、素晴らしい作品といえるだろう。

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