第2話 ぐるんぱのようちえん

 ぐるんぱ、とはゾウの固有名称である。

 彼がアフリカゾウか、インドゾウか、という疑問はこの際置いておこう。種の識別ポイントが明確には描かれていない上に、後述するが、彼がゾウとは思えないほどの高い知能を示しているからだ。

 つまり彼の種類について、などというのは、この作品の場合些末な疑問なのである。

 彼はいい年をして、仕事もせず、学校にも行かず、自宅に閉じ籠もり、不潔である。という描写からこの物語は始まる。

 つまりは、現在社会問題となっている「引きこもり」あるいは「ニート」と呼ばれる存在なのだ。

 この引きこもりのゾウが、周囲から責め立てられ、嫌々ながら職を探して旅立つ。というこの作品。

 なんと初版が一九六五年である。

 当時は社会現象とまではなっていなかったのだろうが、すでに引きこもりという精神症状はあったのではないかと窺い知れる。


 さて、この物語に登場するゾウは、異常に知能が発達しているようだ。

 人間社会でのゾウの就職先など、通常であればサーカスか動物園、もしくは動物斡旋専門のタレント事務所くらいしか思いつかないが、彼が選んだ就職先はなんと、ことごとく技能職人の元なのだ。

 彼が目指したのは菓子職人、皿職人、楽器職人、靴職人、自動車エンジニア。

 しかも、驚いた事にどの職場でも見事に製品を作り上げている。

 どの職場でも、できあがった製品のサイズが問題になり、経営者から解雇を宣告されるわけだが、これはどう考えてもそれぞれの経営者が悪い。

 そもそも見習いにいきなり商品を作らせるのもどうかしているが、それを制作中に一切チェックしないで、できあがるまで放置することがおかしい。

 巨大な靴やピアノを作り上げるまで、同じ職場にいて気づかないなど、上司として失格と言っていいだろう。

 しかし、このぐるんぱというゾウの技術力は特筆に値する。

 靴や菓子、皿などは、ある程度材料を多く使えば、サイズアップできなくはない。

だが、自動車やピアノは違う。

 自動車で言えば、車体に合わせてすべての構造部品をサイズアップしなくてはならないのだ。ネジやボルトのように単純に大きな部品、というものもなくはない。エンジンやラジエータ、車輪にしても、建設機械などの大型のものを流用すればいい。

 だが、おそらく車体そのものの板金加工や、シャフト、ハンドルなどの操作系部品は、ゾウの乗れるサイズに合わせて、鍛造あるいは鋳造、削り出しなどの技術を駆使して作り上げたに違いない。

 ピアノにしても、すべての部品を自分で削り出し、大きさに合わせてピアノ線の太さも選定し、調律までも行ったわけだ。

 人間であっても、それだけの技術を持つ者は、年季の入ったプロだけであろう。

 いかにゾウの鼻先が器用であり、人間の手足と同様の作業が出来るとされていても、驚愕すべき技術力である事に変わりはない。

 しかも、見習い時点で作り出したこのスポーツタイプの乗用自動車が、巨大であるとはいえ、乗用可能なのである。

 彼がそれに乗って、職場間を移動しているところを見ると、当然、車検も通ったのであろう。これほどの技術力を持つ見習いを、あっさり解雇するなど正気の沙汰ではない。

 重ダンプやトレーラー、さらには除雪用ホイルローダやラフテレーンクレーンの修理、改造、または部品製造を請け負うようにすれば、この自動車工場は飛躍的に発展したものと思われる。まことに残念な話である。


 菓子にしても、単純なサイズアップは可能でも、問題なく食用可能な製品にするとなると話は変わる。

 あれだけの大きさになれば、焦がさずに中心まで火を通すのは至難の業だ。焼き上げ時間は単純に重量倍すればいいというものではないのだ。

 それを見事に焼き上げる勘の良さは、とても素人レベルとは思えない。

 しかも、あれだけの量の材料を一度にこね上げる能力は、工場の機械並みのパワーと技術である。大きさだけが問題なのであれば、材料を練り上げた段階で、親方が小さく分割し、また焼き上げを彼に任せれば、生産性は飛躍的に向上したはずだ。

 この焼き上げの感性、造形技術の確かさは、皿職人のもとでも発揮される。

 陶芸を一度でも経験した事のある方ならお分かりのはずだが、単純に大きな作品を作る、ということは、それだけでもすごい技術なのだ。

 何故なら、乾燥前の粘土は柔らかいため、大きくなればなるほど、自重で変形しやすくなり、作成途中はもちろん、作成後にもひずみが出やすい。

 これを防ぐためには、下部からゆっくり、乾かしながら紐状の粘土を積み上げていくしかない。

 やってみれば分かるが、異常な根気と集中力を必要とする作業である。

 だがどれだけ根気よく積み上げていっても、厚みが途中で変わったり、水漏れが起きては話にならない。しかも、失敗に気づいても、すでに下部は乾いてしまっているため修正も効かないのだ。

 また、見事な絵付けもなされているが、これもやってみれば分かるが、紙に筆で書くのとは違って、水分がすぐに吸い込まれて顔料が乾いてしまうため、バランス良く掻き上げるには熟練の技が必要となる。

 焼き上げとなると、もっとシビアだ。大きな皿は全体を一気に同じ温度には出来ないため、中心部と外苑部での温度差により、ヒビが入りやすい。

 よって、二千度近くまで温度を上昇させるために、何段階か、いやおそらくは十何段階かに分けて温度上昇をさせたに違いない。

 電子制御の電気炉ならば、こうした作業は簡単だが、ガスや石炭を使った燃焼式の炉では、非常に微妙な火加減と感覚が要求される作業である。

 これほどのサイズの皿を焼き上げられる電気炉が、町工場にあるとは思えないし、今から数十年前の事であるから、やはりガスか石炭炉なのであろう。やはり彼は、驚くべきセンスと技術の持ち主なのだ。

 このような問題をすべてクリアし、子供がプールに使用できるほどの大皿を、一点の狂いもなく作り上げたとすれば、彼は見習いにしてその技術は既に達人並みと言っていい。それを問答無用で追い出すなどとは、正気の沙汰ではない。これは、彼の天才に嫉妬しての事としか思えない。


 靴については、大きく作るだけなら誰でも出来るし、ただ大きいだけの靴などどうしようもない、と思われる向きもあるだろう。

 だが、よく考えてみて欲しい。

 革製品は靴だけであろうか? また、巨大靴の製作は本当に誰でも出来るのか?

 革を製品化する際に難しいのは、大きさ、強度のバランスと加工である。分厚い革を貫き縫う、一つの製品を作りあげる、という作業は正確さだけでなく力も要求される。

 巨大な靴を作り上げるバランス感覚と力は、皮革加工工場にとって大きな戦力ではないのか。

 もちろん、すぐに戦力にはならないかも知れない。

だが、彼の力を生かして革の運搬やプレス工程を専門にやらせ、その間に縫製技術を磨かせる。そして将来的には靴だけでなく、カバンや家具など、大型の革製品を製造するように工場ラインを立ち上げ、彼を責任者に任命すれば、この工場もまた大きな発展を遂げたのではないだろうか。

 惜しい。実に惜しい事である。


 さて、この作品におけるもう一つの問題は、解雇時に彼が、自分が作った製品を、親方に無断で持ち帰っている事である。

 どこにも「もらって」という表現がないことを考えると、間違いなく無断で持ち出している。

 退職金代わり、という考えもあるだろう。

 だが、短期間の就職の場合には積み立てもしておらないから、当然退職金など出るはずがない。

 おそらくは、解雇された腹いせであろうが、会社が仕入れた材料で作られた製品は、会社の資産であり、元従業員といえど勝手に会社の資産を持ち出すのは泥棒である。

 中でもゾウが乗用できるサイズの大型の自動車など、部品代だけでも一千万では効かないだろう。仮に退職金説が通るとしても、法外だ。会社にとっては、大変な損害である。

 しかも彼はなんと、これらの盗品を利用して起業するのだ。

 彼の技術力、物作りのセンスは高く評価するが、その価値観は許されざるものだ。こうした不良社員を早々に解雇した、という点では、各工場の経営者達は、先見の明があったとも言えるのかも知れない。


 更にここで問題となるのは、彼が起業したのが『幼稚園』である。という点だ。

 現在の法制度上は、幼稚園運営は学校法人にしか認められていない。

 学校法人とは、私立学校を設置運営する主体である。学校法人の認可は、学校の設置認可と同時に行われ、学校法人はその主たる事務所の所在地において設立の登記をすることによって成立する。

 学校法人を設立しようとする場合、その目的、名称、設置する私立学校の種類、名称等所定の事項を定めた上、文部科学省令でさだめる手続に従い、所轄庁の認可を受けなければならないのだ。

 幼稚園であるから、所轄庁とはこの場合は都道府県知事となる。

 都道府県知事は、ぐるんぱから学校法人設立の申請があった場合、必要な施設及び設備、もしくは、これらに要する資金並びにその経営に必要な財産を有しているかどうか、寄附行為の内容が法令の規定に違反していないかどうか等を審査した上で認可を決定することになる。更に第三者意見として、あらかじめ、設置・学校法人審議会又は私立学校審議会の意見も求めておく必要がある。

 しかも、この認可を受けるためには、土地建物等の基本財産として見込まれる年間運営経費の一定割合の確保、施設基準や要員基準の確保など、厳しい条件をクリアしなければならないのだ。

 仮に、彼が前の職場からガメてきた製品類が、施設基準をクリアしていたとしても、土地建物等の基本財産は見当たらないし、年間運営経費の確保が出来ているとは思えない。

 要員基準に至っては、もともと無職であった彼自身が幼稚園教諭免状を持っているのかどうかも疑わしい。


 彼の就職に至るまでの過去は詳細には描かれていないから、もちろん、すでに幼稚園教諭免状を持っていた可能性はある。より開業の容易な保育園ではなく幼稚園を開業した、という事実からしても、もともと自分の持っている資格を生かした可能性は否定できないだろう。

 運営経費や施設、要員などにしてもあるいは、親の財産などをはたいて捻出したのかも知れない。


 それにしても、盗品で運営される学校法人を、県が易々と認可するとは考えにくい。

 あるいは、無認可のまま開業・運営している可能性もある。

 ゾウが巨大な靴や皿、車を利用して運営している、という物珍しさで、最初は入園者もあるかも知れないが、もし、無認可であるとなると、安全性や教育能力の点で問題を起こし、早晩廃業に追い込まれるのではないだろうか。


 この物語の重要な点は、社会に適合しなかった個人が、持ち前の才能や技術を発揮しても、やはり上司や経営者からは疎まれ、組織からもはじかれてしまう、ということ。そして、どれほど才能と技術があっても、法を犯してはならないということではないだろうか。

 廃業に追い込まれる幼稚園を敢えて描かなかったのは、読者の想像にゆだねる事で、これからぐるんぱを待ち受ける、さらに厳しい現実を読者に想像して欲しかったのであろうと考える。

 これもまた、これから溢れる才能で未来を目指す若者達に、是非とも読んでいただきたい良作である。


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