壁 (戯曲) サルトルオマージュ
牢屋。サルトとカミュは壁越しに話をしている。
サルト
六時になるらしいです。
カミュ
六時…。
カミュの牢屋に神父がやって来る。
神父
(無感情に)あと一時間だ。
サルト
(思いつめた表情で)今、五時か。
間。
カミュ
嫌だ…。(コンクリの床を這う)神父様! 神父様! 俺はただ、あそこに居合わせただけなんです!それだけなのに、処刑なんてあんまりだ!
神父
(ロザリオを差し出す)祈りなさい。
カミュ
はい、祈ります! 祈ります!
サルト
(壁越しに)そんなことには何の意味もない!
カミュ
天にまします我らの父よ…。
神父がサルトの牢に移る。
神父
(満足そうに笑って)祈りますか?
サルト
いいや、遠慮するね。
神父
(憐れむように)そうですか。
神父が出て行き、沈黙する。カミュの祈り声だけ聞こえている。
サルト
(小声で)うるさいな!(カミュに 聞こえるように)あなた、祈るのをやめてくれないか!
カミュ
(壁際までやってくる)あんたは祈らないのか?
サルト
私は無神論者だ。あなたが神に祈るのは、贖罪か、救済か。
カミュ
わからん! あんたは強いな! でも俺はただ、あの場所に居ただけの、民間人だ! テロリストじゃない! こうでもしないと…。
サルト
私も同じだ。
カミュ
じゃあ、どうして……。
サルト
私は死を飼いならしている。死など恐ろしくない。
カミュ
だが俺は怖い。
サルト
大丈夫。大丈夫だ。
カミュ
何を根拠に。
サルト
あなたも根拠なく、神に祈っている。それと同じだ。
沈黙。
サルト
(独白する)あの神父め。黙ってりゃ分からない時間を、わざと教えやがって! こっちを見て、悲しそうな顔しても、心の底じゃ笑い転げてやがる! 馬鹿にしてやがるんだ! 誰が神になんかに祈ってやるものか! これはもう意地だ! あの性根の腐った神父め!
(嘲笑する)しかし、隣のカミュという男は、恥ずかしい男だ。こんな状況でも生に執着している。私は違う! 隣の男を慰めることもできた。死など恐れない。怖くない。
処刑場の壁の前に立たされるカミュとサルトを含む四人。
銃を構える大勢の兵士が、一人の男を射殺した。
カミュ
(震えながら)死にたくない! 死にたくない!
サルト
(唇を噛んでいる)……。
指揮官
(サルトを指差す)お前は祈りもしなければ、命乞いもせんのか!
サルト
私は無神論者だ!
指揮官
よろしい。(眉間に皺を寄せて)では、(サルトに)お前が神に命乞いしたら、お前を生かして、(カミュと、もう一人の男を指す)こいつらを射殺する。お前が命乞 いしなければ、お前だけを殺す。弾の充填が終わるまで待つ。
カミュ
助けて! 助けて! いくらでも命乞いしますから! 神様! 神父様!
サルト
(目を瞑り、自分に語りかける)私の命などに価値はない。無論、隣の男の命にも、価値はないのだ。彼らにとっては命など、ただ壁の前に立たせて、気が済むまで銃殺するだけの対象なのだ。いや、そうでなくとも、命などに価値の差などない。だとすると、私はどうするべきなのか? (目を開け、指揮官の隣にいる神父を見る)いや、意地だ。あの神父の思い通りになどなってはいけない。これは意地なのだ! 絶対に神に命乞いなどしてなるか!
銃声が響き、もう一人の男が射殺される。
指揮官
おっと、あまりに遅いので、そっちの男を射殺してしまった。
サルトは壁の前で恐怖のあまり失禁する。
サルト
(顔面蒼白で)しかし、どうだ。私が命乞いしなけ れば、隣のカミュという男が生き延びる。こいつ は肝心なときだけ神に祈るような弱者だ。私とこい つ、生き延びたらどちらが社会の役にたつ。いいや、 私だってこの不条理な世の中を好いてはいない。だ が、こんな、自分ではなにもできない、神にすがり きった、生きて全てを諦めきった人間より、私が生 き残るべきではないだろうか! そうだ、私は神には頼らないのだから!
指揮官
時間だ。
サルト
(俯き、つぶやくように)助けてください。
カミュ
(サルトを見つめる)あんた、何を言ってるんだ!
サルト
(カミュに囁く)神が私に生きてほしいのだ!
指揮官
あ! 聞こえんな。
サルト
(大声で)神様、私をお助けてください!
指揮官
(笑いを堪えながら)よし。(カミュを指す)あいつを殺せ。
神父が満足そうに笑っている。
掟の門 腦裡の華 @nourinohana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます