エピローグ

「ただいまより、私立躑躅ヶ谷学園高等学校、入学式を挙行致します」

 入学式の開会が宣言される。

 可彦は背筋を伸ばす。念願の高校生活が、やっと始まるのだ。

 脇をちらりと見ると、少し離れたところから兎萌がこちらをうかがっていた。同じ列に座っている。幸先よく同じクラスになれた。

 黒い眼帯が痛々しいが、そこに兎のアップリケを張り付けている辺り、本当に兎萌らしい。

 兎萌と目が合う。

 兎萌ははにかみながら笑みを浮かべると、一転怒ったような顔をする。きちんと前を見ていろ、と言いたいのだろう。

 可彦は肩を竦めると前を見る。

 国歌斉唱。

 校歌斉唱。

 そして入学許可。

 新入生の名前が読み上げられていく。

 無論兎萌の名前も、可彦の名前も読み上げられる。

 この場にいる以上当たり前のことではあるのだが、それでも可彦はちゃんと名前が呼ばれたことに安堵と喜びを覚えた。

 とにかくここにたどり着くまでに、余りにもたくさんのことがあり過ぎた。

 長い校長の式辞が始まると、自然と可彦の頭の中にはあの時のことが思い出される。




「土蜘蛛と佐伯衆のために……死んでおくれ、夜都賀王」

 その言葉を聞きながら夜都賀王の意識は遠のいていく。その無情な鎮魂の言葉に、逆に夜都賀王の心は安らいでいく。

 それが自分の意味ならば、それはそれで仕方ない。

 そう思えたのだ。

 夜都賀王は、細剣を突き立てて自分を抱くハーゼを抱き寄せる。深く刺さった刃がさらに深く突き刺さる。それでもいいと思った。どうせ死ぬなら、ハーゼを、兎萌を、もっと感じておきたかった。

「べっくん?」

 ハーゼが小さく呟く。小さく呟いて、急に力を失った。力を失ったハーゼを抱いて、夜都賀王も力無くその場に崩れ落ちた。



「ここは……?」

「気が付いたかや!」

 葛妃の顔が見える。

 今まで見たこともないようなくちゃくちゃな顔。

 その目から零れ落ちる涙が可彦の顔に降り注ぐ。

「葛妃様?」

「すまなかった。すまなかったな可彦。とても許せとは言えぬが……許しておくれ」

「ここは?」

「奥座敷じゃ」

 ああそうか、道理で見覚えがあると思った。

可彦は不思議と冷静にそう感じた。

「痛むところは無いかや」

 そう言われて思い出す。自分は兎萌刺されたのだ。

「そうだ! 兎萌は?」

「小娘は無事じゃ」

 飛び起きようとする可彦を葛妃は静かに押さえつけ、布団に戻す。

「僕は……どうして……」

「夜都賀王に死んでもらう。それが条件だったのじゃ」

 葛妃は静かに、心底すまなそうに語り出す。

「小娘もな、心の底では気が付いておったのじゃよ」

「なにに?」

 聞くまでもない事だったが可彦は聞き返した。

「夜都賀王が自分の想い人であるお前……可彦であるということにじゃ」

 可彦は黙ったまま小さく頷く。

「ゆえに夜都賀王に刺された時、同時に心にも深い傷を負ってしまった。可彦が自分を刺すことはないと、心の傷が可彦と夜都賀王を結びつけることを拒否し、執拗に夜都賀王を倒すことを決意した。そのままでは小娘の精神は崩壊しかねなかった」

 可彦は言葉を継げなかった。葛妃は静かに先を続ける。

「故に小娘の父、将人は吾に提案してきたのじゃ。夜都賀王殺害を。引き換えが今回の騒動をもみ消すこと。無論お前の入学拒否もじゃ」

「え?」

 可彦は耳を疑った。夜都賀王とは可彦に他ならない。自分を殺して自分の入学を認めさせるとは?死んでしまったら入学も何もないのに。

「殺すのは。そこには含まれていない」

 可彦の疑問に答える様に、そして謝罪するように、葛妃がゆっくりと答える。

「夜都賀王が死んだと認識されさえすればよかった。そうやって夜都賀王を表舞台から消し去ること。それが目的じゃった」

「だから僕は生贄にされた?」

「生贄など!」

 葛妃は咄嗟に声を上げる。上げるがそれ以上は続かなかった。

「……いや、生贄と言われても言い逃れは出来ぬ」

 消え入るような小さな声。

「お前はお前の身体が普通でないことに、もはや気がついておろう?」

 可彦は頷く。出来ないと言われた玉座の操作もさることながら、刺されたはずの腹の傷が、すでにない。

「お前は国津神である土蜘蛛の血を、誰よりも濃く受け継いでおる」

 しばしの沈黙。

「そしてお前は天津神の末裔たる黒坂の血も、受け継いでおるのじゃ」

 それを聞いて、しかし可彦はあまり驚かなかった。そうすれば合点がいくことが多い。口を開こうとする可彦を葛妃が先に制した。

「誰が父で、誰が母かは今は聞いてくれるな。時がたてばおのずと知れる」

 可彦はもう一度頷いた。

「その身体ゆえ、たとえ刺されても、命は助けられると確信はしておった。それで一芝居打つ決意をしたのじゃが……」

 さらに消え入るような声。

「辛い思いをさせたのに違いはない」

「一言言ってくれればよかったのに」

「お前は人が良すぎるから」

 葛妃は少し笑った。その困ったような笑みが、何故か可彦を安心させた。

「絶対に芝居なのが小娘にばれてしまう」

「ひどいなぁ」

 可彦も笑う。その笑みが、葛妃を救った。

「でもそれならしょうがないか」

 可彦は笑いながら続ける。

「夜都賀王が死ぬことで、葛妃様も、兎萌も、土蜘蛛や佐伯衆も……」

 一拍置いて、少し力を込めて。

「僕自身も救われるなら、その死は無駄じゃ無かったよね」

「ありがとう」

 葛妃は可彦の手を取って謝辞を述べた。

「そういってもらえると吾も救われる」

「そうか高校生かぁ」

 葛妃の小さな手を握り返しながら、可彦は噛み締める様にそう呟いた。




 そんな次第で無事に高校に入学できたわけである。

 まさに怒涛の春休み。

 紆余曲折があり過ぎて、いまだ整理の追い付かない気持ちもあったが、途中で可彦は整理するのをやめてしまった。

 終わり良ければ総て良し。

 それで済ませることにした。

「帰ろ!」

 ホームルームも終わり、帰り支度をしていた可彦に兎萌が声をかける。いつも通りの屈託のない笑み。朗らかな瞳。ただし片方だけだったが。

 たまに可彦をじっと見つめる目が不意に凪いだようになることもあった。すこし精神的に不安定なところもあるのだろう。でもそれは無理からぬことだと可彦は思っていた。

「いこっか」

 可彦は兎萌を伴って教室をでると、廊下を通って生徒用正面玄関から外へ。

 外は快晴。青い空。

 他愛もなく喋りながら校門へと歩くふたり。

 その可彦の視界に一人の人物が映った。

 タイトスカートにビジネススーツ。白いカッターシャツの女性。

 桔姫を思わせる格好ではあったが、それは全く違う人物。

 腰まで伸びた黒髪が春の風になびく。その黒とは対照的な白い肌。

 紅い唇には笑みが浮かぶ。薫るような妖艶な笑み。

 相当な美人だが、どこかのっぺりとした印象の顔。

「さつ……」

「どうしたの?」

 思わず漏れた言葉に不思議そうに首を傾げる兎萌。そのことに可彦は逆に衝撃を受けた。兎萌は忘れてしまったのだろうか。あの顔を。

「君たち新入生?」

 その女性は可彦たちに気が付くと、声をかけてきた。

「そうです!」

 躊躇なく何の警戒もなく兎萌が答える。

「私も今年度からここで働くことになったの」

「先生ですか?」

「そうね。養護教諭だから、授業は教えないけどね」

「そうなんですね!よろしくお願いします!えっと……」

「滝口五月よ。あなたは?」

「黒坂兎萌です!」

「……僕は佐伯可彦です」

 可彦も促されるまま答える。その時五月の目がなんとなく輝いたように見えた。

「兎萌さんに可彦君ね。よろしく。私は五月でいいわよ」

「はい! 五月先生!」

 片手を上げて校舎に向かう五月。その後ろ姿を呆然と見送る可彦。

「きれいな先生だからって、何見惚れてるのよ!」

「い、いたいよ兎萌! そんなんじゃないよ」

 兎萌に抓られ、思い出したように歩き出す可彦。

 他愛もない日常は遠くに行ってしまった気がした。


 神は天にいまし、全て世は事もなし


 と、行くはずもなかった。

 なぜなら国津神も天津神も、この地上にいるのだから。

「あ、電車に乗り遅れちゃう。急ごうべっくん!」

 兎萌が走り出す。可彦もつられて走り出す。

 走りながら自然と笑みが浮かびだす。

 ま、いいか。

 可彦はそれだけで、すべてを済ませることにした。

 たとえこの先、何が起ころうとも、その一言ですべて解決してしまえそうな気さえした。この春休みのことをおもえば、どれほどのことがあるというのか。

「ま、いいか」

 口に出して、その魔法の言葉を呟くと、可彦は笑みを浮かべて、急かす兎萌の後を追った。


                                 終


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

常陸国トラジコメディ 竹雀 綾人 @takesuzume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ