西梅田駅

九紫かえで

Station number Y11

 桜が咲いていた季節はもうとうに昔のことだった。



西梅田駅



 職場の飲み会が終わったのは午後十時過ぎ。

 明日は休みの花の金曜日、このまま二次会といってもよかったのだが、そういう気分にもなれずお暇をさせていただくことにした。

 とはいえ。

 このまま家に帰って眠る気にもなれず、ビルが何本もそびえたつ街の根元をふらふらと歩いていたようだ。

 ようだ、というのは駅につくなり、ベンチでひと眠りしてしまったから。

 はっと起きて時刻を確認すると、午後十一時三十分。

 ブルーのラインが中央に入った駅名標を見て、俺は普段使っている路線とは違う駅にもぐりこんでしまったことに気付く。

 大動脈のバイパス路線として作られた路線の終着駅にして、この街にある七駅のうちで二番目に利用客数が少ない駅。

 しかしながら、この時間になっても駅構内には大勢の利用者がおり、ここが日本有数の大都市であることを思い起こさせる。

 ちょうど目の前のホームを電車が発車していった。始発駅らしく、反対側のホームにはもう次の電車が扉を開けて、乗客を迎え入れている。

 いい加減帰らないと……ようやく腰を上げようとしたところで、俺は横に奇妙ないでたちの女が座っていることに気が付いた。


 純白の着物に、綿帽子。

 一瞬、結婚式の帰りの新婦かと思ったが、まさかこんな駅に深夜一人で佇んでいるわけがない。

 それに結婚式に着る白無垢とは少し違うように思えた。その雰囲気はむしろ……。

「死に装束、のように見えますか」

 思っていたことが顔に出ていたのか、それともこの女がこの世のものではないのか。

「あながち関係なくもないみたいですよ。結婚式で着た白無垢を、夫の葬儀での喪服や、自分の死に装束にした、ということはあったみたいです」

「それで、あんたはどれなんだい?」

 気持ち悪い。

 早くこの場を立ち去りたい。

 そんな緊急信号を無視して、俺は彼女に声をかけてしまっていた。

「どうなんでしょう。結婚は人生の墓場、といいますし」

 彼女の左手の薬指に光る銀の指輪。その光がどこか虚しいものに見えたのはなぜだろう。

「墓場までたどり着ける人はどれだけいるのでしょうね」

「あんたは墓場までたどりつけなかった、というわけか」

 それならばちょうどいい。

「俺もあと少しで墓場行き、だったんだがね」

「生き返っちゃったんですね」

「そうはいってくれるな。これでもアイツのことは真面目に好きだったんだ」

 せめて婚約指輪を買う前だったのが救いだった。

「会社の後輩なんだけどな。地元の不良の男と今でもつきあってて、俺を財布のヒモにするつもりだったんだと」

「ひどい話ですね」

「だろう?」

「それでも……好きなんですか」

 彼女の言葉がえぐるように俺の心に突き刺さった。

 迷いは先ほどの飲み会で吹き飛ばした。そのはずだったのに。

「まぁ、な」

 あえて現在形で聞くあたり、この女の性分は悪い。

「憎いし、裏切られたと思ってる。それでもやっぱり俺の女だって、今でも思っちゃうんだよね」

 我ながら情けない。

「もう俺の女でも何でもないけど」

 もう、どころか、はじめからアイツの心は俺のものじゃなかった。

 もし、アイツがもっと性格の悪い女で。それこそ、体と金だけの関係でいいと迫ってきていたら。俺はどうしただろう。

「いいですね」

 俺の隣に座る女は予想外の一言を放ってきた。

「はぁ!? いいわけな」

「そうはいっても、あなたはいつか、その恋を忘れ、新しい恋に走るんでしょう?」

「そんなこと……」

 今言われても考えられるわけがない。

 だけど。

「あなた、その彼女さんは何番目に好きになった人ですか?」

「は?」

 何番目と言われても。初恋の日からいちいち数えているわけじゃないからわかるはずがない。

 それに第一、俺は……。

「過去に何度も手痛い失恋をしてきたでしょう? でもその都度、その数だけ、あなたは乗り越えてきた」

 乗り越えたつもりはない。

 ただ、気付いたら、環境が変わって、勉強や仕事に打ち込まざるを得なくなって、新しく好きな人ができて……そういうことを繰り返してきただけ。


「検察庁ってこの近くでしたよね」

 突然の話題の転換に俺は困惑した。

「近く……と言えなくもないけど。二十分くらいは歩くと思う」

「そうだったかもしれません」

 確実に俺は今、この女の手のひらの上を転がされている。

「あそこの桜、本当に綺麗なんですよ。ご存知ですか」

 はるか昔に見た記憶がある。

「うっすらと」

「私、あそこを通りかかるとき、いつも桜の花の幻影が見えるんです」

「幻影?」

 桜の木は一年中ある。

 でも、花が咲くのは春のほんの一瞬のこと。残りの季節は緑の葉桜か、枯れ木かのどちらかだ。

「桜の花なんて今はもう咲いていないはずなのに。私はずっと、桜が咲いているように見えてしまうのです。おかしいですよね」

「眼科に行った方がいいな」

 あるいは脳神経外科か。

「それと同じです」

「同じ?」

「えぇ」

 女は満面の笑みを見せた。

 結婚式で永遠の愛を誓う花嫁のような笑みを。

「私にはいつまでも見えるのです。大好きだった先輩の姿が」

 怖かった。

「大好きだった先輩との、未来が」

 この女の真っ直ぐな狂気が怖かった。

「もうないんだろう、それは」

 どうせこの女に俺の言葉は届かない。

 それでも俺はここでせめてもの抵抗を見せなければ行けない。

「わかっていますよ」

 そうしないと彼女の狂気に引きずり込まれそうな気がしたから。

「わかってはいるんですよ……」

「だったら」

「でも、もういいんです」

 うっすらと化粧をした女の顔を見ると、どこかあどけなさが残っていた。

 彼女の雰囲気に飲まれていたが、よくよく見ると大人の女性というより、高校生といってもいいくらい、そんな幼い印象の女だった。

「見つけましたから」

「見つけた?」

「はい」

 女は俺の手を取る。

「私の……終着駅を」


 ――住之江公園


「何を言って……」

 ズキンと頭が痛んだ。

「何も覚えていないんですね」


 ――北加賀屋


「高校を卒業する前の夜、先輩は交通事故にあいましたよね?」

 この女は何を言っているのだ。

「そのときに先輩は死んだ。二度と目が覚めなかった。私の大好きだった先輩はこの世からいなくなった」


 ――玉出


「でも、不思議ですね。先輩とこうしてまた巡り合えるなんて。信じたおかげかな」

 気持ち悪い。

「タチの冗談はやめてくれ! 俺はあんたなんて知らない!」


 ――岸里


「そうですね」

 怖い。

「だって先輩、高校生の頃の一人称は僕でしたから」


 ――花園町


「事故の後遺症ですかね。昔の記憶が全部なくなってしまったのも」

 やめてくれ。

「今の先輩は昔の先輩ではないのかもしれません」


 ――大国町


「あぁ、そうだよ! 俺は大学より前の記憶がないんだよ!」

 俺は確信してしまった。

「だから俺に構わないでくれ! あんたが好きだった先輩はもういないんだ!」


 ――なんば


「嫌です」

 もう俺に逃げ場がないことに。

「だって、ずっと……好きだったんですもん」


 ――四ツ橋


「先輩はのうのうと忘れて生きてきたのかもしれませんけど……私は忘れられなかったですもん」

 銀の指輪に見覚えがあった。

「先輩はあの日……ずっと一緒にいようと約束してくれましたから」


 ――本町


「悪いけど、俺はあんたとは生きていけない」

 あの日の幼い純粋な誓いは。

「あんたも、あんたが知ってる僕も、もう死んだんだ」


 ――肥後橋


「私はそれでもかまいませんよ」

 永久に離れぬ呪いへと昇華した。

「行きましょう、先輩」


 ――西梅田


 地下鉄四つ橋線、終着駅。


 十三への延伸計画は今なお実現していない。



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