第4話 狂暴する心
……悲しい?
僕は心の中に突如として出現したマイナスの感情に戸惑った。
だって、こういう感情がわき起こってくるやり取りが見当たらないから。
このモヤモヤ感をたとえるなら、殺人を犯した犯人は分かっているのに、その手口が分からないという感じだ。
いや、違う。
より正確に表すのであれば、こういう感情がわき起こってきた元凶は分かっているんだけど、それがどうして悲しいなんて気持ちを生み出したのかが分からないということ。まだ、目に見えない手口と、それによって浮き上がってきた深層が分からないというか。
叶美ちゃんが嬉しそうに微笑んでいる姿を見ただけで、僕は悲しくなった。もし金星さんが泣いているとかであるならこの気持ちも分かるんだけど、実際は笑っている。
初対面、いや、知り合い女の子が笑みを浮かべているのなら、普通は自分も同じ気持ちと表情になるものじゃないのか?
でも、今の僕の心にわだかまっているのは悲しいという、感情。これは厄介なことに紛れなくもなく本物だ。
そうこうと僕が心の中で起こっている不明事案に混乱をしていると、次なる謎の奇襲が僕を襲い始めた。
「な、なんだこれ……胸がいきなり苦しくなって……うぅ」
まるでそれは悲しいという名の津波が僕の心の防護壁を破壊しようと、一斉に押し寄せてきている感じだった。それに対して脆弱すぎる僕の心はなんとかしようとあらがっている。しかし、その負の津波の勢いは収まるどころかますばかりで、ついに僕の心の壁に亀裂を入れ始める。
そして、そのひびから漏れ出してくるのはそれまでの比ではないほどの悲しいという感情と、何よりも大きいのが悔しいという感情だった。
「うぅ……悔しい? どうして悔しいんだ僕は。分からない分からないよ……」
「進一?」
本当に理由は分からないんだけど、無性に悔しいという気持ちが胸の中で暴れ回っていた。僕は激しい意識の乱れに苦しみつつも、どうにかしてその原因を探ろうと記憶の海に潜っていく。そうしてしばらく記憶の海底を探索していると、負の感情を吹き出していると思わしき深層の入り口へとたどり着いた。どす黒いスモークで覆われたそこは見るからにヤバそうで、僕は開けるのをためらう。でも、どうしてこうなったのかというのが知りたくなって、おそるおそるといった心境で入り口の取っ手を握り、そして開けた。
すると、底が見通せない深さの溝から莫大な量の負の感情の泡が吹き出して僕を再び襲う。
「うああああああああああああああああああああああ!!?」
その勢いはあまりに激しくそしてインパクト抜群で、僕は頭を抱えてたまらず悲痛な叫びを上げてしまう。
これは安易な気持ちで触れていいようなものじゃないんだと直感で悟る。
僕は本来踏んでいなければいけない手順をスルーしたが故にこうなったのだろう。でも、その挑戦権を獲得するよろしく手順がどうすればいいのかは暗闇が覆っているから分からない。ともあれ、今のままでは無理なわけだし、これ以上は深層へのアクセスはやめておこう。
そう決めて胸の苦しみに耐えていると、前方からいかにも驚きましたと言わんばかりの声が飛んできた。
「ふぁ!? ちょっといきなり大声なんてて……って!な、何よその尋常じゃない量の汗は! それに呼吸も狂ってるってくらいに悪いじゃない!」
「そ、それが分からないんだ……いきなりこうなってきて」
「いきなりこうなったってそれヤバイ病気の兆候なんじゃないのっ!? 進一、なんか持病とか持ってたりしない?」
「無いと、思う。は……春の健康診断でもどこにも異常は見つからなかったし、そもそもこれは病とかじゃないと思うし。それに生まれてからもそういう生死にーーーーーっ!!」
生死に、という言葉が口からこぼれ落ちたその瞬間、それまで感じていた胸の痛みがまたその激しさを増した。心臓を力強くがしりっと握りつぶされているような締め付け感が僕を再三に襲う。
あまりの苦痛にたまらず、僕は崩れるようにして膝を地面につき不規則な呼吸を繰り返す。
「進一!?」
はあはあと呼吸をして正常に戻そうと、下を向いて試みている僕の前方から、叶美ちゃんの相当慌てた声が聞こえてくる。
そして何やらがさがさと草をかき分けてる音がしたと思えば、次の瞬間には僕の背中を上下に何度も撫でる感覚が走った。乱れる意識の中で、僕はそれが誰の手によるものなのかをはっきりと分かった。
それを確かめようと僕が頭を上げようとすると、今度は身体全体が引っ張られるように傾いて、そして何か柔らかくて暖かいものに着地した。
そうしてしばらくそのままでいると、不思議というより適薬を飲んだように動悸と過呼吸は収まってきた。
「な、なにこれ。すごく落ち着く」
平常状態を取り戻した僕が目を閉じたまま言う。
「そう。それは良かった。でも、女の子の膝の上に頭を乗っけていてそういう発言はやめたほうがいいよ? あたしは気にしないけど、大抵の女子からは白い目で見られるから」
僕が最高級ベットのような肌触りに癒され、穏やかな気分に浸っていると、頭上からそんな熱っぽさを含んだ忠告する声が降ってきた。
その声の主が目前にいることをひしひし感じつつ、僕はきつく閉められていた目をゆっくりと開いた。
「や、やあ」
未だにわずかにぼやけている僕の視界に、叶美ちゃんのニヤリと笑っている顔が映った。
「気分はどう? スケベ進一」
なんか不名誉なあだ名が誕生していた。しかし、さっきの発言を考えると否定が出来ないからスルー。
「そうだね、気分は良くなったんだけど、どうしてだろう。心臓がバクバクするよ……それはそうと」
そうそこで言葉を区切って叶美ちゃんの膝の上から頭を離す。すると、僅かに名残惜しいという気持ちが胸中を掠めた。
それから僕は金星さんのほうに身体を向けて、地面に正座してから、目をしっかりと見据えて、震える声で。
「うん?」
「そ、そ、その……心配かけてごめん」
謝る。
僕がそう頭を下げて謝ってから正面を向くと、目元の涙を無かったことにしようとあくせくと拭っている叶美ちゃんと目があった。
叶美ちゃんさんは頬を赤く染めて、僅かに顔をうつむかせながら言う。
「……泣いてないからね?」
「いやいやそれは無理があるでしょっ!?」
「さ、さて、それで進一は今日は誰かに振られた、というかそれ以前の段階で終わったから悩んでたんだよね?」
「話の流れを完全にスルーした!? すごいマイペースだ!? っていうかまた僕の悩みを寸分違わず見抜いた!? やっぱり金星さんって幽霊……」
「じゃないとようやく分かったんだよね? うんうん、進一は本当に物わかりがいいね!」
「勝手に人の気持ちを改竄しないで欲しいんだけど!?」
「あはは、またまた」
「またまた、じゃないよ!!」
僕がツッコミを入れると、金星さんはわざとらしく手を口元に当てて笑う。その手の上にある、目の下には隠し切れない涙の跡が残っている。
それを見て、僕の胸の中には暖かい気持ちが生まれた。
ふと、頭を上に向ける。
そこには暗闇に徐々にカラーリングされ始めている空が広がっていた。
夏夢 天条光 @Jupiter0322
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